1.!もう堕ちてる!
お仕事柄、人に迫られるのは慣れている。だいたい抱き締めてあげる。そうすればみんな落ち着くし、それにそういう人は皆、とても可哀想だから。
でも。これはちょっと、無理。
「エリィ、死のう!!!」
「ひっ!」
細長い黒い筒を、私めがけて構える大きな騎士。
おでこに突き付けられた私は、ガタガタ震えながら騎士を見上げていた。場所は王城の石の廊下。時刻はお夕飯の前ぐらい。
どうしてこうなったか、全く分からない。
今日は250年に一度の『千回夢見の祭り』って言われる大きなお祭りの日で、教会の夜のお祈りも今のところ無さそうだったから、大好きなパン屋さんで夕飯を買って帰ってきたところだった。
それが。
いつのまにかこの国の騎士に殺されかけている。
「夢を見たんだ……エリィが、人類を滅ぼす夢を」
「……!?」
「だから、……それなら、その前に俺がエリィを殺して、……そして俺も死ぬ」
「!?」
混乱して半泣きの私に、騎士は打って変わってボソボソと語りかけてきた。白煙みたいなふわふわの髪から、エメラルド色の血走った目が覗いている。
構えた黒い筒は『銃』って言ったか。確か、たった少し指を動かすだけで人を殺せるって。
「愛してる、エリィ……一緒になろうね」
ガチャン、と銃の中から音がした。え?
……え、私、死ぬの?
「ちょっと、ま……」
そこで、急に真横から突き飛ばされて私は目を瞑った。同時に左耳に衝撃と爆音。
「!?」
嘘、何。痛い。
硬い石の廊下に這いつくばった私は、急に恐怖で縮こまった。嘘、嘘、ほんとに?
ろくに周りも見られないまま、顔の左側に手をやる。どろりと温かいものがついた。なんか、笑っちゃいそう。
私の耳、どうなってる?
「ーー君、無事か!?」
声は後ろから聞こえてきた。ああ。
私は理解してふらふらと地面に肘をついた。
私を突き飛ばした人は、不自然に首をグラグラさせながら、無言で、騎士と私の間に立ちはだかった。
生きている人の動きではなかった。死んでいる。『生ける死体』だと呼ばれていたっけ。
「サイン=マキナ! 乱心したか!」
後ろから現れたもう1人、別の騎士。私の背中をさすりながら怒鳴っている。死体の向こうの騎士に向かって。
「ああ、エリィ!!! エリィ!!!」
サイン=マキナと呼ばれた騎士は、錯乱していた。死体を押しのけて私に近寄ろうとして、止められて暴れている。
私を、殺そうとしたくせに。
「エリィ!!! 違う!!! エリィに痛い思いをさせる気なんて……!!!」
「白々しい。捕らえろ!」
サイン様と、目が合った。痛みで朦朧とする意識の中で。
サイン様は絶望に表情を歪めて、手に持った銃を、今度は自分に向かって構えた。
やめて!と悲鳴を上げた気がする。でもそれは、廊下に響き渡った轟音にかき消されたと思う。
「エリオ。目が覚めましたか」
朝日が差し込む王城の医務室で、私は目を覚ました。修道長が、青ざめた顔で私を眺めていた。
「修道長様。私……?」
「左耳を撃たれたのですよ。幸いにも命には別状はありませんでしたが、ショックが大きかったのでしょう。無理をしてはいけません」
修道長曰く、『千回夢見の祭り』から1日経っている。私はここに運び込まれて止血してもらったあと、熱が出たりしてなかなか目を覚さなかったらしい。
修道長に鏡を見せてもらった私は、息を詰まらせた。
茶色い癖っ毛にマゼンタの目の、いつもの私。だけど左耳が半分、欠けていた。
「か、髪で隠れますから……」
声を震わせた私に、修道長は厳しい顔をした。
「貴方を撃った男ですが。サイン・テッセ・ソルベントという、新進気鋭のソルベント商会の人間です。十数年前に貴族になったばかりで、数年前に騎士になったばかりの。知っていますか?」
