オーディン
オーディンは一度、目を閉じた。数秒の重い沈黙が空間を支配した。やがて、オーディンが目を開いた。
「……よかろう。だが、相葉ナギをすぐさま地球に帰還させるわけにはいかぬ。相応の業績をあげた後、相葉ナギを死した時の元の場所、元の時空間軸に帰還させることを約定しよう」
「相応の業績とは?」
ケレスが、薄い笑みを浮かべる。
「……相葉ナギは現在、惑星フォルセンティアにいるのであったな?」
「ええ」
ケレスが、優美な声を出す。
「……惑星フォルセンティアにおいて《魔神》なる者が跋扈しておる。その魔神を打ち倒した時、地球に帰還することを許そう」
オーディンが、そう宣言するとナギとセドナが驚愕の表情を浮かべた。
「……魔神を倒す?」
ナギが、上擦った声を出す。
(あの魔神を? モンスターどもの総帥を僕が倒せと?)
ナギの心中の声をオーディンは読心した。
「そうだ。予は軍神オーディン。予が寵愛するは勇武の心を持つ者のみ。怯懦な者に用はない」
雷鳴のごとき声にナギは気圧され沈黙する。
「ですが、オーディンよ。今少し、厚情を与えて頂けませんか? 貴方に与えた、かつての『貸し』に免じて……」
ケレスが、翡翠の双眸を細めた。
オーディンが、わずかに眉を曇らせる。
「……『貸し』か……」
軍神の碧眼に束の間、強い光がよぎり、消えた。
「……ケレスよ、何をもって、厚情と為す?」
「相葉ナギにとって地球は愛しき故郷。時折、帰る許可くらいは与えてあげたいものです」
ケレスが優美な口調で言う。
「……帰還の許可を担保とするものは如何に?」
「私は神力でもって、相葉ナギを神族としました。そうである以上、彼は私の眷属神。食事に関することくらいは大目に見て頂きたいものです」
「……そうだな。お前は《食事》に関する神能を有している。ならば、神律にも抵触せぬな……」
「はい。ですので、一定の善行を積めば地球に一時的に帰還し『食事を楽しむ』、という権利を彼とセドナ嬢に与えて頂きたいのです」
ケレスの言葉に、ナギの顔がわずかに明るくなる。
(それはつまり、食事に関係することなら地球に帰還できる、ということか?)
ナギが心中で思う。
「……良かろう。予が認めるだけの善行を為した場合、その善行の多寡に応じて、相葉ナギとセドナを『食事に関することでのみ、地球に一時的に帰還、滞在すること』を認める」
オーディンが裁定を下した。
「だが、その前に……」
軍神が、碧い隻眼を相葉ナギに投じた。ナギの体をオーディンの神力が鞭のように叩く。
「相葉ナギに問う」
オーディンが荘厳な声を発した。大気が鳴動し、ナギの体を圧迫する。
(ナギさん。ここが正念場です。しっかりして下さい)
ケレスの念話がナギの頭に響く。
ナギは丹田に力を込めて、オーディンの視線を真正面から受けた。
ナギとオーディンの視線が真っ向から衝突する。
オーディンの眼力は凄まじく、視線だけで粉微塵に砕かれそうになる。それ程に軍神オーディンの神力は桁外れだった。
「相葉ナギよ。そなたは弱者を守り、彼らの盾となることを誓うか?」
オーディンの声が、魂に響く。
ナギはオーディンの顔を見つめた。
祖父・円心の声が聞こえてくる。
『ナギよ。強く、そして優しい男になれよ。決して、弱い者いじめをするような卑劣な男にだけはなるな……』
『良いか、ナギよ。世の中には嘘も虚勢も通じぬ恐るべき人間が希にいる。そのような人間と相対した時は、全身を使って傾聴し、決して嘘を吐かず、正直に、かつ力強く答えろ』
ナギは、息を整えると、
「はい」
と答えた。
「相葉ナギよ。卑劣を遠ざけ、己の身を慎み、悪を排することを誓うか?」
「はい」
「相葉ナギよ。己のもっとも、信じる者の魂に誓え。生ある限りその体を剣とし、魂を盾として、か弱き者を守ることを……」
ナギは祖父の顔を思うと自然に口が開いた。
「誓います」
オーディンの謹厳な顔にわずかに笑みが浮かんだような気がした。
「……よかろう。予の名において、誓う。ここに相葉ナギと『誓約』をかわす」
オーディンが、両眼を閉ざした。
「……『誓約』の付与として、そなたに予の力の一端を与える」
軍神が巨大な右腕を肩の高さまで上げた。
瞬間、落雷がナギの体に直撃した。
「ナギ様!」
セドナが悲鳴を上げた。
巨大な稲妻がナギの体を包み込む。放電が迸り、電光が大気に乱舞する。
刹那、ふいに稲妻が消えた。
無傷のナギの体が現れる。ナギは自分の体を触った。どこにも怪我はない。
「予の神力の一部を付与した。予からの餞別である」
オーディンは静かに告げた。
メニュー画面が開いた。
『軍神オーディンの恩寵スキルを付与されました』
『 軍神オーディンの恩寵スキル:
《軍神の使徒》 』
『恩寵スキルの効果の1つ:《不老化》が適用されました。貴方の肉体は、地球に生還するまで、老化することがありません。』
『恩寵の神器:《神槍グングニル》
レベル:SSSクラス
主神オーディンの愛用の槍。
ユグドラシルの枝によって作られている。
《神剣レーヴァテイン》
レベル:SSSクラス
業火の神剣。
その他:合計666の神具を獲得しました。』
(なんだ、この数は?)
