小さい頃の僕の世界は、とても狭かった。
※セディー視点の話になります。
小さい頃の僕の世界は、とても狭かった。
僕はちょっとしたことで体調を崩しては、熱を出してよく寝込んでいた。
身体が熱くて苦しかったり、くらくらして立ち上がれなくなったり、頭や全身が重くて怠かったり、お腹が痛くなったり――――
しょっちゅうそんな風だったから、小さな頃は外へ出た覚えがあまり無い。
部屋の中のベッドの上。そして、窓から見える景色が、小さな頃の僕の世界。
母は、いつも僕の近くにいた。
僕の部屋の中の、ベッドからちょっと離れた椅子の上が母の定位置。
「ああ、苦しいのね。可哀想なセディー」
そう言って、潤んだブラウンの瞳が少し離れた位置から、よく僕を見下ろしていた。
「咳が酷くて苦しそう。可哀想なセディー」
「喉が痛いの? 可哀想に」
「元気がなくて可哀想に」
「ごはんが食べられないのね、可哀想に」
ことあるごとに『可哀想に』と、いつもそんな風に声を掛けられていたっけ。
「お母様が付いてるから大丈夫よ」
「寂しくないでしょう?」
「早く治るといいわね」
「セディー、お母様が一緒にいてあげるわ。嬉しいでしょう?」
そんなことを言って、母はいつも僕の近くにいた。
まぁ、母は僕の近くにいただけで、僕の世話は全て侍女任せだったけど。
母はいつも、少し離れた椅子に座って、ベッドの上の僕を見ているだけだった。
母は――――
僕が侍女に着替えさせられてもらっているところを、見ているだけ。
僕が侍女に食事をさせてもらっているところを、見ているだけ。
僕が苦い薬を飲んでいるときも、見ているだけ。
僕が食べた物を毛布にもどしてしまったときは、顔を顰めて部屋から出て行った。
僕が起き上がれないで、けれど凄く喉が渇いていて、水が飲みたいとお願いしたときは、わざわざ侍女を呼んでくれた。
母は夜には夕食を終えると、自分の部屋へ戻って朝まで僕の部屋には来ない。
眠れなかったり、苦しくて不安なときも、人恋しい気分になったときにも、母は夜には僕の側にいてくれない。
夜には何度か侍女達が交代で僕の様子を見に来てくれて、そのときに侍女にお願いをして少し一緒にいてもらったりした。
彼女達は僕の手を握ってくれたり、背中を擦ってくれたり、熱を確認する為におでこに手を当てたりしてくれたり、「内緒ですよ?」と、おとぎ話を聞かせてくれたりした。
そして翌朝になると、母はまた僕の部屋に来て、定位置の椅子に腰掛ける。
母は基本的には、僕を見守っているだけで、あまりなにもしてくれない。
近くで僕を見て、憐れんでいるだけで……ああ、いや、偶に本を読んでくれたこともあったかな?