私は震えながら首を振った。
概ね嘘。知っているし、狙われる理由も、あり得ないと思いつつ思い当たるものはある。でもそれを、言うわけにはいかなかった。
「……言ったでしょう、修道長」
そこで、修道長とベッドを挟んで反対側から声がして、私はそちらにぎょっと首を向けた。
「サイン=マキナはもともと異常だった。千回夢見の祭りにかこつけて、好いた女と心中しようとしたんです。それだけのことですよ」
あのとき、死体を使って私を助けてくれた騎士さまが、足を組んで座っていた。
「どうも、エリオット・コンスタンス。ひとまず無事で良かった」
「ざ、ザルグ=コールさま」
さらさらの黒い髪に黒曜石みたいな目。この国では珍しい色合いの一族の人だ。すらっとした身体を椅子に預ける様は、黒い分厚いマントがよく似合って、どこかの絵画みたいに決まっている。
修道長が説明をしてくれた。
コール・スール・ザルグ。この、由緒正しい生まれの騎士様は、あの日の夜、サイン様に迫られる私を偶然廊下で発見して、慌てて助けてくれたのだと言う。
「ありがとうございました。助けていただいて……」
「気にするな。君も災難だったな」
パタパタと手を振るコール様に、修道長は厳しい顔のままだ。
「本当にサイン=マキナと関わりはないのですね、エリオ?」
「は、はい……」
目を逸らした私に、修道長が片眉を上げたとき、コール様が大きな溜め息をついた。
「修道長。その辺にしといた方がいい。サイン=マキナのことを良く知らん貴女が、これ以上エリオットを責めても当てずっぽうの的外れだ」
「……」
「サインの勤務態度は良くはない。先月の前線では大いに活躍したと聞いたが、同僚とはまともに意思疎通が図れず、たまに自室で爆発騒ぎを起こすような奴だ。無断外泊も多い。新し物好きな貴族たちには人気だと聞いたが……とにかく、不気味な奴ですよ」
私は、自分の頭に向かって銃を構えたサイン様を思い出して、身震いした。
そんな私に気づいて、コール様は教えてくれた。
「サインは捕らえて地下牢に繋いである。君と会わせろと喚きながら暴れるもんだから手がつかない。事情も良く分からないままだ。……君としては同じ城にいるのは不安だろうが、見張りも一昼夜と欠かさず立たせてるんで我慢してくれ」
「そんな、私、すみません」
コール様は冷たそうな容貌のわりに、意外とざっくばらんに話をしてくれる人のようだった。申し訳なくて縮こまった私を指を組んで眺めている。
「サインの騎士位はおそらく剥奪になる。ソルベント商会は早々にサインの廃嫡を決めたし、まあ、しばらく経てば然るべき罰を受けるだろう。……うん、まあ、災難だったな。俺には今のところそれしか言えん。怖かったろう」
「私、ええと、……はい。ありがとうございました……」
「今度は君に愚痴でも聞いてもらおう。それでおあいこにしよう。『祈り・聞き屋』のエリオット」
コールさまは、私のベッドの横に置いてあった花瓶から一輪、黄色い花を抜いてから立ち上がった。
彼がベッドから離れると、置いてあった黒い重そうな棺桶が引っ張られてズルズルと移動した。『棺桶引きのコール』と揶揄される所以を、私はまじまじと眺めた。
気づいたら、腰を折ったコール様が少しだけ笑っている。
「たまには愛想があるのもいいかもしれん。似合うか?」
棺桶の隙間に挿された花を見て、私は困ってしまった。コール様はちょっと目を細めてから、急に咳払いをして退出した。
ゴリゴリと音を立てる棺桶が扉から消えると、修道長が呆れたように腕を組んだ。私は慌てて俯いた。
