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7.!とりあえず撃つ!

 


 メレの不在を一応確認したあと、私は門番の目が厳しくなる直前に城を出て、レンガの街道を走っていた。夜空にはぼんやりとした月が浮かんでいて、だんだんと濃くなる蒸気にますます形を朧げにしていく。

 指定された場所は、街の中で一番大きな製鉄所の入り口だった。言う通りに誰にも言わずにここまで来た。

 街中を歩きながら、吐きそうなぐらい気持ちが悪くなった。足が震えすぎて何回か転んでしまった。でも私を呼ぶためにメレを使うような男が、何もない道で不意に私を殺すようなことはない気がした。


「……」


 見上げた製鉄所の門の向こうは、あちこちから煙突やら何か分からない塊を突き出して、至るところから煙を吐き出していた。夜なのに昼みたいに明るい灯りたちが、この時ばかりは妙に不気味に思えて、私はぶるっと肩を震わせた。


「メレを返して」


 そして、門扉の向こう側に動いた人影に向かって囁いた。サイン=マキナは何となく、私がこうすれば姿を見せるような気がした。

 でも、返ってきた声はサインのものでも、メレのものでもなかった。


「メレという『祈り・聞き屋』はここにはいない。エリオット・コンスタンス」

「!」

「罠だ。引っ掛かってくれて大変助かった」

「貴方は……」


 静かな声をした、灰色の髪の中年の男性だった。暗い色の長いコートを口元まで引き上げて、無表情で私を見返している。門扉が開くキイ、という音がした。


「君に恨みはないが、依頼だ。助かった礼に一瞬で終わらせよう。……そこでただ立っていたまえ。眠るよりも刹那の出来事だ」

「え、あの」

「動くな」


 私はパニックに陥って、振り返って逃げ出した。

 ーーサイン=マキナじゃない。他の人が、私を?


