俺は病弱な同級生の女子を気にかけて看病している~私はたまに仮病を使って同級生の男子に甘えている
高校に入学してから一ヶ月も経たないある日のこと。俺、岩木啓太が日直の仕事を終えて中庭を歩いていると、同じクラスの女子宮森文乃の後ろ姿を見かけた。宮森は物静かであまり活発ではなく、クラスの中でもあまり目立たない方だ。しかし艶やかで長い黒髪で前髪も目が隠れる程長く、そのミステリアスな雰囲気は一部の男子に噂されている。
だが同じクラスとはいえ宮森と接点のなかった俺は、特に挨拶もせずにその場を去って教室へ戻ろうとしたのだが──突然宮森の体がフラッと倒れそうになった。何か段差につまづいて転んだわけではなく、まるで突然意識を失ったかのような倒れ方だった。
「み、宮森!?」
俺は慌てて宮森の元へ駆け出し、地面に倒れそうになる宮森の肩を掴んでその華奢な体を支えた。宮森は手で頭を押さえながら、その小さな口を開いた。
「ご、ごめんなさい……少し頭がクラッと来て……」
「保健室まで歩けるか?」
「ちょ、ちょっと休めば大丈夫だと思うから……」
保健室は中庭から校舎に入ってすぐの所にある。しかし肩を貸そうにも結構身長差があるし、すぐ近くとはいえまだ具合が悪そうな宮森を放っておくことも出来なかった。そこで俺は──。
「ちょっと失礼」
「ひゃっ!?」
俺は宮森をお姫様抱っこのように抱えて保健室まで急いだ。本当に人間かと不安に思うほど宮森の体は軽く、普段からあまり鍛えていない俺でも軽々持ち上げられるぐらいだった。
俺は宮森を抱えて保健室に入ったが中には誰もいなかった。デスクの上を見ると「買い物に行ってきます」というメモ書きが残されていたため、俺はとりあえず宮森をベッドの上に寝かせていた。
「あ、ありがとう岩木君。多分、ただの貧血だと思うから」
宮森はまだ具合が悪そうにしていたが、俺に精一杯の笑顔を見せていた。いやしかし、あんな倒れ方をするとは貧血も怖いものだな。
「吐き気とかはないか?」
「うん、大丈夫そう」
「なら良かった。んじゃ、俺は先生の誰かに伝えておくから安静にしとけよ」
俺は部活に入っているわけでも塾に通っているわけでもないため予定という予定はないが、今日は積みゲーを消化しようかとなんとなく考えていた。何より病人とはいえあまり親しくない女子と二人きりという状況も気恥ずかしかったため、俺はそそくさと保健室から帰ろうとしたのだが──突然右手を引っ張られた。俺がベッドで寝ている宮森の方を見ると、宮森が俺の制服の袖を掴んで引き止めていたのだ。
「ど、どうかしたか宮森?」
急に具合が悪くなったのかと俺は不安に思ったが、宮森は布団を深く被って顔を隠しながら言った。
「も、もうちょっとだけ側にいて……」
……何だよそれ。そんな控えめに袖を引っ張られながらそんなこと言われると積みゲーなんてどうでもよくなってくる。
「わ、わかった」
宮森の言葉に俺は思わずドキッとしてしまったが、具合が悪い時に一人ぼっちなのもさぞ心細いことだろうと思って、宮森が寝ているベッドの側に椅子を持ってきて宮森の回復を待っていた。
三十分ぐらい経つと宮森の具合も良くなり、丁度保健室の先生も戻ってきて「ただの貧血かもしれないけど気をつけて帰ってね」とのことだった。ただ……「岩木君も一緒に帰ってあげなさい」と俺が宮森の付き添いをすることになった。
宮森は幼少の頃から体が弱く、小学生の頃は長く入院していた時期もあったらしい。今は大分症状も軽くなり普通に学校に通えるようになったとのことだが、ちょっとした気圧差や寒暖差で体調を崩しやすいようだ。
俺は宮森と一緒に帰りながらそんな話を聞いていたが、昔のことを話す宮森が少し辛そうに見えた。だから俺はあえて音楽や映画、役に立ちそうもない雑学など色んな話題を宮森に振ってみることにした。
普段物静かな宮森は内気な性格なのかと思っていたが、色々話を振ってみるとよく喋ってくれる子だと俺は気づいた。宮森も多趣味なのかエルヴィス・プレスリーの生涯からヨコヅナイワシの生態まで幅広い話に興味を持ってくれる。話によると病弱で家にいることの多かった宮森は漫画や小説だけでなく図鑑等いろんなものに目を通してきたため知識欲がすごく、俺の話にさらに雑学を付け加えてくる程だ。
