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「無理矢理頼んでおいて、迎えは俺だけでって、ひどくないか?」


 不機嫌に見上げる案内版の表示が”ARRIVED(到着済)”に変わったのを見て、俺は急遽作ったウェルカムボードの名前をもう一度確認する。


「仕事で来られないって何だよ。迎えだって立派な仕事だろうに」


 隣の男が怪訝な顔でこちらを見ているのは分かっていたが、そんなことで俺の不満を抑えることはできなかった。


 宇宙省で働く友人から頼まれて引き受けた、留学生のホームステイ受け入れ。その留学生を迎えに、俺は空港まで来ていた。

 名前はアトリー。性別は女性だ。

 一人暮らしの俺に女性の留学生を頼むなんてどうかしていると思ったのだが、男の家に住むことは本人も了承済みだからとか、部屋は余ってるんだからいいだろうとか、その他いろいろしつこく言われて、結局折れてしまった。

 引き受けると伝えた時の友人は、心底ホッとした様子だった。たぶん本当に困っていたのだろう。

 その困りごとを解決してやったのだから、せめて相手と引き合わせるくらいはしろと言いたいのだが、朝の電話以降、奴とは連絡がつかなかった。


「まったく、あいつはいつも……」


 友人への文句は、しかし途中で途切れた。ゲートから人が出てきたのを見て、慌ててウェルカムボードを掲げる。

 留学生はアジュール星人。だが、最初に出てきたのは明らかに違う星の人だった。

 アジュール星人は、地球人と見た目に大きな違いがない。取引先で一度見掛けたことがあるが、その印象がほとんど残っていないほど違和感がなかった。もっとも、俺が異星人に関心がないことも大きかったのかもしれないが。


「ま、見た目はどうでもいいんだけど」


 ここまで来てもまだ気乗りしない俺は、パラパラと出てくる乗客を目で追いながらため息をついた。



 およそ五十年前、人類は、ほかの惑星系に移動する技術を確立した。宇宙進出の大きな一歩であると同時に、それは異星人との交流の歴史の幕開けでもあった。

 現在判明しているだけでも、この銀河には百近い知的生命体が存在している。そのうち、惑星系間の移動技術を持っているのは約三割。つまり、人類と同等か、それ以上の科学技術を持つ生命体が三十近くもいるのだ。

 環境によって進化の形は様々だったが、アジュール星人は姿形が人類に近いことで知られていた。交流の歴史も古い。地球人にとって最も馴染みのある異星人と言える。


「アジュール星人なら、俺じゃなくても受け入れ先くらい……」


 そう呟いた時、ゲートから本格的に人が溢れ出して来た。

 月にある宇宙空港からの到着便。太陽系の外からの来訪者は、例外なく月で乗り継ぐことになっている。よって、今出て来た人のほとんどが異星人だ。

 その中の一人がゆっくりと近付いてきて、俺の持つウェルカムボードを指さした。

 咄嗟に俺が聞く。


「あ、アジュール星の方ですか?」


 すると、その人はなぜかピクリと肩を震わせた。

 反応に驚きながらも、俺はその人を見つめる。だが、その表情を伺うことはできない。

 深くかぶったつばの広い帽子に、不自然なほど大きなサングラス。同じく不自然なほど大きなマスクにグルグル巻きのマフラー。表情が分からないどころではなく、顔がまったく見えなかった。加えて、長袖に長ズボン、両手には手袋。肌の見える箇所が全くない。


 アジュール星人って、そんなに寒がりだったけ?


 仕方なく引き受けたせいもあって、アジュール星人についてきちんと調べることをしてこなかった。ちょっと後悔しながら、返事のない相手を困惑したまま見つめる。


 ふいに。


 ……あれ?


 ほんの一瞬、意識が途切れた気がした。寝不足の時に、ごく短時間眠ってしまうあの感じに似ている。この状況で、さすがにそれはないと思うのだが。

 思わず俺は瞬きを繰り返した。その俺の耳に、きれいな地球語が飛び込んでくる。


「はじめまして。アトリー・モールガンと申します」


 驚く俺の目の前で、彼女がゆっくりと姿を見せ始めた。


 帽子を脱いだ途端、ターコイズグリーンの豊かな髪がふわりと落ちた。

 マスクを取った瞬間、真っ白な肌に、ふっくらとした桜色の唇が浮かび上がった。

 マフラーの下からは、艶めかしくも美しい鎖骨のラインが現れた。

 解き放たれた瞳は、長いまつげに彩られた、知性溢れるディープグリーンだった。


 完全に意表を突かれた俺は、呆然と彼女を見つめた。


「今回は、無理にホームステイを引き受けて下さったと聞きました。本当にありがとうございました」

「あ、いや……」

「なるべくご迷惑をお掛けしないように気を付けますので、六ヶ月間、どうぞよろしくお願いいたします」

「こ、こちらこそ!」


 こうして、俺とアトリーの同居生活が始まった。



 最初に話が来た時に、友人からアトリーに関する資料はもらっていた。だが、まったく受ける気がなかったので、ちらりと見ただけで、その日のうちに捨ててしまった。だから俺は、アトリーの年齢も経歴も出身地域も知らない。覚えていたのは、名前と、アトリーがアジュール星人だということだけ。


 写真が付いていれば捨てなかったのに


 そんな勝手なことを思いながら、俺は慌ててアジュール星人について調べた始めた。しかし、それがあまり役に立たないをすぐに知ることになる。

 考えてみれば当然だ。地球人の特徴を調べたところで、ある一人の地球人を理解できるはずがない。生まれた地域によって習慣は違ってくるし、そもそも一人一人で育った環境が違う。

