8.!見抜いてる!
製鉄所の中は、私には未知の世界だった。あちこちから鉄の巨大なパイプと細い通路が伸び交い、人もいないのに天井から鎖に繋がった巨大なベンチみたいなものが移動していた。後で聞いたら鉄を運ぶゴンドラと言うらしい。そしてその下に、グツグツと煮立つ鍋があって、真っ赤に光る液体が見えている。びっくりすることに、赤い液体は熱くされて溶けてしまった鉄らしい。
「入ったら骨まで溶けちゃう……痛いからこの死に方はおすすめしない……」
そして一番目につくのは、壁や柱に取り付けられた巨大な無数の歯車が、繋がりあって音を立てて動いている様子だった。
「ソルベントの技術だよ。……ここは人がいなくても動くように設計された……新しい製鉄所なんだ。実は俺もちょっと手伝ったんだ。えへへ」
サイン曰く、さっき撃ち込まれたのは、見た人の目を一時的に使えなくさせる機械だったらしい。
ようやく見えるようになった私は、分かっていたけどサインに抱きかかえられている。彼は飛び交う通路を飛んだり降りたりしながら疾走していた。製鉄所の出口を目指しているらしい。
もちろん、すごく怖い。色んな意味で!
「サイン!」
「はあい」
サインが返事をした瞬間、足元からパン!という音が聞こえてきた。斜め上から銃を構えた男が見えた、と思ったらその銃が飛んで空中に舞っている。
サインが下に向かって銃を振って、そこからガチャンと音がした。硝煙の独特な匂いがした。
「エリィ、なに?」
「あ、……あの、ソルベントの当主様は、サインのご家族なの?」
「うん。叔母さん」
「すごい殺しに来てるけど……!」
ソルベント商会の男たちは製鉄所の中を走り回って、私たちを見つけ次第撃ち込んできた。一切の迷いなく。
私はともかく、サインはもともと身内だったはずなのに。
「怒ってたね」
「お、怒ってたって」
「仕方ない。俺、昔から出来が悪くて、父さんみたいにはなれなかったし、迷惑ばっかりかけたから」
眉尻を下げた私に、サインはヘラヘラ笑ってから通路の途中にあるパイプの隙間に滑り込んだ。
「可哀想だと思った……?」
「は、」
「さっき思ったんだ。エリィはきっと、俺を生き返らせたことに負い目を感じてる」
私はギクッと身体を引き、背後のパイプに後頭部をぶつけた。サイン=マキナの目が仄暗い光を湛えて近寄ってくる。
「俺が死んだときのことを、よく覚えてないんだ。ザルグが子供を斬りつけて、次に他の子供を見た時から、気づいたら叔母さんに起こされてた」
「……」
「きっと俺を生き返らせた時、何かあったんだ。だからエリィは、俺が今こうなってることを、どこかで可哀想だと同情してる。俺が子供を守るために死ぬ人間だと知ってるから、自分を殺すわけないとも思ってる。だからあの日、地下牢まで俺に会いに来た」
「……!」
この男が、人とまともに意思疎通が出来ないなんて、言ったのは誰だ。キレッキレだ。
私は冷や汗を首に感じた。そんな私を閉じ込めるようにサインは背中を丸めた。
「ひゃあ!」
嘘。
熱いぬるっとしたものが、首に。
「俺はずっとエリィが大好きで、何にも変わってないのに」
「な、」
「変わったのはエリィの方だ」
首元で、サイン=マキナは低く囁いた。
「編むレースの模様が変わった。1時間ごとに起きるようになった。不正をしてまで『別れ祈り』の部屋に忍び込むようになった。そして、ザルグの何かに怯えてる」
私は真っ赤になった。目が回りそうだった。
「サイン。やっぱり、貴方……!」
「……」
「わ、私の部屋に……! もも、物とか、失くなってたのは、貴方のせいだったの?」
「……だ、だって」
サインは身体を離して目を逸らした。私は呆然と見上げた。何でこの人、今、照れてるの。
「我慢出来なくて。……話しかけられなくて……でも、我慢出来なくて、サッシュとかすごいエリィの良い匂い」
「いやああああああ!」
「わあああああ!!!」
聞いてられない! 無理!