高校から駅までの道中、電車の中、そして駅から宮森の家まで雑談を続け、郊外の住宅地の中に堂々と佇む豪邸の前で俺は宮森を見送った。うん、何かよくわからんけどもしかしたら宮森の家、滅茶苦茶お金持ちかも。
「じゃ、また明日ね岩木君」
「あぁ、また明日」
保健室の先生に宮森を送ってやれと確かに言われたが、宮森は途中までで良いからと申し訳無さそうに言っていた。
しかし俺は宮森に嘘をついてしまった。俺の家もここから近いから、と。本当はここから三駅手前だったとか、急行よりも各駅停車の方が早かったとか言えない。それもこれも、宮森を一人で帰すのが不安だったからだ。
その後、宮森が体調を崩す度に俺が宮森の看病をするようになった。何も宮森はそんなしょっちゅう倒れているわけではないが、俺が宮森のことを心配しすぎているという節もあり、俺からよく声をかけるようになった。俺はそんなお節介焼きではないのだが、何か下心があるのかと聞かれればそうではない。
ただ、何だか宮森が段々と俺との距離を詰めてきているような気がする。
例えば、中庭で宮森が具合が悪そうにベンチに座っていた時に声をかけると──。
「ちょっとだけ、側にいてほしいの」
と宮森は俺の制服の袖を掴んで言う。放課後ならあまり人目はないが、昼休み中の中庭は他の生徒達も多い。そんな中で二人きりでベンチに座るのも恥ずかしかったが、そんな弱々しく言われると俺も断る気が起きなかった。
「いつもありがと、岩木君」
そう言って宮森は俺の右肩に頭をコテン、と乗せてきた。いや、宮森がそれで良いなら構わないし、病弱だから仕方ないな。何かクラスの友人達がニヤニヤしながら俺のこと見てるけど、別に付き合ってるわけでもないから優越感にも浸れない。
また、例えば体育の授業中に倒れて保健室に運ばれたと聞いて心配になって保健室に行くと──。
「て、手を握ってて……」
前までは側にいて喋ってほしいとか眠るまでは側にいてとかだったのに、何故か俺は宮森の手を握らされるようになった。宮森の小さな手を握り、ふと俺は何をしているのかと我に返りそうなこともあるが、まぁ具合が悪いと寂しく感じることもあるだろうと思いながら俺は宮森が眠るのを待った。
スゥスゥと寝息が聞こえてきたため俺は教室へ戻ろうとしたのだが、宮森の手が俺の手を掴んで離さない。これは困った、なんで寝てんのにこんな力強く握れるんだよ。まぁ、宮森の寝顔を眺めながら授業をサボるのも悪くないかと俺は納得することにした。
「文乃ちゃーん、大丈夫ー?」
昼休みに入ると、宮森の友人の女子、牧野が保健室へ入ってきた。だが、宮森に手を握られている、いや多分俺が宮森の手を握っているように見えたであろう牧野はニヤニヤしながら「これはお邪魔だったかな~」とそそくさと保健室から去っていってしまった。
もう何か、俺が宮森専門の看病係みたいになってる。
さらに高校に入学してから一年が経ち、二年生になって間もない四月のこと。ある日、宮森が体調を崩して学校を休んだのだ。病弱な宮森が学校を休むこと自体はそんな珍しいことではないが、何故か家が近いわけでもない俺が宮森の家までプリントを運ばされることになった。確かに俺も何度も宮森の家まで一緒に帰ってるから場所はわかるけれども、もう担任まで俺と宮森をセットみたいに考えてるぞ。
宮森の家に着き、立派な門についているインターホンを押す。
「あ、岩木啓太と申します。宮森さんに学校のプリント届けに来ました」
するとシックな色合いのモダンな邸宅の玄関から宮森と同じ様に長い黒髪だが、背も高くナイスバディな女性が出てきた。まさかこれがお母さん!?と俺は驚いたが、多分お姉さんだろう。宮森の目元は前髪で隠れていてあまり見えないが、なんとなく似ている気がした。
「ほほ~ん」
お姉さんらしき女性は門の向こうで俺のことをニヤニヤしながらジロジロとまるで品定めするように見ていた。
「貴方が噂の岩木君ね?」
「どの噂かは知りませんが、確かに岩木です」
「私は文乃の姉の円香よ。大学一年生、ピッチピチの十九歳。気軽に円香さんって呼んでくれていいよ」
円香さんは笑顔で門を開けながら言う。何かキャラが宮森と全然違うなこの人。
「あ、これがプリントです」
俺は鞄から色んなプリントを取り出して円香さんに渡そうとした。そのまま円香さんに渡して俺は帰ろうと思っていたのだが、プリントを持っていた俺の手を円香さんは掴んで言った。