666の神器という途方もない数にナギは茫然とした。
(こんなに沢山もらっていいのか?)
ナギの心を読んだオーディンが、威厳に満ちた声を出す。
「構わぬ。使わぬ武器なぞ土くれにも劣る。汝が使命を果たし終えた時には返却してもらう。どうせ、持っていても予には使うこともないであろうしな……」
オーディンの声には自嘲の響きがあった。
「存分に武器を振るい、戦える汝が少し羨ましいぞ……」
軍神の声には、哀愁の色があった。
ナギは深く頭を垂れて謝意と敬意をあらわした。
(武器か……)
とナギは思う。
(ここに〈斬華〉もあったらな……)
相葉家の宝刀・〈斬華〉。あの美しい刀身が、ナギの脳裏によぎる。
「〈斬華〉か……」
オーディンが低い声を出し、ナギはびくりと体を震わした。
(簡単に心を読まないでください! 怖い!)
ナギの独語をオーディンは無視した。
「〈斬華〉とはどのような武器だ?」
オーディンが僅かに身を乗り出す。岩山のような巨躯がせり出し、その迫力にナギとセドナが怯えた。
「はよう申せ」
オーディンが命じる。
「……お、俺にとっての最高の武器です」
ナギが、誇りを持って言う。
「……そうか。誰しも最愛の武器という者があろうな。よく分かるぞ……」
「そうでしょう!」
オーディンとナギが意気投合した。
「……男にとって、武器ほど愛しきものはない」
「その通りです!」
オーディンとナギの一瞬で心が通じ合った。オーディンとナギの瞳が爛々と光り、内心の興奮を映し出す。
女であるケレスとセドナは、男どもが何故興奮しているのか分からず、珍獣を見るような眼で2人の男を見やった。
女神ケレスは、コホンと咳払いした。
「……ナギさんにとっては非常に大事な品のようです。如何でしょう、オーディンよ。せめて、ナギさんの愛刀とやらを地球に取りに行く時間くらいはあげて良いのでは?」
「……ふむ」
オーディンは数秒、沈思した後、
「よかろう」
と答えた。
「……男にとって、愛着のある武具は妻よりも尊きモノだ。相葉ナギとセドナにその許可を与える。だが、あくまで刀をとる時間だけだ。長居は許さぬ」
「もちろんです」
ケレスは嬉しそうに答えた。
オーディンが口を閉ざし、沈黙がおりた。
軍神が静かな、だが鋭い視線を女神ケレスに投じる。
「……目論み通りか? 女神ケレスよ……」
オーディンが問うた。
「さて、如何なものでしょうか……」
女神ケレスは翡翠の双眸を細め、艶麗な声を発すると頭を下げた。
「では、オーディンよ。これにて失礼致します。私も仕事がありますので……」
オーディンは了承して、目を閉じた。
ケレスは両手を優美に広げた。
「さて、ナギさん、セドナさん。地球に行きましょう」
ナギとセドナの答えを聞く前に、純白の光がナギ達を覆った。光が消えると同時にケレス、ナギ、セドナの姿が消えた。




