なにもかも全てを見て見ぬ振りをして――――
おとん視点。4
家から赤ん坊の泣き声がしなくなり、静かになって――――
メラリアはセディックに付きっ切り。セディーがこうした、ああしたなどの報告をして来る。
「セディーに絵本を読んであげたの」「セディーはもう絵本の内容を覚えたのよ」「もしかしたらと思ったら、もう字が読めるようになったみたい」「三歳なのに。さすがはエドガー様の子ね。すっごく頭が良いの」「もう、うちにある絵本を全部読んでしまったわ」「セディーは本当にすごいのね」
にこにこと、セディックの頭が良いと――――
僕が字を読めるようになったのは、五歳くらいだったと思う。
三歳で字が読めるようになったのは、フィオレの方だ。昔、執事が言っていた。
「フィオレ様は三つのときにはもう字が読めていたというのに」
と、僕を見て落胆したような顔で。
僕とメラリアを掛け合わせたような地味な色味のクセして・・・セディックは、僕じゃなくてフィオレに似たらしい。
笑顔で無邪気にセディックを誉めるメラリアには、それは言えなかったが。僕に似ていると思ったセディックに、落胆を覚える。
暫くして、
「お義母様から、お茶会に参加してはどう? ってお誘いが来るの」
顔を曇らせたメラリアが言った。
「ネイトは侯爵家で預かっているし、セディーの体調の良い日に短い時間でいいから……って」
憂鬱そうな溜め息。
「お義母様の派閥の方って、皆さん高位貴族の奥様方ばかりでわたくしとはお話が合わないのよね。それに、わたくしが子爵家出身だからって、気に入らないという方もいて……」
母の派閥の……母のシンパの夫人達か。僕に自分の娘を宛がおうとしていた人もいた筈だから、当然。メラリアのことを気に食わないと思っている人も多いことだろう。
そんな女達と交流なんてしなくていい。
メラリアは、高位貴族夫人のような振る舞いなどできなくていいんだ。
「そうか。社交をしろと言われるのなら、僕の友人の夫人達と交流すればいい」
「え?」
メラリアと同じ、下位貴族の子爵や男爵、富裕層の知り合いがいる。
女は、男よりも前に出るべきじゃない。男の後ろで控えて黙って従っていればいい。そういう風に思っている連中と、学生時代に知り合った。
侯爵令息である僕と対等な付き合いができる連中じゃないが、一応は友人と言える。彼らの夫人達なら、メラリアとも話が合うだろう。
最初は乗り気じゃなかったメラリアだが、実際に夫人達と会って話すと意気投合したらしい。
母には僕の方から、『メラリアにはメラリアの付き合いがあるのだから、無理矢理自分の派閥に入れようとするのはやめてくだい』という抗議文を送っておいた。
そうやって、二年が経ち――――
ある日、家の中でギャーギャーと泣き喚く子供の声がした。
最初は、珍しくセディックが泣き喚いているのかと思ったが・・・
「泣いているのはネイサン坊ちゃまです」
執事にそう言われ、一瞬なんのことだかわからなかった。
それから、なぜネイサンがうちにいるのかと問うと、メラリアがネイサンを侯爵邸から『連れ戻した』のだという。
意味がわからなかった。メラリアがネイサンを見るのが嫌で、それを見兼ねた母が、ネイサンを侯爵邸に連れて行って育てていたのではなかったのか? と。
不思議に思い、なぜネイサンを連れて来たのかとメラリアに問うと、
「お義母様に無理矢理取り上げられたネイサンを取り戻して来たの」
にっこりと、まるで誉めろとでもいう風に答えた。
「お義母様ったら、酷いのよ。わたくしが、セディーばかり可愛がってネイトのことを自分達に押し付けたって。そんな噂を流していたみたいなの。ご自分でネイトを連れて行ったのに」
不満げに募る言葉。
「だから、ネイトを取り戻して来たの。なのにネイトったら、幾ら『わたくしがネイトのお母様なのよ』って言い聞かせても泣き止まないの。酷いと思いません?」
どうやら、『ハウウェルの子爵夫妻は次男を親に預けて、長男ばかりを可愛がっている』という噂をどこからか聞き付け、その噂を払拭しようと思っての行動・・・らしい。
「きっと、ネイトがわたくしのことを嫌うようにお義母様が仕向けているのよ」
「そうか・・・」
ああ、頭が痛い。
それから暫くは、本当に頭痛がする程の甲高い泣き声を毎日聞かされる羽目になった。
侯爵家から勝手に付いて来たというネイサンの乳母がいなければ、もっと煩くて敵わなかっただろう。
母がネイサンを迎えに来ても、メラリアはネイサンを渡さなかった。泣き喚くネイサンに、母の方が折れて帰って行くこと数度。
メラリアに無理矢理強く抱かれ、泣き喚くネイサンが可哀想だからと、母は侯爵邸にネイサンを連れ帰るのは諦めたそうだ。メラリアに掴まれた箇所が痣になって痛々しいから、と。
そんな騒動を何度も起こしたというのに、メラリアはネイサンを見ない。セディックの世話があるからと言い訳をして、ネイサンのことは乳母へ丸投げだそうだ。
そして、甲高い声と金茶の頭とが、家の中でちらほら見受けられるようになった。
小さな足音が、高い声が、金茶の髪色が……母に、姉に似た面差しが、僕の気に障る。
なぜ、メラリアがネイサンに執着するのかが、僕には全く理解できない。どうせ見ないのなら、さっさと母へ渡してしまえばよかったのに。
そんなにも、『次男を親に預けて長男ばかりを可愛がっている』と噂されるのが嫌なのか――――結局、なにも理解できないまま、ネイサンがうちで暮らすことになった。
メラリアは気付いてないようだが、ネイサンとその乳母は夜にセディックの部屋へ行き来しているようだ。楽しげな声が小さく洩れ聴こえて来ると執事が言っていた。
セディックとネイサンは仲が良いようだ。
やはり、二人は母や姉側の人間なのだろう。
なぜか胸に過ぎる、苦い思い。
偶に顔を合わせる父と母がメラリアに苦言を呈するときにはセディックの為と称してメラリアを庇う振りをして、二人を責める。
子供の前だからと、父と母は僕とメラリアに反論はしないで大人しく引き下がる。苦々しいという顔をして。
ああ……なんて気分がいいんだろうか。
そうやって、なにもかも全てを見て見ぬ振りをして――――
読んでくださり、ありがとうございました。
一応、エドガー(おとん)の方は自分がネイサンを嫌って、見て見ぬ振りしている自覚あり。
でも、メラリア(おかん)の方は自覚無し。