「折角だから上がってく? 文乃も喜ぶと思うから」
「え、いや良いですよ。俺はプリント届けに来ただけなんで」
「良いから良いから」
俺は円香さんに腕を引っ張られて無理矢理家の中に通された。宮森の家は何か内装も高級感があるというか、色合いも装飾もシンプルに見えるけど、高級感のある家具やインテリアが並んでいて、俺は緊張しながら廊下を進んでいた。
「いや~文乃からいつも話は聞いてるよ。よく助けてくれるって。ウチの親もお礼を言いたがってるんだけど、生憎今日は二人共出張でさ。私が丁度春休みで帰ってきてて良かったよ」
階段を上がると、『あやの』という札がかけられたドアの前で円香さんが立ち止まった。うん、どう考えても宮森の部屋だな。俺はてっきり客間とかに通されるのかと思ってたけど、随分とダイレクトだなぁ。
「いや、あの円香さん? ここ……」
「うん、文乃の部屋。文乃ったら高校生になっても甘えん坊だからさ、甘やかしてやってよ」
「俺がですか?」
「そのために来たんじゃないの?」
いや、さっきプリントを届けに来たって俺は言ったはずだよな? 円香さんは部屋のドアをノックもせずに開いて、戸惑う俺を部屋の中に押し込んだ。
意外と、と言うのは失礼かもしれないが、宮森の部屋には大きなクマやペンギン等の可愛い動物のぬいぐるみがたくさん置いてあって、部屋の隅に置かれているベッドの周囲ではぬいぐるみや小物が寝ている宮森を見守るように佇んでいた。もう逆に視線を感じすぎて落ち着かなさそうだ。俺と円香さんが部屋の中に入ってきたことに気づいたのか、宮森はベッドから目をこすりながら起き上がった。
「ふぁ……お姉ちゃん、もうご飯出来た……って、あれ」
「あ、どうも」
「……え?」
俺と宮森が沈黙している中、円香さんはニヤニヤと笑いながら宮森を眺めていた。
「うひゃああああああああああっ!?」
宮森はベッドの上で驚いてジタバタとしていたが、すぐに円香さんに頭をコツンと叩かれていた。
「こら、ちゃんと寝ときなさい。ほら、今日は岩木君が看病してくれるんだから」
「そ、そうなの岩木君?」
「え、あ、うん、そうだね」
まぁ確かに宮森の病状も気になってはいたけど、俺はプリントを届けて帰りにゲーセンにでも寄ろうかなって考えてたぐらいだよ。俺も成り行きに身を任せたけど驚いてるよ。まさかいきなり女子の部屋にぶち込まれるとは思ってなかったし。
何故か俺は宮森の部屋で看病をすることになったが、宮森は既に熱も収まっていてそんなに具合が悪いわけではなく、今は安静にしているだけのようだ。円香さんが作ってくれたおかゆも普通に食べてたし、割と元気そうだからプリントの内容を軽く話して帰ろうと思ったのだが──。
「も、もうちょっとだけいてほしいの……」
まぁ、病人にそう頼まれてしまったら断れない。今日学校で習った範囲について宮森に教えることになり、宮森はベッドから起き上がって自分の机に向かおうとしたのだが、突然宮森の体がフラッと倒れそうになり──。
「み、宮森!?」
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──神様。私は悪い女の子です……。
「まだ具合が悪いか?」
ううん、全然悪くありません。
「ちょ、ちょっとだけクラッと来ちゃって……」
ごめん岩木君、今は全然なんともないの。でも、でも──。
「少しだけ、このままでいさせて……」
「お、おう?」
岩木君が私の肩を掴んで、丁度私の顔が岩木君の胸に当たっている状態のまま、私は岩木君の体に寄りかかった。
ごめん、岩木君。たまに、本当にたまにだけど、私は仮病を使って岩木君に甘えちゃってるの。岩木君の優しさと温もりが恋しくなって、つい魔が差して……勿論これが悪いことだって私自身も気づいてる。岩木君の優しさに付け込んでこんな悪いことをしている自分が情けないけど……でも、もうちょっとだけ……。
「あまり無理はするなよ」
ひぃえぇああああああっ!? 岩木君が初めて私の頭を撫でた!? そうだよね、私ちっちゃいから頭が丁度良い位置にあるもんね、私が狙ったわけじゃないからこれはセーフだもん。私は悪くない。
あぁ……お姉ちゃんが岩木君を私の部屋に入れた時はびっくりしたけど、昔から憧れてた好きな人が、あっ好きって言っちゃった、まぁいいや。昔から憧れてた看病イベントを体験できるなんて!
