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薔薇の世界3

 晴れない気分で部屋に戻ると、執事が銀のトレーに白い封筒を載せて顔を見せた。


「お嬢様、お手紙が届いております」


 見慣れた封蝋に、沈みかけた気持ちが一気に明るくなる。


「グウィディウスからね?」


「さようでございます。よろしゅうございましたね」


「ええ、ありがとう!」


 ガレベーラは顔を輝かせ、駆け足でテーブルのペーパーナイフを手に取る。


『親愛なるガレベーラ 変わりはない?』


 手紙はそう始まっていた。

 幼馴染のグウィディウスが海の向こうの帝国に留学して二年になる。

 帝国は船で三月、手紙ですら往復するのにゆうに一月はかかるほど遠い地だ。会うことはもちろん手紙のやりとりすらままならない。


 グウィディウスは言葉も水も違う異国の地で苦労もしているだろうが、それ以上に学びの方が大きいことは想像に難くない。

 なぜなら、グウィディウスからの手紙は毎回、どんな本よりも興奮と驚き、そして感動をガレベーラに与えてくれる。


 それにひきかえ、ガレベーラは毎日、自分の身に起こる平凡さを嘆きたくなることもあった。だからといって、グウィディウスに自慢できるような冒険は貴族令嬢には許されない。


 便せんに口づけると、上質な厚い紙から異国の香りがしたような気がした。


――――ガレに似合う男になって帰ってくるから、どうか待っていてほしい。


 そう言って旅立っていったグウィディウスの気持ちを応援したい。

 ガレベーラは首に下がるペンダントに触れる。

 それでも今、グウィディウスが傍にいてくれればこの憂鬱な気持ちからも解放されるのではないか、早く帰ってきてほしいと、ガレベーラは利己的とわかりながらそう思わずにいられないのだった。

 


「あー! ガレベーラさまだぁ!」


 馬の蹄の音を聞きつけて、すでに子どもたちは孤児院の外に出てきていた。

 馬車から降りるや、幼い子たちがガレベーラのスカートの周りにまとわりついてくる。


「あなたたち、ガレベーラ様に失礼です。おやめなさい」


 子どもたちは毎回のように院長に小言をもらっているが、ガレベーラはこうして迎えてもらえるのは嬉しいので、本音を言えば叱ってやってほしくはない。


 まだここに通い始めた頃、「あなたたちが触ると汚れるからドレスに触れてはいけません」と院長が孤児たちに言ったときには、ガレベーラは自らの無知を恥ずかしく思ったものだ。それからは地味な色目の、できるだけ質素な服を選んで行くようにはしている。

 それでも、子どもたちの目にガレベーラが十分『お姫様』だと映るのは、この階級社会にあっては至極当然のことでしかない。


「ごきげんよう、みんな。元気だった?」


「ガレベーラさま、きょうもとてもきれい!」


「ありがとう。マルゼも今日もとってもかわいいわ」


「ガレベーラ様! 今日の土産は何?」


「クッキーを持ってきたのよ。ああ、慌てないで。たくさんあるから」


「やったあ!」


「社交界の皆様に手伝っていただいて、たくさん刺繍ができたの。お菓子も用意してきたわ」


「まあまあ、ありがとうございます」


 院長は申し訳なさそうで、だが、喜ぶ子どもたちの姿に嬉しそうでもある。


「ほんとうにいつも感謝しております」


「父に寄付もお願いしておくわ。夜会が催されれば、わたくしにも寄付金を集められのだけれど。普段は自由にお金を持たせてもらえないの」


 ここには孤児が二十人ほど集まって暮らしている。

 他にも孤児院と修道院のいくつかを、ガレベーラは月に一度ずつ訪れては差し入れをしたり、子どもたちに本を読んだり、遊び相手になったりしていた。

 子どもたちが喜んでくれるのが嬉しく、それを幸せだと強く感じる。

 粗末な服に瘦せっぽちの子どもたちは、貧しくともその目をきらきらと輝やかせていて、それがどういうわけか、ガレベーラの心になにか希望のようなものを感じさせてくれるのだ。



「やあ、ガレベーラ。孤児の恋人でもできたのかい?」


 王城で開かれた夜会で、ガレベーラに声をかけてきたのは王太子であるアルディウスだった。


「もしそうならグウィディウスに報告しないといけないからね。ガレベーラ嬢はしょっちゅう孤児院を尋ねているって。私はあいつが不在の間の見張り役を仰せつかっているんだから」


「恐れ多くも、殿下のお手を煩わせるようなことは一切ございません。ご心配なさいませんよう」


 母が王女であったガレベーラはその縁で、幼少の頃から城に上がる機会を与えられていた。

 ガレベーラより二つ年上の王太子アルディウスと、その異母弟のグウィディウスとは共に学び、育ってきた仲だ。


 ガレベーラと同じく、グウィディウスも側妃だった生母とは死別している。

 しかし、グウィディウスやガレベーラまでもが、アルディウスとともに現王妃を母のように慕うことを許され、『母の愛情』というものがどのようなものなのかを教えてくれたのは王妃だった。


