23.ご対面
午後の授業とHRを終えて、夏奈はクラスメイトとの挨拶もそこそこに教室を飛び出した。あの後すぐに呼び出された保健医の話ではただの貧血だという話だったが、夏奈にはそうは思えない。
倒れる直前、叶は夏奈の名前を呼んだ。目の前にいたからじゃない。明らかに、あの時の叶の表情は強張っていた。
保健室が酷く遠く感じて、数段とばしで駆けおりる。保健室と書かれたプレートの前で一拍おいて、不安と闘いながらドアを開けた。
「ん?どうした」
コーヒーを飲んでいた保険医が、だるそうに書類から顔を上げた。
「えと、若……若松君の具合は……」
蛇ににらまれた蛙の気持ちが分かると言ったら、失礼だろうか。
「奥のベッドだ」
そう言って保健医は顎でカーテンの閉まったベッドを示した。ゆっくりと、保健医の横を通り抜ける。このぶっきらぼうな保健医、品川のことが、夏奈はあまり得意ではない。整った顔立ちをしているのに、長い髪はボサボサでくせ毛なのかところどころ跳ねている。加えて、鋭い目つきと男のような言葉遣い。対峙すると、つい委縮してしまう。
「若……?」
起こさないよう、ゆっくりと不透明なカーテンを開ける。叶は倒れたことなど忘れたように安らかな表情で寝息をたてていた。
「起こすなよ」
「あっ、ハイッ」
反射的にカーテンから身を離すと、品川は湯気の立つマグカップを夏奈に差し出した。
「今からこいつの家に連絡を入れてくる。こいつが目を覚ました時に誰もいないわけにもいかんし、少しだけ見ててやってくれないか?用事があるなら止めんが」
「あ、いえ、大丈夫、です」
部活に入っているわけでもないし、特に用事もない。流されるまま、カップを受け取る。コーヒーの心地よい香りが鼻をくすぐった。
「それじゃぁ、頼んだぞ。すぐ戻るから。菓子がいるならその辺のを適当につまめ。今日だけ許す。私の秘蔵の茶菓子なんだからな」
品川は茶目っ気を含んだ笑みを見せ、白衣をはためかせながら保健室を後にした。
(笑ったとこ、初めて見た)
何となく見てはいけないものを見てしまった気分になる。コーヒーも飲まずに固まっていると、後方のベッドで聞こえた小さなうめき声が聞こえた。シーツのこすれるような音も聞こえる。
「!若?目ぇ覚めた?」
カップを置いて、再びカーテンの隙間を覗く。叶は寝ぼけているのか、上半身を少し起こして眼をこすっていた。
「よかったぁ……急に倒れるからびっくりしたよ」
起きたなら入っても問題ないだろう。夏奈は大きくカーテンを開けた。眠たそうに前髪を掻き上げていた叶が、緩慢にこちらを見上げる。
夏奈と目があった瞬間、叶の顔には明らかに(怯え)が灯った。
「り、んっ……」
乱暴に掻き上げた髪もそのままに、叶の眼は大きく見開かれ夏奈を映していた。
「えっ……?若?どうしたの?」
「あ、いや……」
何故気付いたのかは分からない。ただの直感だった。
これは、叶じゃない。
「あ、あんた誰?」
「!な、何言って……俺は……」
幼い頃から鈍いと言われていたし、その自覚もある。それでも妙な自信があったし、たった今確信に変わった。
「若は自分のことを(俺)なんて言わない。やっぱりあんたは若じゃない……!」
「!……ふっ、ふははははははははははははは!!」
“叶”は狂ったように笑いだし、夏奈の腕をつかんだ。強い力で引かれ、気づくと“叶”の顔が目の前にあった。
「やるじゃねぇか、嬢ちゃん」
夏奈の前で、叶は穏やかな表情を崩したことがない。強いて言うなら、あだ名で呼び合うようになったあの日に見せた物憂げな表情くらいだろうか。
それが今、張り詰めた空気の上で“叶”は心底愉快そうに嗤っていた。