本当はおかゆをフーッフーッって冷ましてあーんしてほしかったけど、それは流石に恥ずかしくて言い出せなかった。でも、勉強を教えてもらうぐらいは良いよね?
「……んで、ここまでは予習しておいた方がいいぞ」
「あ、ありがと岩木君」
机に向かって教科書を捲る私の後ろから岩木君が教えてくれる。高校に入ってから出席日数とか単位とか、やっぱり学力的に不安なところもあったけど、岩木君が親切にしてくれてるおかげでとても助かっている。岩木君って自分ではあまり頭良くないからって謙遜してるけど教え方が凄いわかりやすいし、私のためにこんな親切にしてくれるし……。
「宮森?」
「え、どどどどうしたの?」
「何かボーッとしてたけど、熱でもあるのか?」
いや、岩木君のことを考えてただけですが。
流石にそれを岩木君に言うわけにもいかず私が笑って誤魔化していると、岩木君の手が私の顔に近づき──私の長い前髪の内側に手を通して、額に手を当てた。
「あー、まだ少し熱っぽいかもな」
ずおおおおおおおおおっ!?
いいえその熱っぽさは確かに冷めきってなかったかもしれないけど私の乙女心がくすぐられているが故なんです。良かったぁおでこ同士を当てられなくて。岩木君の顔が目の前にあったら失神してたかも。
「もう少し休んどいた方が良いぞ宮森。今はまだ良いかもしれないが、これから先に響くからな」
私は岩木君に促されてベッドに戻って横になって布団を被っていた。
「んじゃ、俺はもう帰るよ。ま、また明日な宮森」
そう言って岩木君は鞄を持って家に帰ろうとしていた。でも私は──ベッドから手を伸ばして口を開いた。
「も、もう少しだけ側にいて……」
うん、神様。私はダメな女の子です。別に一人でも寝れるのに岩木君を引き止めてしまいました。
「……寝付けるまで手を握ってれば良いか?」
「うん、お願いします……」
大分私のお願いの種類がわかってきたらしい岩木君は、ベッドのふちに座って私の右手を握ってくれた。いつもはお姉ちゃんやママが、病院に入院していた時は看護師さんが、いつもこうして手を握ってくれていた。具合が悪いと一人でいるのが怖くなっちゃって、なんて子供っぽいんだろうと自分でも思うけど……不思議ととても寝付きが良くなるの。
夢に見た看病イベント、それは私にとってとても濃密な時間だったけど……私はふと、どうして岩木君はこんなに私に親切にしてくれるんだろうと考えた。
もしかして、私のことが好きだったり──いや、それは流石に夢を見すぎかな。
ただちょっと、私は確かめたくなった……。
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あの、宮森さんや。俺が提案してしまった手前どうすることも出来ないんだけど、俺ってどのタイミングで帰ればいいの?
あの、宮森さんや。めっちゃ気持ちよさそうに寝てらっしゃいますけど、俺の右手ががっちりホールドされてるんですが。俺はどうやって帰ればいいの?
