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没落3

* 


「あにうえー、ま、まってー」


「グウィののろま!」


 森の奥の泉を目指してアルディウスと競走していたガレベーラは、後ろから来る小さな少年を待った。

 その頃、ガレベーラが森だと思っていたそこは城の中のただの庭だった。

 とにかく広くて、王城に行くたび、違う遊び場を見つけたものだ。


「ガ、ガレベーラ……、待っててくれて、あ、ありがとう……」


 ようやく追いついたグウィディウスは、全身で呼吸をしている。息も切れ切れでそう言い、赤くした顔は苦しそうで、涙目になっていた。


「グウィ、一緒に行きましょ」


「ごめん、ぼく、のろまで……」


「まだ幼いんだもの、当たり前よ」


 アルディウスより五つ下の弟は、何につけてもアルディウスはおろかガレベーラにも敵わないことばかりで、いつも必死に二人の後を追う姿は王城では見慣れた光景だった。


 それは単に年の差のせいだと思われていたが、兄弟の性格の違いもあったらしい。

 数年後、二人の王子は全く違った成長を遂げた。


「ガレ、今度の剣術模擬試合、観に来るの?」


 とある夜会で、顔を合わせたグウィディウスは珍しく不機嫌だった。


 穏やかな性格は第二王子の長所でもあるし、今宵の社交やダンスを得意とするのは弟の方でもある。


「ええ。グウィも出るんでしょ?」


 ガレベーラが仰ぎ見なければ、その憂いを帯びた表情が伺えないほどに、小さかった王子は今や立派に成長していた。


「出るけど、……僕が優勝するのは難しいと思う」


 王子は十二で成人の儀を迎えると、近衛見習いに混じって剣術指南を受けなければならない。

 剣は必修だというのに、グウィディウスは昔から苦手なのだ。そのせいで試合も憂鬱らしい。

 一方で、兄のアルディウスは試合に出られるようになって二年目で、決勝戦で近衛騎士団の団長と対戦するほどの天賦の才の持ち主だった。


 神はアルディウスにないものをグウィディウスに与えた。

 武力より学力を、勇ましさより優しさを、逞しさより品性を。


 父である王に似た兄に対して、グウィディウスは顔も髪の色も、瞳の色まで側妃であった亡き母と同じ、透き通るような緑色で、儚げな雰囲気と相まって美男子としての評価も高い。