私は大絶叫して、サインはそれに大絶叫した。
当然気づいたソルベントの男達が飛んできて、私はそれにも叫び続けた。
「エリィ、ごめん、ごめん!!!」
「離してええええええ!」
「今は無理!!!」
がっくんがっくん揺れる視界に吐きそうになってきた。サインは信じられない身軽さで、通路をいくつも飛び降りた。その間に私を抱えていない方の腕で、額の眼鏡を降ろして側面を指で回した。チキチキと音がする。
「ちょこまかとーークソが!」
「!」
降り立った通路の真正面に、銃を構えた男がいる。瞬間、サインが身を翻してコートの中から小さな鈍色の歯車を取り出した。あ、と私が口を開けているうちに、サインの革手袋をはめた手が、それを弾き出した。
製鉄所の真ん中にある巨大な柱に埋め込まれた歯車たちの間に、それがくっついた。
そして何故か、サインは製鉄所の一番下にある巨大な釜に飛び込んだ。どろどろに溶けた鉄が渦巻く、その上に。
「きゃあああああああ!」
思わず首に縋りついた私を、サインは強く抱きしめ返した。
「ひい!」
ガタン!と音がする。膝をたわめたサインが着地したのは、いつのまにか移動していたゴンドラだった。叫びすぎて酸欠になった私はくらくらと目を回した。死んじゃう!
「撃て!」
四方八方から狙われやすい位置に降りた私たちに、ソルベントの男達は次々に銃口を向けた。おまけに鍋の遥か向こう、製鉄所の階下から、腰を落として巨大な銃を構えたソルベント当主が。さっき屋根に穴を開けた爆撃を思い出した私は泣きそうになった。さすがに心が折れそう。
「ほんと、死んじゃう……!」
「大丈夫」
サイン=マキナの銃を持った片手が、寸分狂いなく狙いを定めた。さっき貼り付けた鈍色の、手の平より小さな歯車に向かって。
「エリィを殺すのは俺だよ」
この男は絶対に外さないと、何故か、私はそれだけ分かった。だから縮こまっていた身体を伸ばして、銃口の先にある小さな歯車が吹き飛ぶのを見ていた。
「……!?」
異変は、周りの巨大な歯車に入った亀裂から。それが瞬く間に崩れ落ち、男達のいる通路に次々に落下した。目を丸くした彼らが構えを解いて、階下にいるソルベントの当主が苦々しく顔を歪めて身を翻す。
そして私たちのいるゴンドラは、高速で製鉄所の出口に向かって動き始めた。
「あああ……」
「逃げられたね。さあ、死のうか」
叫ぶ元気もなくなった私を、サインは楽しそうに抱き締めた。
製鉄所の出口から少し離れると、入り組んだ運河がある。月を照らし返す水面は静かで、さっきまでの銃声と歯車の落下する轟音が嘘みたいだった。製鉄所に灯ったランプが揺れたり消えたりするのを遠くに見ながら、私はがたがた震える身体からようやく力を抜いた。
「製鉄所……自動機械の核を壊してきたから、しばらくめちゃくちゃに暴走する……叔母さん達もすぐにはここまで来れないと思う」
突き出た船着場で、ようやくサインは私をゆっくり下に下ろした。そのまま尻餅をついた私を屈んだ脚の間に収めて「大丈夫?」と眺めてくる。眼鏡に押し上げられた白髪の下から、エメラルドの目が覗いていた。
「怪我はなかった? エリィ」
変な人。思わず息を吐きながら笑ってしまった。ふは、と声が出た。
何だかもう、色々どうでも良かった。
どうやってこの異常な男から逃げ出そう、とか、私の暗殺を依頼したのは、きっとサロンで毒入りのワインを渡してきたご令嬢たちの親御さんなんだろうな、とか。色々頭に浮かんだけど、解決策はさっぱり浮かばなかった。
疲れちゃった。
「あなたは、殺す人の怪我を心配するの?」
「……」
その時のサインの顔は妙に印象的だった。白い睫毛が震えて、狂気じみていた表情が抜け落ちた。繊細な顔立ちに初めて気がついた。
「サイン」
「…….」
「私が人を殺す夢って、本当に未来になるって、本当に思ってるの?」
息と一緒に、声を投げつけた。
「こんな、貴方みたいな、殺してくる人に助けられて、何にも出来ない私が、たくさんの人を?」
自分が情けなくて仕方がなかった。
ザルグ=コールにはっきり言えない自分。全ての人を生き返らせることの出来ない自分。そして、それにもっともらしい理由をつけて、諦めている自分が。
俯いた視界にある私の手を、大きな手が握っていた。
「んっ!」
唇を唇で押さえられて、運河の方に傾いた身体を、サインが抱きすくめた。私はぎゅっと目を瞑って背中のコートを引っ張った。びくともしない。
この、人!