「お、もう寝ちゃったか~」
コンコンと部屋のドアをノックし、こっちの答えを聞かないまま円香さんがドアを開いて中に入ってきた。
「いやー、文乃ってば誰かが手を握ってくれてないと不安になっちゃうみたいでさ。夜に寝る時なんかは一緒のベッドで寝た方が早かったりするんだよね」
そう言いながら円香さんはベッドのふちに座っている俺の隣にドシッと座った。
「私は昔から文乃の看病してたけど、大学に進学するってなった時にどうしても引っ越さないといけなくなっちゃってさ。でも文乃のことが心配で、長い休みになったらいつも帰ってきてるんだけど……君のおかげで助かってるよ」
「それなら何よりです」
「それが君の負担になってないなら良いんだけど、嫌なら嫌って言って良いんだよ?」
「いや、俺は楽しくやらせてもらってるんで」
「ふーん……」
すると円香さんが急に俺の顔を覗き込んできた。俺はつい気恥ずかしくなって顔を背ける。宮森って前髪が長くて目元がよく見えないけど、円香さんに似ているのかなと想像していると、円香さんが口を開いた。
「もしかして、身内に病弱な人がいるの?」
俺は「いや」と否定したつもりだったが、その声色や顔に出てしまっていたのか円香さんは笑っていた。
「まぁ、話したくない事情があるならしょうがない。君も大変だったんだね?」
「いや、それが宮森に親切にしている理由だとは思われたくないからです」
「じゃあ違う理由があるんだ?」
俺は再び円香さんから顔を背けた。別に俺は相手が宮森だから気にかけているわけではない……最初はそう思っていたが、今となっては特別な気持ちを否定することが出来ない。
「まーまーまー、焦ることはないよ少年。大丈夫だって、私の妹はちょろいから」
「そうなんですか?」
「今、自分の右手を見てみたら?」
俺は自分の右手の先を見た。スゥスゥと寝ている宮森にガッチリホールドされてしまっている。
「あの、俺帰れないんですけど」
「もういいの? じゃあこうして……」
すると円香さんは俺の手から宮森の手をガッと引き剥がして、代わりに自分の手を握らせた。あ、そんな感じで良いんだ。まだ宮森眠ってるし。
「じゃあね岩木君。また来なよ、ウチの両親も君のこと気に入ってるから」
「……考えときます」
そういや宮森と知り合って一年近く経ち、何度も宮森の家まで一緒に帰っているが、まだ親御さんと会ったことはない。一体宮森がどんな風に俺のことを話しているかわからないが……俺は円香さんに別れを告げて家へと帰っていた。
……宮森を気にかけている理由、か。
いずれ、俺も勇気を出さないといけない時が来るだろう。
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翌日。すっかり具合が良くなった私は学校に登校できたけど、放課後に軽い貧血で具合が悪くなっちゃって保健室のベッドに座って休んでいた。そんな寝込むほどじゃなくて一時安静していれば普通に帰れるぐらいだったんだけど、何故か友達が岩木君を保健室まで連れてきた。なんでだろ。
「具合はどうだ?」
いつも通り岩木君は私が座っていたベッドの向かいに腰掛けた。
「ううん、ちょっと目眩があったぐらいだから」
「そうか。階段とかだと危ないからちゃんと手すりを使うんだぞ」
もう何だか岩木君がママみたいなことを言い始めた。そんなに私は子供っぽいかなぁ……いや、高校生にもなって寝る時に手を握ってだなんて言わないよね普通。
「き、昨日はありがとね岩木君。お姉ちゃんが何か変なことしなかった?」
「いや、良いお姉さんだと思うぞ」
「そ、そうだったんだ」
まさか、丁度お姉ちゃんが大学の春休みで帰ってきてる時に岩木君が来ちゃうなんて。お姉ちゃん、すっごく美人だから大学でもモテモテみたいだし……あ、でもお姉ちゃんのおかげで岩木君が私の部屋まで来て看病してくれたんだし……。
「今日は歩いて帰れそうか?」
「うん。もう少し休んでから、その……」
「あぁ、俺もついてくから」
「いつもありがと、岩木君……」