「グウィディウス、貴方が勝ちたいと言えば、忖度されて優勝できるかもしれないわよ」


 ガレベーラが肩をすくめれば、

「そんなので一番になってもなんの意味もない」


「そんなことを言い出したら、模擬試合の優勝なんて称号にこそ意味はないとわたくしは思うけれど」


「でも、やっぱり男は強い方がいいだろ?」


 拗ねたように言うグウィディウスが可愛らしくうつって、ガレベーラは笑ってしまった。

 王族の盛装で立つその姿は、王宮のシャンデリアよりも眩しいくらいなのに。


「そうかしら。わたくしは別にどちらでも」


「そう? だったら気も楽だけど」


「ええ、事実、わたくしは強いよりも心優しい方が好きよ」


「なら、少しは僕に有利だな。心優しいかどうかはわからないけど、少なくとも強くはないから」


 この広間で、一、二を争う身分にあるとは思えない情けない顔で笑った。

 しかし、やがて真面目な顔に戻って、

「……ガレ」


「なあに?」


「兄上と……結婚するの?」


 近頃、アルディウスの結婚が現実味を帯びた話として王都では囁かれている。

 その第一候補にガレベーラが挙がっていることは、年齢的にも関係的にも、当然のことであり、また順当でもあった。

 ガレベーラは王太子妃としてなんら問題はなかったし、ガレベーラが嫁ぐに最も相応しい男性はこの王国にアルディウス以外にいない。


「……グウィディウスこそ、貴方の妃になりたいご令嬢たちからの熱い視線には気づいていて?」


「知らない……。知っていても僕には関係ないよ」


「わたくしも、アルディウス殿下がどなたと結婚されるかなんて関係なくてよ」


「それは……」


 言いかけて言葉を途中でやめたグウィディウスは、ガレベーラに向かって手を差し出した。


「一曲どう? 兄上の視線が痛いけど」


「喜んで」と手を重ねる。


 踊り終え、解放されるときに、グウィディウスは呟くように言った。


「……僕の結婚相手がガレベーラに無関係でないと、いいな」


 その後、アルディウスは五代貴族のうちのカトル家ではない家の令嬢を正妃に迎えることになった。

 ガレベーラの想い人も、そしてグウィディウスの想いも、どちらもアルディウスはよく知っていた。



「以前から、海の向こうの帝国に興味があった」


 密かに呼び出され、二人きりで会った王城の庭でグウィディウスは言った。


「もっと学びたいんだ。知識を増やしたい。知らないことを知りたい。それに、行けば、僕は僕にもっと自信が持てると思う」


 グウィディウスが留学の資格を得る試験に通ったと聞かされた。


「兄上が結婚した今だから決心がついたなんて言うと、ひどく格好悪いけど。最大のライバルである兄上を自由にさせておく自信は僕にはないからね」


「それは、どのくらいの期間なの?」


「……少なくとも三年という約束だ」


「さん、ねん……」


 ガレベーラには途方もなく長い期間に思えた。


「この先の三年、ガレベーラが結婚を急かされる時期にあたるだろうことはわかってる」


 婚期を逃すことは、令嬢として何より恥ずべきことと言われている。

 

 しかし、それよりもガレベーラが一番気にかけたのは、三年もグウィディウスに会えないことだった。

 グウィディウスはいつも近くに存在し、一番の理解者であった。


「僕も三年もの間、ガレベーラを一人にするなんて自分を馬鹿だと思うよ。僕のわがままだから、待ってて欲しいとは言えない。僕に誓えるのは、戻った時に僕が君にプロポーズをするという、吹けば飛ぶような『約束の約束』だ」


 ガレベーラはそこでとうとう涙を堪えきれなくなった。 


「待ってるわ。わたくしは貴方以外の方と結婚する気などないもの。だから、必ず帰ってきて」


 グウィディウスは、ガレベーラの手を取り、そこにペンダントを握らせた。


「これは母さんの形見だ」


 大きな緑の石は、グウィディウスの瞳と同じ色だった。


「これで僕を思い出して」


 そして、そっと触れるだけの口づけをガレベーラに残して、グウィディウスは旅立って行った。


 *


 孤児院には一晩世話になり、朝食の前に辞去を告げた。


 今のガレベーラでは、いるだけで彼らの迷惑になる存在だと分かったからだ。

 食事も部屋も、それでなくとも数少ない彼らの取り分を減らすだけだ。


「平気よ。お友達のところへ伺うから。昨夜の寝床を用意して頂けただけでも感謝しています。本当にありがとうございました」


「いえ、申し訳ございません。お力になれず……」


 恐縮する院長に、顔をあげてもらう。


「むしろ、謝らなくてはいけないのはわたくしだわ。あなた方のこと、何もわかってなかった……。パンや食料などもっと必要なものを持ってきていればよかった……。ごめんなさい」


「いいえ。ガレベーラ様にお越し頂けるだけでも、わたくしどもは十分ありがたいのですよ」


 徒歩で大丈夫ですかと院長は言い、「では、せめてこれを」と編んだ肩掛けを手渡された。

 早速羽織れば、暖かいうえに、どことなしに心もとなく感じていた不安が少しましになる。


「……刺繍などではなくて、わたくしたちは編み物の会をした方がよかったかしらね」


 自嘲的に言ったガレベーラに、院長が首を振る。


「ガレベーラ様に頂いた美しい刺繍の上等なハンカチは、あの子たちの唯一といえる宝物なんです。皆、それは幸せそうに日に何度も眺めていますわ」


「本当、に……?」

 