「サ、」
一瞬離れた唇を、言葉ごと食べられた。
舌を入れられたことにぎょっとして、身体が引き攣った。宙に浮いた腕に大きな手が這って、指の分かれ目の一番奥まで握られる。キスじゃなくて、その仕草に頬にかっと血が昇った。
「はっ……」
そうだった。馬鹿だ。
この男は、ほんとに私が好きなんだ。
「エリィ……」
「ーーこの、」
「お馬鹿さんかな」
は?と私は目を見開いた。サイン=マキナは笑っている。
「俺がここにいるのに? 人の魂が見えるのに?」
「……」
「何でエリィは自分がそれだけしか出来ないと思ってるの?」
それだけ?
「エリィ。エリィが死んだ人間を生き返らせた、その事実がある以上、今考えなきゃいけないのは頭のイかれた俺や腐れ貴族への対処じゃないだろう」
「は、はあ?」
「本当にたくさんの人を殺せる力が自分にあるのか考えなきゃいけないだろう。あなたなら」
サイン=マキナは笑うのをやめて、少しだけ視線を下げた。
私は口をパクパクした。な、何でこの人は急に私に説教し始めたの。
「な、なんなの? 貴方……」
「エリィ、頑張れ」
「は!?」
手を引っ張られて、頬にキスをされた。訳が分からなさすぎて涙が出てきた。昔からの癖だった。
私はどうにも怒りが抑えられないと涙が出てくる。
サイン=マキナの残った片耳を力の限り引っ張った。
「いったい!!!」
「いい加減にして。貴方、なんなの。意味がわからない。私を、変な妄想のせいにして殺そうとするくせに」
涙目になって耳を押さえたサインを、睨みつけた。
睨みつけながら、本当に何となく、彼をよく見てみた。
本当に万が一にも、この男の言う通り、私の力がそれだけじゃなかったら。生きている人の魂さえも見ることが出来たなら。そしてそれに、触ることができるなら。
「かわいいね、エリィ。試してみてるの?」
そしてそこで、サイン=マキナがヘラヘラ笑っているのに気がついて、半目になった。
「俺の魂、見えた?」
私はサインの耳から手を離して、その手を振りながら溜め息をついた。
「見えるわけないよ。それに、見えたとして、それが人を殺す力に繋がったとして、私はぜったいに使わない」
「……」
「そんな力、反吐が出る。死んでも使わない」
サインは夜なのに眩しそうに私を見てから、俯いた。
「そう。……たは……」
「?なに」
「……いから、俺は……」
「?」
呟きがちなサインだけど、殊更に声が小さい。私は髪を耳にかけてサインの口元に向かって耳を寄せた。そして気が付いた。あ、またキスされるかも。
離れようと身体を後ろに傾けたとき。
側頭部に触れたのは、重たい鉄の塊だった。
「好き、エリィ」
「は?」
「大好き」
サインは上擦った声で囁いた。ガチャン、と耳のすぐ横で音がした。
「大好き、大好き。エリィ。やっぱり死のう」
「は、あなた、」
「愛してるんだ。だから……」
サインは笑っている。
あ、これ。本気だ、この人。死んだ。
私は何も言えないまま、身体を引っ張られてそのまま後ろに倒れ込んだ。
「!」
パンと乾いた音がして、髪が一房飛んだのが見えた。背後の水面に叩きつけられて、息が止まった。何が起きたのか何となく分かっていた。
「エリオット!」
聞こえたのはザルグ=コールの声で、私を水中に引き込んでサインから守ったのは、『生ける死体』だった。