私はつい、何かしら口実をつけて岩木君と一緒に帰っている。岩木君とのお喋りが楽しくて、岩木君と一緒にいる時間が楽しくて──でも、私は岩木君に聞かないといけないことがあった。
「ね、ねぇ岩木君」
「どうかしたか?」
「岩木君の家って、○○台駅にあるんでしょ?」
岩木君の家も私の家から近いからと言って岩木君は私の家まで付き添ってくれるけど……つい最近、それが嘘だということに私は気づいてしまった。クラスで岩木君と男子達の会話が偶然耳に入った時、岩木君の家が私の最寄り駅から三駅も違う場所にあることを知った。しかも岩木君の家の方が高校に近いから、岩木君はわざわざ遠回りをして、しかも通学定期の範囲外なのに一緒に帰ってくれている。
ただ、私はそれを岩木君に直接聞けなくて……でも、このままじゃいけないと私は決めたんだ。
「……いや、宮森に嘘をつくつもりじゃなくてだな」
「ううん、それはいいの。岩木君の気持ちだけで嬉しいから……でも、どうしてそこまでして、岩木君が私に親切にしてくれるのか気になって」
すると岩木君はベッドから立ち上がって窓際まで移動すると、外に見えるテニスコートを眺めながら言った。
「俺、一つ下の妹がいるんだよ。瑠璃って名前の」
テストとかで名前書くのすごい大変そう。
「俺の妹は喘息持ちで、少し走ったりするだけですぐに発作が起きてしまうんだ。冬場は特にひどくて呼吸困難になることもあるから、パニックになることもしばしばだったな」
私は喘息じゃないけれど、話には聞いたことがある。呼吸困難とかになって自分に死が迫っているかもと自覚すると、急にすごく怖くなるんだ。大げさかもしれないけど、一人でいる時は本当に不安になる。
「それに免疫もあまりなかったからか、風邪とかインフルとかいろんな病気にかかっていつも寝込んでいたんだ。俺は幸いにも体が強かったから良かったけど、やっぱり具合が悪い時は不安なんだろうな、いつもは俺に素っ気ない妹が甘えてくるんだ」
……うーん、じゃあ私ももしかして妹のように思われてるってことかな。確かに岩木君ってお兄さんっぽいなとは思ってたけど。
「親も仕事で忙しいし、妹はどうしても俺がいないと嫌だって駄々をこねるから、俺も学校を休んで一日中つきっきりで看病したこともあったな。……側で見ていると本当に辛そうだから、少しでも和らげてあげたいんだ。俺はバカだから近くにいても風邪を移されないからな。手を握ってだとか頭を撫でてだとか、そう甘えてくる妹が可愛かったからな。
そう、俺の妹は……本当に可愛い奴だったよ。本当にな……」
岩木君は儚げに外に見えるテニスコートを眺めながらそう呟いた。まるで、もう存在しない幻に思いを馳せているように──。
……え、もしかして。
「そ、その岩木君の妹は……」
「あぁ、あそこにいるよ」
……え?
「あの赤いリボンつけてるツインテールのやつ」
あ、ホントだ。テニスコートで元気にラケット振ってる一年生っぽい女の子がいらっしゃいますね。話の流れからしてもういなくなったのかと思っちゃったけど普通に元気そうにしてる。
「喘息も治って今じゃすっかり健康体って感じだな。でもおかげで俺が看病することもなくなったし、妹もすっかり俺に素っ気なくなってしまったんだ。これが反抗期ってやつか……可愛かった頃の妹はもういないんだ……」
だから儚げに妹のことを恋しそうに語ってたんだ。何かすごい勘違いしそうになったけど元気みたいで何よりだよ。
「じゃ、じゃあ岩木君が私に親切にしてくれるのって、その妹さんのことが恋しくて?」
「最初はそう思ってたんだ。でも今は違う」
すると岩木君は私の前まで来て、私の肩を掴んだ。
「俺、宮森のこと好きだから」
岩木君のその言葉を聞いて、私は卒倒しそうになった。今まで何度も倒れたことがあるけれど、まさか本当に頭が真っ白になって失神しそうになるとは思わなかった。
「わ、私のことを……?」
「俺は宮森を看病するのが好きってわけじゃない。宮森と一緒にいることが幸せなんだ」
「で、でも私あまり体が強くないから、あまりデートとかには行けないかもしれないよ? 遊園地とかも行ったことがないし」