「確かにそれでおなかは膨れません。けれど、夢見ることさえ簡単ではない孤児に、夢や希望を、ガレベーラ様はいつも与えてくださっていたのですから」



 飾りのような靴でも、ないよりはましだったが、足の裏にできた水ぶくれはつぶれ、ひりひりと痛む。

 一歩踏み出すことさえ辛くて、とうとう動けなくなったガレベーラは、長い間、道端にうずくまっていた。


「お嬢様はあいにくご体調がすぐれず、お会いになれないとのことでございます」


 再び門を叩いてみたローズの屋敷ではそう言って断られた。


「あ、あの……、お恥ずかしい話なのですが、食べ物を少し頂けませんか。お菓子ではなく、パン一切れでいいのです」


 恥を忍んで言うと一袋のパンをもらうことできた。


 彼女や彼女たちの家が、なぜガレべーラを助けてはくれないのか、会おうともしてくれないのか、理解に苦しんだ。

 貴族にとって慈善は美徳であり、持てる者の義務ではないのか。


 ガレべーラと結い上げていない髪は昨日から梳くこともかなわず、糸のような細い髪は所々絡まっている。

 寒く、身体が痛む。汚く、疲れ果てて、泣こうにも涙を絞り出す気力もなかった。

 なにより、空腹が限界に近い。


 正直なところ、食欲があるかといえばそうではなかったが、体が食べることを欲しているようだった。


 ローズの屋敷でもらったパンも最後の一つだ。

 これを食べてしまったら、どうすればいいのだろう。またローズのところにもらいに行くのか。

 それでも食べなければもう立ち上がることすらできそうになかった。


 のろのろと義務的にパンを口に運ぼうとしたとき、ふと視線を注がれていることに気づいた。


 小さな女の子の手を引いた少年が、少し離れたところからガレベーラを見つめている。


 兄と妹だろうか。よく似た顔をしている。

 痩せて頬がこけている。向き出た足に靴も履かず、ぼろ雑巾のような服を着ている。


 こんな子どもたちを昨日から何人も見かけた。

 可哀そうだと思っていた孤児院の子どもたちでさえ、十分に恵まれているのだ。


 二人はじっと、ガレベーラが手にしているパンを見ているようだった。


 ガレベーラは反射的に、咄嗟にパンを一口に押し込んでしまおかと思い、次の瞬間、そんな自分に絶望した。


「なんと、卑しいことを……」


 ようやく涙が出た。

 頬を静かに伝って流れる。

 ガレベーラは立ち上がって、二人のもとまでよろよろと近づいた。


「どうぞ、差し上げるわ。ごめんなさい、一つしかないのだけれど」


 少年は何も言わず、真っ黒に汚れた手でそのパンを受け取った。



 ガレベーラは最後の気力を振り絞って、橋の上に立った。


 暗い闇がたゆたうような夜の川はひたすらに無言で、不気味ではあったが、もう怖いとは感じなかった。


 今夜も明日も、生きていくだけならできるかもしれないが、ガレベーラはそこまでして生きていたいとは思えない。


 希望めいたものは、もはやついえた。

 頼る人も居らず、頼れるところに余裕はない。


 貴族の屋敷の、知人の令嬢ですらこんなにも面会が叶わないのに、王城に入れるわけもない。

 そもそも、王族でもないのに王家に助けを求めるなど、許されることではないだろう。


 服の下に隠れていたペンダントに出して、石に触れる。


「ごめんなさい、貴方の帰りを待てなくて」


 どうにか生き永らえたとしても、もうガレベーラに令嬢としての価値はない。

 グウィディウスの名誉を汚すだけの存在だ。

 それは、亡き父の名も同様である。


「さよなら、グウィ……」


 夜風が、ガレベーラの髪をなびかせた。

 月の光に照らされて、銀色に輝く。


 一歩踏み出さんとした時、何かが手に触れた。


 見ると、少女がガレベーラの手を握っている。 

 先ほどの兄妹らしき、二人の子どもだった。


「あなたたち……」


 兄の方がゆっくりと差し出したのは、パンだった。

 さっきのパンの半分だ。 


「……くれるの?」


 こくりと頷く。

 半分の、その半分を兄妹二人で分けるのか。

 三分の一ずつにせず、半分をガレベーラに与えようとしてくれている。


 こんなにも小さく貧しい子どもが、とガレベーラは、くずれるように膝をついていた。


 二人の目線と変わらない高さになって、

「ありがとう。でも、三つに分けなきゃ平等ではないわ」


 ガレベーラは涙をぬぐい、笑顔を作る。


「わたくしに、この街での暮らし方を教えてくれる?」


 両手で二人を抱きしめる。

 けして清潔とはいえない二人を、そして、抱きしめるガレベーラももう華美でも優美でも、美しくもなかった。



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