少し記憶が曖昧な部分もあるけど――――
お祖父様やおばあ様がお見舞いに来たときには、なんだかとてもピリピリして、お祖父様とおばあ様が母に話をすると決まって、「セディーが可哀想で」と言って、「酷いわ」と泣き出してしまう。
そうすると、お祖父様とおばあ様は母と話ができなくなって帰ってしまう。
なんで母は、僕が可哀想と言って泣くんだろう? 不思議に思って、僕を診てくれるお医者さんに、
「ぼくは、かわいそうなの?」
と聞いてみた。すると、
「セディック坊ちゃんは可哀想じゃありませんよ。今は体調を崩すことが多くて苦しいかもしれませんが、大きくなったらきっと治りますよ。セディック坊ちゃんくらいの虚弱な子供は、別に珍しくはありませんからね。お母様が心配するのは、それだけセディック坊ちゃんのことを大事に思っているからですよ」
と、苦笑しながら言ってくれた。
どうやら僕は、母が言う程『可哀想』な子供ではないらしい。
大袈裟にも感じる母の心配は、僕のことを大事に思っているからなのだと、お医者さんの言葉に納得した。このときには・・・
けれど、僕は相変わらず体調を崩すことが多くて、母が側にいる日が続いて――――
確か、段々と母のお腹が大きくなって行った。
そんなある日、母が僕の部屋に来なくなった。
なんで母がいないのかを不思議に思って、母はどうしたのか侍女に聞いた。すると、
「セディック様に弟君がお生まれになられたのですよ。おめでとうございます。ネイサン様と名付けられたそうです。可愛らしい赤ちゃんでしたよ」
笑顔で祝福された。
弟が生まれた、赤ちゃん、ネイサンと名付けられたと言われても、このときの僕には赤ちゃんというものが一体なんなのかも全くわかってなかった。
ただ、わかったのは暫くは母が僕のところには来ないということ。
そして、知らないうちに僕の家族が増えたらしいということ。
これまたよくわからないけど、それは喜ばしいことなのだということ。
ふーん、来ないんだ。と、特になにも思わなかった気がする。
母は僕を憐れんで「可哀想」と言うだけで、僕になにもしてくれなかったから。
世話をしてくれる侍女達がいたし。侍女達は、僕が望めば雑談には応じてくれた。むしろ、母がいないときの方が彼女達とは話し易かったかな。
だから、母が来なくて寂しいとはあまり感じなかったかもしれない。
まぁ、体調を崩して苦しんでることが多かったし、寝ている時間が長くて、その分寂しいと思うような余裕がなかったからかもしれないけど。
寝たり起きたり、ぼんやりしたりと、時間の感覚がかなり曖昧だけど……それから暫くして、体調がいいときだったことは、確りと覚えている。
母が、白い布に包まれた小さいものを抱えて僕の部屋へやって来た。
「セディー、この赤ちゃんはあなたの弟よ。ネイサンって名前なのよ」
母が笑顔で僕に見せたのは、赤くてぷくぷくのまるい顔をした小さなものだった。
その小さいものは、赤ちゃんというらしい。
ぽわぽわした細い金茶の髪の毛に、眠っているのか閉じられた目。
ぴすぴすと息をする小さな鼻。
あむあむと開いた口の中には、歯が一本も生えていなかった。
ぎゅっと握られた手は本当に小さくて作り物みたいなのに、偶にもにゅもにゅと動いて、細い指が開いたときには爪が生えているのが見えた。
ぷにぷにとしている肌はすっごく柔らかくて、少し熱いくらいの体温。
赤ちゃんからふんわりと漂って来るのは、甘酸っぱいようなミルクの匂い。
「ほら、ネイト。セディーお兄様よ」
そのとき、偶然かもしれないけど赤ちゃんの……ネイトの顔を覗き込んだ僕に、ネイトがふにゃりと笑ったんだ。
そしたらなんだか、胸の奥がきゅんとしてぽっと温かくなった気がした。
「お兄、様?」
「そうよ、セディーはネイトのお兄様になったのよ」
母はにっこりと微笑んで僕に言った。
絵本なんかで出て来る兄弟は、大きい方がお兄ちゃんで、小さい方が弟。
大きい方のお兄ちゃんは、自分よりも小さい弟を守るものだって書かれていた。
胸の奥のきゅんとした感じが、弟を……ネイトを守りたいって気持ちなのかもしれない。
「ネイトに優しくしてあげてね」
と、そう、母は僕に言ったのに――――
ちっちゃくてふにゃふにゃで、柔らかくて甘酸っぱい匂いのする、僕が守ろうと思っていた弟は、何度か会っただけで、僕の前からいなくなってしまった。
読んでくださり、ありがとうございました。
セディーが3歳。ネイサンが0歳。
セディーは小さいときから賢い子です。
セディー視点の話が暫く続きますが、何話くらいになるかは不明です。