「デートは場所で決めることじゃないだろ」
「それに、私なんかよりもっと元気な子の方が……」
「俺が好きな奴のことを貶すんじゃない。俺は宮森じゃないとダメなんだ──」
---
俺はこの想いをド直球で宮森にぶつけた。照れくさそうに顔を背ける宮森がすっげぇ可愛い。
「わ、私も前から岩木君のことが好きだったの」
「え、マジで?」
「好きじゃない人に、手を握ってだなんて言わないよ……」
そう言って恥ずかしそうにしている宮森がますます愛おしく見えた。
「宮森……お前もきっと、俺の妹みたいに元気になれるよ。いや、俺がそうしてみせる」
「フフッ、すごい夢みたい……あと岩木君、私のこと文乃って呼んで。わ、私も啓君って呼ぶから」
「……それは具合が悪い時のお願いか?」
「ち、違うもん!」
こうして俺と宮森、いや文乃は付き合うことになった。俺が告白した日、そのまま文乃を家まで送ってお姉さんに報告すると、ついでだからと文乃のご両親と顔を合わせることになったが、何か初対面のはずなのに滅茶苦茶俺のことを知ってたから何か怖かった。どうやらいつも文乃のことを助けてくれている男子の話を文乃から嫌ほど聞かされていたらしい。
その後も俺は病弱な文乃を看病することも多かったが、文乃の幼い頃からの夢だったという遊園地やお祭りなど、いろんなところに俺は文乃を連れて行った。勿論それは文乃の体調と相談しながらのことだったが、とても充実した高校生活を過ごせたと思う。
そして、俺と文乃が付き合い始めて二年が経ち────。
「あのー、文乃さんや」
「ぐがー」
布団の中で、文乃が俺の体に抱きついて離さない。完全に身動きが取れないんだが。
「寝たふりをしてるのはわかってるんだ、早く俺の体を離せ」
「んー……啓君が一緒にいてくれないと頭が痛いかもしれない」
「仮病を使ってるのはわかってるんだ、早くしないと講義に遅れるぞ」
高校を卒業して同じ大学に進学した俺と文乃は、双方の両親の了承のもと同棲を始めることになった。その方が俺が文乃を看病しやすいだろう、と。
ただ……文乃はもう俺の看病が必要ないぐらいには大分健康体になった。病弱キャラはどこに行ったのか。
支度を済ませて俺は文乃と一緒にマンションを出た。最寄り駅まで歩いて、そこから電車で三十分ほどの場所に俺と文乃が通う大学がある。
「ほら、啓君。その……手を握って」
昔は人前だとあんなに恥ずかしがっていたのに、文乃は寝ている時じゃなくても普通に手を握ってくるようになった。逆に俺が恥ずかしくなってくる。
「ねぇ啓君、今日の晩ごはんはおかゆが良いな……」
「なんだ? 胃の調子が悪いのか?」
「ち、違うもん。たまには啓君が作るおかゆが食べたくなって……」
何か普通は病弱だった頃を思い出すからそういうのは毛嫌いするものかと思うんだが、何故か文乃は元気なときでも俺が作るおかゆをねだってくるのだ。
「わかった。今日も元気に一日過ごせたら考えとく」
「わーい、あの塩加減がたまらないんだよね……」
「だからって無理はすんなよ。何かあったらすぐに連絡するんだぞ」
「うん」
「まだ肌寒いからって水分補給を怠るんじゃないぞ。運動する時はちゃんと準備運動をして……」
「わ、わかったから」
大学にも親切な友人達がいて文乃のことを気にかけてくれているが、やはりまだどこか心配な部分もあった。文乃は元々頑張り屋な性格なのだ、せっかく体調が安定しているのに無理をして体を壊してしまっては勿体ない。俺ももっと文乃といろんな場所に行きたいと思っているが、我慢をしながらスケジュールを調整している。
俺と文乃が手を繋いで喋りながら駅へ向かって歩いていると、急に文乃の体がフラッと不安定になった。
「あ、文乃!?」
俺は慌てて文乃の体を抱き寄せた。文乃の長い黒髪が俺の腕にかかる。
「貧血か?」
「う、ううん……ちょっと、啓君の胸が恋しくなって」
成程、それでわざわざ仮病を使ったと。素直なのか素直じゃないのかわからんな。
「いい加減やめてくれよ、今は可愛いから許してやるが」
「えへへ……大好き」
うーん、俺もまだまだ文乃に甘いなぁ…………。
完