浅慮
魔導兵が、ワイバーンの群れ目掛けて魔法を放ち応戦する。火炎、風、氷の攻撃魔法がワイバーンめがけて襲いかかる。ワイバーン達は回避しようとしたが、5頭ほどに魔法が直撃して地面に墜落していく。
ワイバーン達が口から火炎を吐き出した。
無数の火柱が王都アリアドネに向かって宙空を走り抜ける。そして王都アリアドネを護る防御結界に当たり、火炎がはじき返された。
「弓箭隊! 放て!」
指揮官達が怒号する。魔法を込められた矢がワイバーンめがけて驟雨のように降り注ぐ。
城壁から上空に向けて放たれる数百の矢が、ワイバーンの胴体、羽を貫く。短時間で、30頭近くのワイバーンが討ち取られ、地面に墜落した。
「よし!」
イシュトヴァーン王は破顔した。
精鋭揃いの王都防衛軍である。魔神軍といえど籠城戦ならば持ちこたえられるのではないか?
イシュトヴァーン王がそう考えた刹那、恐るべき殺気を感じて宙空を見た。
彼の視線の先に怪物がいた。あまりにも禍々しい妖気。
その怪物は子供の姿をしていた。
10歳ほどの少年の姿。金髪碧眼。黒い服。
人間にしか見えぬ外見。だが、人間でないことは一目でわかる。その身体から発散される殺意と狂気、そして魔力が人間でないことを告げている。
「『魔神軍といえど籠城戦ならば持ちこたえられるのではないか?』、だと? 浅慮なことよな」
少年の姿をした十二罪劫王の1人・バアルは唇を歪めると、右手をかざした。
バアルの右手から膨大な魔力が放出された。白い光が天と地を包み込む。
次の刹那、王都アリアドネの結界が消失した。
「あ、ああ……」
イシュトヴァーン王が呻き、後ずさった。2000名もの魔道士で錬成された結界がこうも簡単に解除されるとは……。
兵士達の間にも、絶望ににたうめき声が上がる。
人間達の苦悶の表情を見て、少年の姿をしたバアルは哄笑した。
「王都アリアドネを劫掠せよ。女は犯し、男は殺せ。子供は父母の目の前で引き裂け! イシュトヴァーン王、並びに王族は生きたまま捕らえよ!」
バアルの声が響き、20万の魔神軍が雄叫びを上げた。
魔神軍が王都の城壁に向かって魔法を放つ。
轟音が炸裂し、王都の城壁が崩れ出す。
魔神軍が攻撃魔法を間断なく放出し、王都アリアドネの城壁を破壊していく。
ワイバーンの吐く炎が兵士達を焼き殺し、急降下したワイバーンが市街で市民を爪と牙で引き裂く。地獄のごとき光景が出現し、王都に住む市民が悲鳴を上げる。
「持ちこたえろ! 踏みとどまれ!」
「魔神軍を倒せ!」
「市民を護れ!」
将官達が怒号し、兵士達は果敢に応戦するが、ワイバーンに次々と討たれ死骸となって倒れ臥す。
魔神軍の中から死霊騎士が吶喊して、崩れた城壁から市街に突入する。
王都を守備する騎士達が横列をしいて応戦するが、瞬く間に死霊騎士によって斬り殺されていく。
ワイバーンの群れによって王都に火が燃えさかり、火炎と黒煙が空に噴き上がる。
「陛下、王女殿下とともに待避を! 最早、王都は持ちませぬ!」
イシュトヴァーン王の側近が叫んだ。
イシュトヴァーン王は憎悪と屈辱に歯噛みすると側近に顔を向けた。
「……我が娘パンドラを逃がせ……」
「はっ!」
側近の一人が即座に王城に向かって駆ける。
「陛下、陛下は如何されるおつもりで?」
五十歳ほどの痩身の男が問うた。
イシュトヴァーン王の側近、パーマストン伯爵である。
「予はここで王都を死守する」
イシュトヴァーン王が罪劫王バアルを睨みつけた。空中に浮遊する少年の姿をしたバアルに殺意に満ちた視線を送り込む。
「しかし、陛下! 陛下が死ねばこの国は終わりです! 捲土重来を期してお逃げ下さい!」
パーマストン伯爵が泣くような表情で叫んだ。
「黙れ! 黙れ! 予にも誇りがある! 民を見捨てて逃げた臆病者と世人に嘲弄されるなど耐えられぬわ!」
イシュトヴァーン王は大剣を握りしめた。王家に伝わる宝剣が白く輝く。
一人娘であるパンドラは逃がした。悔いはない。ここで死ぬ!