 アトリーに挨拶するために友人が家に来た時、改めて資料をくれと言おうとしたのだが、つまらないプライドが邪魔をして言えなかった。俺は、安易に資料を捨ててしまったことを心の底から後悔する。

 やむなく、俺は会話の中からアトリーの情報を拾い集めることにした。


 アトリーは、環境再生技術を学ぶために地球に来ていた。その分野において、地球はわりと高いレベルにあるらしい。

 水質汚染、大気汚染、土壌汚染、はては気候温暖化と、環境破壊をやり尽くした人類は、長い年月をかけて自然を”バランスの取れた状態”にすることに成功した。人類が便利な生活を続けても、自然環境や他の生物に大きな影響を与えない技術がいくつも確立されていったのだ。

 その研究の最先端にあるといわれる大学が、うちのすぐ近くにあった。そこがアトリーの学びの場だ。


 アトリーは礼儀正しかった。それは、演技とか気を遣っているとかではなく、人としてにじみ出る礼儀正しさ。挨拶や所作がきれいだった。気遣いや言葉遣いがスマートだった。

 そして、アトリーはとてもまじめだった。遊びにはほとんど関心を示さず、いつも勉強をしている。環境問題などに興味のない、ただの平凡なサラリーマンの俺にさえ熱心に質問をしてきた。


「私の星では、表向きは環境保護を唱えながら、やっていることは経済活動を優先することばかりなのです。でも、地球では環境保護と経済活動が見事に両立しています。それはなぜですか?」

「えっと……」

「私は、技術の問題ではないと思うのです。心の問題、自然との向き合い方の問題だと思うのです」

「そう、かもしれないな」


 右手にペン、左手にメモ帳を持ったアトリーが聞く。

 アトリーは、気付いたことや知ったことをすぐにメモする習慣があった。それも、タブレットにではなく、紙のメモ帳にだ。紙とペンが好きなのだと言う。

 テーブルの向こうからディープグリーンの瞳が俺を見つめる。彼女が前のめりになるほどにターコイズブルーの髪が肩からハラハラと流れ落ち、ブラウスの胸元から白い肌が見え隠れする。

 視線と気持ちを彷徨わせながら、俺は口ごもる。それを見て、彼女は慌てて両手を膝に置いた。


「すみません、一方的にお話ししてしまいました」

「いや……」


 落ち込む彼女を見て、俺は決意する。その日から、俺はこの星の環境保護の歴史について猛勉強を始めた。

 電子書籍を何冊も買って、アトリーに気付かれないところで読み漁った。公共データベースから関連キーワードを検索して、ニュースやコラムを読みまくった。

 アトリーは専門の大学で勉強しているのだ。付け焼き刃の知識を披露したところで、内心笑われるだけに違いない。研究者にはない視点、地球に住む一般人の視点、そんなものを、さりげなく、さらりと彼女に伝えたい。

 そうして彼女を感心させたい。喜ばせたい。少しでいいから、俺のことをスゴいと思ってもらいたい。


 このやる気がどこからやってくるのか、俺には分かっていた。

 どこまでも湧いてくるエネルギーに突き動かされて、俺は勉強を続けた。



 アトリーが来てから一ヶ月が過ぎようかという頃。


「このあいだ聞かれた質問だけど」

「はい?」


 アトリーが目を瞬かせる。


「えっと、環境保護と経済活動の両立っていう話……」

「あ、はい!」


 テーブルの向こうでアトリーが姿勢を正した。


「教科書には、海面上昇によってマンハッタン島の海抜がマイナスになったことをきっかけに、アメリカが環境保護に大きく舵を切ったことで歴史が動き出した、なんて書いてあることが多いけど、その背景には、当時アメリカで流行していたアニメがあると思うんだ」

「アニメとは、アニメーション作品のことですか?」

「そうだ」


 答えながら、そっとズボンで手汗を拭く。


「森に住む妖精と、人間の少女の交流を描いたファンタジー。人間も自然の一部であることを訴えた作品だった」


 アトリーがメモを取り始めた。


「その作品の監督は、日本人だった。その作品だけじゃない。アメリカをはじめ、世界で高い評価を得ていたアニメ作品の多くが日本のものだったんだ」

「日本とは、いま私がいるこの国のことですね」

「そうだ」


 もう一度手汗を拭く。


「日本には、”もったいない”という言葉がある。古くは”ありとあらゆる物に神が宿る”という考えもあった。物を大切にする文化は、自然を大切にする心につながる。そんな国で作られたアニメが世界に広がり始めたのが、二十世紀後半だ」

「二十世紀ということは、三百年以上も前……」


 アトリーのペンが走る。


「ゆっくり、少しずつ、世界に日本の文化が浸透していった。物を大切にする心、自然を大切にする心、それが染みこんでいったんだ」


 アトリーが顔を上げた。


「環境保護と経済活動を両立させるための”心”。その源は、この日本にある。それが、この間の質問への俺の答えだ」


 すべての言葉を練習通りに言い終えた俺は、ホッとして力を抜いた。そして、もう一度手汗を拭いてから、テーブルの上のカップに手を伸ばす。

 その手を、アトリーが両手で掴んだ。


「あれからずっと考えていて下さったんですか?」

「い、いや、ずっとって訳じゃあ……」

「嬉しいです。すごく嬉しいです!」


 アトリーの瞳が煌めく。


「ありがとうございます!」


 弾ける笑顔は、まさに天使。

 俺はますます彼女に夢中になっていった。


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