「!」


 キュン!という音がして髪留めが飛んだ。何かの風圧に前のめりに膝をついた私は、恐怖で動けない。

 死ぬ、と思った。踵を返す瞬間、威圧感のない静かな男が、確かに一瞬ざわっと揺れて見えた。銀色の銃を構えていた。

 あれが、死だと思った。

 爪がレンガを引っ掻くのを他人事みたいに見た。


「エリィ……」


 手の先に、褐色の大きなブーツの爪先が見えた。


「エリィ、あの……」

「……」


 終わったと思った。

 メレが捕まってないだけ、良かった。


「エリィ!!!」

「ひい!」

「起きよう!!!」


 爆音で降ってきた声に、私は飛び上がった。

 ベージュのコートを羽織ったサイン=マキナが、門扉とは全然違う方に銃を構えて、私を覆うように腰を折っている。

 あの灰色の髪の男は膝をついて手を押さえながら、こちらを睨みつけていた。


「起きて……エリィ……可哀想だけど……まだいっぱいいるから……」

「サイン、貴方は」


 サインは急に2発続けて発砲した。心臓が口から飛び出るほど驚いた私は、抱きすくめられて死にそうになった。


「会いたかった、エリィ」

「! サイン、」

「あの、誤解しないで……」


 大きな肩の向こうに、手を押さえて呻く、別の男たちの影が見えた。サインに手元を撃たれたようだった。


「俺はエリィの親友を攫ったフリをしてエリィを呼ぶような、姑息な手は使ってなくて……だから、つまり……」

「……」

「……ひじょうに言いにくいんだけど、エリィは、多分俺以外にも殺されそう」

「う」


 泣き始めた私に、サインはあからさまに動揺した。


「おち、おち、落ち着こう、エリィ」


 背中をさする革手袋をはめた手に。サイン=マキナの場違いな温かい身体に。私は涙が止まらなかった。

 何でこうなったんだろう。一生懸命生きてきた、私の何が間違っていたんだろう。


「ひっ!」

「ごめんね」


 サインは急に私を抱き上げた。その間にも発砲した。体勢を立て直した男たちが、再び銃を飛ばされて目を丸くしている。

 さっきからパンパン撃ちまくりすぎじゃないの、と思った私は一時的に涙が引っ込んだ。

 サインはそれを見てほっとしたように眉尻を下げた。それからコートの中から小さな何かを取り出して、男たちに向かって放り投げた。


「!」


 大量の煙を吐き出したそれに、あっという間に男たちは見えなくなった。代わりにふわふわの白煙みたいな髪が、間近で揺れる。


「エリィ、選んで」

「えっ?」

「俺か、あいつらか、どっちに殺されるか」


 私は息を呑んだ。


「俺もあいつらもエリィを殺したい。けど、俺とあいつらには決定的に違うところがある……」


 吐息のかかる距離。サインは前髪を触れ合わせてきた。

 ぼんやりしたエメラルドの瞳に、私は何故かカッと血が昇って、頭がすごい速さで回転し始めた。


「エリィを、愛してるか愛してないか」


 ーーこの人、私に、選ばせる気なの。


「……」

「こんな道端、嫌だろう? ……俺ならもうちょっと静かな場所で、2人きりのところで、殺すよ。だから、」


 俺を選んで、と唇のすぐ横でサイン=マキナが囁いた。


 冷静にならなきゃいけない。

 頭の中で声がした。サインを選ぶべきだと。私を殺そうとしてくるあの男たちは、こんなふうに猶予はくれない。サインから逃げた瞬間に、多分私は殺される。

 それならば、サインの手を取って少しでも時間を稼ぐべきだ。そうすれば誰かが助けてくれるかもしれない。きっとザルグ=コールの死体は、私の異変に気づいたはずだ。

 冷静にならなきゃいけない。


「……え、選ぶよ。貴方を。サイン」

「えへへ、ありがとう。……じゃあ、行こう」


 サインが笑った瞬間に、ドン!という音と共に衝撃が襲った。首が外れるほど揺れた。サインが勢いよく走り始めた。

 私たちがいた足元が大きく凹んでいる。穴を開けた男達は私たちを追うことにしたようだった。

 サインは迷いなく製鉄所の門を抜けて、そのまま長い煙突の突き出た屋根に向かって、むき出しの階段を登り始めた。途中、再び彼が煙幕を出す小さな機械を放り投げたあたりで、私はようやく声を上げた。


「そ、そっちに行くの!?」

「?」

「逃げるんだよね?お、追い込まれちゃうんじゃ……」


 サイン=マキナは立ち止まって、首を傾げた。


「逃げないよ。あいつら全員追い払って、2人で死ぬんだよ」


 それから聞き分けのない子供にするみたいに繰り返した。


「逃げないよ、エリィ。エリィを尾けてたザルグ=コールの死体も全部片付けた。誰にもここには来ない」

「……!」

「死ぬんだよ、エリィ。俺たち、死んで永遠に一緒になるんだよ。そのために選んだんだ。エリィが、俺を」


 サインが凄絶な笑顔を見せた。凍りついた私の、顔の横の髪を掻き分けて、欠けた耳に口付けた。


「好きだよ、エリィ」


 冷静にならなきゃいけない。

 この異常な男、相手には。


「違う」


 ……ああ、でも。


「違うの」

「エリィ?」


 無理。


「違う。死んで一緒になんか、なれるわけない」

「……」

「死んだら、人の魂は死んだ身体の上でふわふわ彷徨って、しばらくしたら土に溶ける」


 声が震えた。

 サイン=マキナは目を見開いて私を見ている。


「人は1人で地面に溶けるの。死ぬときは1人なの。だから私があなたと一緒に死んだって、永遠に一緒になんてなれない」


 私はサインを睨みつけて、祈るように指を組んだ。


「無駄なの。あなたのやってること全部。私は死んでも、あなたのものにはならない。選ばせても、殺しても、何があってもーーあなたのものには絶対にならない!」


 エリィ、と囁いたサイン=マキナの顔が、ゆっくりと絶望したような気がした。

 ああ、死ぬと思った。私の魂はどんな色をしているんだろう。

 もうヤケクソだ。めちゃくちゃしてやる。


「離して、サイン=マキナ! ーーこのバカ!」

「……」

「バカ! クズ! 最低! 人でなし! ストーカー!」

「……」

「変態! バカ! イタッ!」


 あれ!? 死んでない!