その時、禍々しい声が響いた。
「『悔いはない。ここで死ぬ』……か。安心しろ。殺しはせん」
空気が殺気で凍り付いた。
イシュトヴァーン王とパーマストン伯爵。近衛兵達が声のした方向へ顔と視線をむける。
十歳ほどの少年がそこいた。
金髪碧眼の美しい人形のような少年。
だが、それが人間でないことは一目で分かる。例え幼児であろうと分かるであろう。あまりにも禍々しい邪悪なオーラ。
少年の姿をした闇と殺意と凶事の塊。
罪劫王バアルがそこにいた。
イシュトヴァーン王から10メートルほどの距離。城壁の上に優雅な仕草で立っている。
数秒、近衛兵達は凝固し、すぐさまバアルめがけて襲いかかった。
「殺せ! バアルを討ち取れ!」
近衛兵50余名がバアルめがけて剣と槍、魔法で攻撃する。
近衛兵一人は、並の騎士10人に匹敵する戦闘力を誇る。
その精鋭達の攻撃を、バアルは身動きもせずに魔法障壁だけで受け止めた。
近衛兵50余名は驚愕の表情を浮かべて固まった。信じがたい光景。悪夢に等しい。
バアルは近衛兵の攻撃を何もせずに魔法障壁だけで受け止めた。
腕も動かさず、武器も使わず、瞬きすらしない。
ただ魔法障壁という常時展開可能な基礎的な魔法防御術のみで防ぎ止めたのだ。
「消えろ」
バアルが地獄のような声を出した。バアルの禍々しい声が終わると同時に近衛兵50余名の身体が爆発して四散した。
爆発の衝撃でイシュトヴァーン王とパーマストン伯爵が、吹き飛ばされた。数秒後、城壁の上に近衛兵達の肉片と血がまき散らされていた。
パーマストン伯爵は衝撃波で気絶し、城壁の兵士達も昏倒していた。
「お、おのれ!」
イシュトヴァーン王は恐怖を怒りで塗りつぶすために叫んだ。
起き上がって宝剣を構え、バアルめがけて斬りかかる。
バアルは人差し指を立てた。イシュトヴァーン王の宝剣とバアルの人差
し指が衝突する。
水晶を砕くような美しい音が響いた。
イシュトヴァーン王の宝剣が真っ二つに折れたのだ。
バアルはイシュトヴァーン王の首を手で掴んだ。巨人のような剛力でイシュトヴァーン王の喉を締め付ける。イシュトヴァーン王は強引に膝を付かされた。
「が……あ……」
イシュトヴァーン王が呻くと、バアルは軽く首を傾げた。
「そうか。迂闊にも忘れていた。人間とは脆かったな。この程度で容易く死ぬ」
バアルは手の力を緩めた。
「心配するな。お前は殺さぬ。やってもらわねばならぬことがあるからな……」
城壁の上にいる騎士も兵士も動くことすら出来なかった。あまりの恐怖に微動だに出来ない。
罪劫王バアルの放つ殺気と魔力だけで気絶しそうになる。
「バアルよ。お前だけ遊ぶのは公平ではないな」
バアルの側に4つの人影が出現した。
バアルの仲間である十二罪劫王。
レラジュ、イポス、ブネ、ハーゲンディである。
彼らは全員、金髪碧眼の人間の姿をしていた。
レラジュは、長身の男性の姿。
イポスは、二十歳ほどの女性の姿。
ブネは、筋骨たくましい青年。
ハーゲンディは、幼女の姿。
全員、彫刻のように美しい外貌をしていた。だがその身体から滲み出る悪意と殺意はバアル同様、人間ではなかった。
むしろ彼らが人間の姿をしているのことがこのうえなく醜悪な喜劇と言えた。
「私も遊びたいよぉ~」
幼女の姿をしたハーゲンディが邪悪な光を双眸に浮かべる。
「卿らは王都アリアドネを破壊すればよかろう」
バアルがつまらなそうに同胞に告げる。
「面白くもない……」
レラジュが静かに言う。
「私もレラジュに同意だね。こんな都、あと1時間もすれば配下どもが灰燼に帰すだろうよ」
イポスが腕を組んだ。
「もう少し強い人間はおらんのか? 暇でしょうがない」
ブネが分厚い腕を組んだ。
「私の関知する領分ではない。人間の脆弱性を私のせいにするな」
バアルは鬱陶しそうに言う。
「……バアル~? どうしてそんなに偉そうなんだよ?」
幼女の姿をしたハーゲンディの双眸に危険な光が浮かんだ。
「ハーゲンディの言うとおりだ。卿は今作戦において我らの上位に立つことを魔神より拝命された。だが、元々の位階は同等であるぞ? 侮蔑するならば卿との闘争も辞さぬ」
レラジュが低い声を出した。
ハーゲンディとレラジュの身体から闘気が吹き上がり、殺意がバアルに向けられる。
「ここでバアルと戦えるなら、退屈はしなくて済むよね~」
ハーゲンディが碧眼に危険な光を宿して一歩前に出る。