「……こういう時は『似合う』と言うものですよ。エリオ」
「……そ、そうでした、私……」
「らしくない。貴女でも見惚れることがあるのですね。まあ、あのザルグ=コールが相手では無理ありませんが」
「……」
それから私は医務室を出る準備をして、お務めにも復帰する予定を立てた。そして日が暮れた頃、気合いを入れて地下牢に出かけることにした。
サイン=マキナに会うためだ。
夕食の差し入れを代わってくれと城の侍女に話をつけた。王城はサイン様の暴挙に驚いた反面、「ついにやったか」とも思っていることが分かった。それぐらい彼は城中から奇異の目で見られていたらしい。
でも、相手が誰だかはそこまで興味がないみたいで、私は特に怪しまれることもなく、地下牢に繋がる階段を降りていた。
カンテラが心許なく足元を照らしている。じめじめした空気に辟易していた見張りの兵士は、私を見てしめた、と思ったらしい。
「ちょっと外の空気を吸ってくるよ! 怖かったらその盆、そこに置いてそのまま帰っていいから」
「はい」
兵士は上機嫌に階段を上がって、すれ違った私は階段を降りきって、灯りを掲げて地下牢を照らした。
ゴリゴリと音がする。
「……」
『機械まみれのサイン』と揶揄されるその人は、うずくまって、やけに小さくなったように見えた。いつもは灰色の騎士服の上から大きな褐色のコートを羽織っているのに、それがないからだと気がついた。
一心不乱にうずくまって何かをしているサイン様を、私は恐々と眺めた。何の音だろう。
「あの……」
「!!!」
私の声に顔を上げたサイン様はギョッとしたようだった。長い前髪で顔がよく分からない。いつもは奇怪な分厚い眼鏡を額まで押し上げているけど、それもコートごと取り上げられてしまったみたいだ。
「エリィ!!!」
サイン様は悲鳴みたいな声を上げてガタガタ震え出した。私もガタガタ震え出した。だって怖い。なんでこの人、左の耳あたりに包帯を巻いてるの。
「来てくれたの!!?」
「ひっ!」
ガシャン!と鉄格子に突っかかったサイン様に、私は盆を取り落とした。ひどい音がした。
「エリィ、エリィ、ごめんね!!! 痛かったね!!?」
「……!」
「……酷いことをしたね……ごめんね……」
私は跪いて食器を片付けた。皿に伸ばした手が震えている。
「あ、あな、貴方は……」
「……」
「ご自身で、その、耳を……」
気を失う直前に、自分で頭を撃ったサイン様を思い浮かべた。
この人は、自分の耳を撃ち抜いたのか。
「だってエリィを傷つけた!!!」
「ひっ!」
ガシャン!と再び鉄格子を揺らしたサイン様に、私は今度こそ皿を放り投げて粉々に割ってしまった。怖すぎる。帰りたい。
「あ、……ごめんね……あの、エリィ、俺……」
ぼろぼろ泣き出した私に、サイン様まで泣き出した。私は更に、サイン様の向こう側の石の床に一面、私の名前が書かれていることを見つけて失神しかけた。
この人、何なの。
「ごめんね、ごめんね……」
「……」
でもここで帰ったら、きっとそれで終わりだ。何もかも分からずに、この人は罰を受けて、私は「災難だったね」と欠けた耳を哀れまれて、それで終わり。
それはだめだ。
だってこの人は、私が祈って生き返らせた、初めての人だから。
「サイン様」
私は立ち上がって鉄格子に縋り付くサイン様を見上げた。彼は言葉を失ったようで、しばらくしてから深く、口元に笑みを浮かべた。何よりもゾッとする顔だった。
「ああ、……エリィ……俺の名前、知ってたの? ……え、えへへへ」
「は、はい……」
「……俺はね……ずっと前から、知ってたよ……」
サイン=マキナは慈しむように、私の名前を小さく囁いた。