 私は目を白黒した。風を切るような音のあと、サイン=マキナが階段の踊り場で私を押し倒していた。


 え、すごい泣いてる。ような。


「ひっ!」


 ものすごい振動と爆風に襲われた。サインは私に覆いかぶさって、それをやり過ごしてから身体を起こした。何が何やら分からない。どこからか攻撃されたみたいだ。

 私は目だけを動かして、奥の煙突の根元にある屋根に巨大な穴が空いているのを発見した。


「いい加減にしな。気色悪いクソ馬鹿野郎が」


 製鉄所の門扉の方から声がした。









「せっかくその腑抜けた性格を叩き直すために騎士にしたってのに」


 巨大な銃を構えた白髪の女性が、黒いコートを風に靡かせている。その後ろには何人もの銃を構えた人が、厳しい顔をしてサインに狙いを定めていた。

 あれは、サインの『別れ祈り』のときに訪れた、ソルベントの当主だ。


「結局、腐りきって人様に迷惑をかけただけだ。騎士位まで剥奪されて、あげくウチの商会の名に傷までつけやがって」


 当主はサイン=マキナを見て苦々しい顔をしていた。咥えたパイプを手に持って、濃い紫煙を吐き出した。


「いい加減野放しには出来ない。死ね」

「……」

「言い訳の1つも言ったらどうだい」


 サイン=マキナは号泣していた。当主の言葉を全く無視して、咽せながら私を抱きしめた。


「エリィ!!! 何でぞんなごど言うんだ!!?」

「……」

「エリィ!!!」


 当主は片眉を引き上げて、そこで初めて私に気づいたようだった。


「……エリオット・コンスタンス?」


 私はサインから顔を出して、慌てて頷いた。なんだか状況が好転している気がする。顔見知りなら助けてくれるかもしれない。


 だけど、当主はいつかみたいに気の毒そうな顔をして私を見上げてきた。

 その隣に、さっき私を殺そうとした、灰色の髪の男がいた。


「悪いが、王城のお腐り貴族に依頼を受けてる」

「えっ?」

「こっちとしてはこの状況で尻拭いするのに、クソ貴族からの依頼の内容は選んでいられなくてね。引き受ける前に私が一度把握してればまだ良かったんだが……。まあ受けちまったもんは仕方ない」

「えっ?」

「悪いね。死んでくれ」


 ガチャン、と当主は銃を私に向かって構えた。


「せめてもの謝罪に、そのクソ馬鹿野郎とは別で殺そう。埋葬もする。そっちのクソは海に捨てる。それでどう」


 ああ。私は悟った。もう、何をしてもだめだと。

 私はサインの腕にギリギリと力を込めた。気づいたサインがぐずりながら、私の顔をよく見ようと俯いた。


「ぶっ!」


 サイン=マキナの顎に思いっきり頭突きをかまして、私は立ち上がった。それからスカートを掴んで、踊り場から、さっきの爆撃で空いた屋根に飛び込んだ。


「エリィいいいい!!!」


 微かに見えた、床から離れて壁に沿った通路に着地して、私は走り始めた。何にもまともなことは考えられない。強いて言えば誰にも頼れないことだけが分かった。

 なら、ほんのわずかの可能性にかけて、逃げるしかない。逃げられる気は、しないけど。


「エリィ!!!」

「ひい!」


 ほんとうに一瞬の希望も持てないままに、私はサイン=マキナに捕まった。早すぎる。


「離して!」

「やだ!!! 絶対に離さない!!!」

「ぐえ」


 潰れたカエルみたいな声を上げた私に、サインは通路に膝をついてしがみついた。わんわん泣きながら。


「やっぱり!!! 俺を生き返らぜだのはエリィだったんだ」

「!?」

「エリィが『別れ祈り』のとき、いつも何かを見でるのは知ってだ。やっぱりエリィには人の魂が見えでだんだ」


 サインは、私が彼を生き返らせたことを、今の今まで知らなかったらしい。私は混乱した。

 え、この人やっぱり、あの日より前に、私を。


「やっぱりエリィは特別なんだ。だから、」

「サイン、離して……!」

「やだ。死んでも離さない。死んだらエリィの魂にまとわりついて、溶け合って、それから一緒に地面に溶けてやる」


 き、気持ち悪い。


「……気持ち悪い」


 口に出ていた私に、サインは崩れ落ちて、それから涙を拭って顔を上げた。エメラルドの瞳が濡れてキラキラと輝いた。その後ろ。

 私たちが飛び込んできた穴から、ひゅるる、と音がして長い筒のような物が放り込まれた。


「エリィ!!!」


 ぐんと視界が流れた。サイン=マキナは私を抱き上げて、そのまま通路から飛び降りた。

 瞬間、見ていられないような光がその筒から漏れ出て、時間が止まったような後。何も見えなくなった。


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