「君は、将来慈善事業家にでもなるつもりかい?」


 腕組みをしたアルディウスが、ガレベーラを窺ってくる。


「親もなく、さらに貧しくとあっては可哀そうで不憫な子どもたちです。わたくしにできることをやろうと思っているだけですわ。幸い、わたくしには今、時間がたっぷりとございますから」


「グウィディウスものんきな奴だ。ガレベーラを放って外国なんか行くなんてね」


 第一王子のアルディウスがいる限り、グウィディウスには当然、王位継承の確たる約束はない。

 ましてや生母の後ろ盾がなき今、その将来は貴族の子息よりも不安定で危ういものであったから、留学は、王位に頼らない身の振り方を探しあぐねていた彼の光明だったのだろう。

 第二王子という、多少の自由を大目に見てもらえる立場を利用し、グウィディウスは帝国への留学資格を得た。

 選抜試験は王子という身分を隠しての受験で、見事合格だったという。


「女性のために夢をあきらめたり、与えられた幸運を逃してしまう殿方などがっかりですわ」


「だから私はがっかりされたのかな」


「すでに王太子妃がいらっしゃるお方が、めったなことおっしゃらないで下さいませ」


 王太子妃に一番近い姫と言われ、実際に望まれていたのはガレベーラだったが、アウディウスもガレベーラもそうは落ち着こうとしなかった。


「ガレは昔からそうだ。私に冷たい。グウィには優しいのに」


「あら、殿下もわたくしにはいつも意地悪でしたわ」


「それを慰めたのがグウィディウスだったのだから本末転倒だ。だが、あれを支えられるのもガレベーラしかいないよ。ただ、もしもグウィが異国の地から帰ってこぬようなことがあれば、その時は嫁き遅れになる前に俺が迎えてやってもいい」


「まあ、お優しくなられたのですわね、殿下。お情け、覚えておきますけれども、縁起の悪い例えは仰らないで下さいませ」


 からかうように笑うアウディウスに冗談めいた返しをしてから、ガレベーラは人知れずそっと胸元に光るペンダントに触れた。

 女性の結婚適齢期と言われる十七はとっくに過ぎ、ガレベーラはもう二十歳だ。

 グウィディウスは三つも年下で、さらには期限が最低三年と定められている留学から帰るのは早くても来年のこと。


 それでも、ガレベーラは待つと決めているのだ。

 秘密の口づけとともに、『待っていてほしい』と言われたのだから。


 その時、大勢の人が集うフロアのなかに、ガレベーラは目を留めた。


「今夜はトーロ夫人がいらっしゃってるわ」


「ああ、本当だ。珍しいな」


「殿下、御前失礼させて頂きますわ」


 ガレベーラはたっぷりと(かさ)のあるドレスのスカートを翻す。


「本当にガレベーラはつれないなぁ。昔からだけど」


「トーロ夫人にどうしてもご挨拶申し上げたいのですわ。何卒お許しを」


「あとで君の募金箱に気持ちばかりだが入れるように言っておく。けれど、相手には私からだということは言わなくていいから」


「殿下、ありがとうございます」


 シャンデリアの輝きにも劣らぬ目映い笑顔を残して去っていく幼馴染の姫の背中をアルディウスは見送った。


 幼いころ、母を亡くしたガレベーラは泣いてばかりで、アウディウスとグウィディウスはそんな姫を喜ばせよう、笑わせようと必死に考えたものだ。


――そしてそれはいつも弟の方が得意で、さらに弟は今もずっとガレベーラを笑顔にすることだけを考えている。


 グウィディウスが留学などと言いただしたのは、おそらく兄に勝るものをも身に着けるためだとアルディウスは考えている。

 順番ではどうしたって劣ってしまう第二王子という身分では、ガレベーラに見合わないと思ったのだろう。

 身を立てるにも、昔からグウィディウスは剣術をあまり好まなかったから、武ではなく学の方を選んだ。さらに、第一王子ではけして叶えられない挑戦である『留学』を切り札とした。

 

 ガレベーラは、家柄も完璧で、その容姿もこの中で一番といえる。人柄も朗らかで優しく、貴賤を問わず、奉仕活動にも熱心という非の打ちどころのない令嬢だ。


 青々とした時期は過ぎたものの、今のガレベーラは成熟した余裕と魅力を兼ね備えるようになってきた。

 引く手ならあまたにある。なんなら諸外国からも望まれる女性である。世が世なら格好の外交の駒になっただろう。


 アウディウスはグウィディウスのためにも、ますます目を光らせておかねばと思う一方で、正直なところ、アウディウスも一介の令嬢の動向に割くような時間はほとんどない忙しい身だった。

 それ以前に、五大貴族であるカトル家で大事に育てられている姫だ。そこまでの心配は必要ない。なぜならこの国でそうそう彼女に手出しできる身分の男はそういないのだから。




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