幻惑(ファンタズ)の庭園(ギルア)
罪劫王バラキエルはコーヒーを飲み終えていなかった。まだ午餐会は続いているという事だ。
相互に一切の攻撃ができない状況で、俺たちは罪劫王バラキエルのピアノを聴いた。
俺は耳を澄まして罪劫王バラキエルのピアノを聴いた。
美しい旋律だった。
プロのピアニストのような巧みな演奏だ。
(だが、なんでだろう。まったく心が揺さぶられない……)
俺は疑問に思った。
罪劫王バラキエルは、認めるのも癪だがテクニックはある。ピアノの腕前は一流だ。作曲したというこの曲の音律も美しい。
だが、全く感動できない。心が波立つ所がない。俺は爺ちゃんの影響でクラシックやジャズを沢山聴いて育った。
洋楽も邦楽も好きで、かなり音楽は聴いている方だと思う。
どんなジャンルの音楽でも、素晴らしい音楽なら心に何らかの作用がある。
心が震えたり、悲しくなったり、ノリが良くて元気が出たりする。
だが、罪劫王バラキエルの音楽を聴いても心がピクリとも動かない。
ふとセドナ達に視線をむけた。全員、俺にわずかに視線をあわせる。
セドナ達の表情を観ると、どうやら俺と同じようだ。彼女達も全く感銘を受けていない。
やがて、ピアノの音が途絶えた。
「さて、どうでしたか? 私の音楽は?」
罪劫王バラキエルが、ピアノの椅子から立ち上がり、俺たちに問う。
「……正直に感想をいって良いか?」
俺が問うと、罪劫王バラキエルは微笑して、
「もちろんです。そうでなくては困ります」
と答えた。
俺は一拍おくと口を開いた。
「技術はいい。技巧も良い。作曲の構成も良かった」
俺は真摯に、丁寧に批評を口から漏らした。
「ほう。来訪者たるナギ殿に評価して貰えるとは嬉しい限りです」
罪劫王バラキエルが、赤い瞳に喜色をたたえた。
俺は腕を組み、吐息を出すと罪劫王バラキエルに視線を投じた。
「……だが」
「だが、なんでしょうか? ナギ殿、どうぞ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい」
罪劫王バラキエルは、ピアノの横に立ったまま優美な仕草で胸に手を当てた。
長めの金髪と赤瞳の罪劫王は興味深そうな顔で俺に注視する。
「はっきりと言わせてもらう。まったく感動できなかった」
俺が断言すると、セドナ達も頷いた。
「ほう……、私の音楽が感動できないと?」
罪劫王バラキエルは意外にも冷静に問うてきた。
「ああ、心が浮き立ったり、感動したり、あるいは哀愁、昂揚、そういった心揺さぶる力がまったくない。正直、こんな音楽は聴いたことがない。ある意味希有なことだ」
俺は淡々と事実を述べた。
「手厳しいですね。ですが、やはり本音の批評とは心地良い。世辞がなく、事実だけを述べる貴方の態度はご立派ですよ。相葉ナギ殿。貴方はどうやら非常に誠実な方のようだ。私に対する怒りはあっても、冷静に分析しているのが分かる」
罪劫王バラキエルは、少し長めの金髪を手ですいた。
「それで、どうして私の音楽が人間である貴方の心を揺さぶる事が出来ないのか。その理由を言語化して、私に伝える事は出来ますか?」
俺はわずかに戸惑った。罪劫王バラキエルは俺の酷評にたいして全く怒りの色を見せない。
芸術家を自称するなら、怒りを持つのが当然なのだが……。
そこで俺はふと気付く。
(もしかしたら……)
と思った。
だが、確証はない。
俺は腕を組み。数秒黙考した後、口を開いた。
「少し思いついた事はある。だが、確証がない。だから言えない。お前も確証がない人間の分析論なんて効きたくないだろう?」
罪劫王バラキエルは赤い瞳を細め、興味深そうに俺を見た。
そして、哄笑した。赤い瞳の罪劫王の笑声が広間に響く。
「まったく仰せの通りです。貴方はどこまでも誠実なようだ。だが、山なんです。貴方も私の芸術にとって有益な存在ではなかったようだ」
罪劫王バラキエルは笑声を消した。
「楽しい午餐会も、終わりのようですね」
金髪赤瞳の罪劫王は、軽く右手を動かした。テーブルの上にあるコーヒーカップが、罪劫王の魔力で動き宙空を浮遊し移動した。
やがて、コーヒーカップが、罪劫王バラキエルの手におさまる。
俺たちは一斉に身構えた。
コーヒーを飲み終える。それはすなわち午餐会の終わり。
終わった直後は誓約が効力を失い、戦闘になる。
俺は神剣〈斬華〉の鯉口を切った。
セドナ達も、各々が武器を構える。
罪劫王バラキエルは、動じる様子も無くコーヒーを優美な所作で飲んだ。
やがて、コーヒーカップを口から離した。
「さて、コーヒーは飲み終えました。午餐会は終わりです。殺し合いを始めましょう」
罪劫王バラキエルが宣告した。
俺たちは一斉に罪劫王バラキエルにむかって攻撃を仕掛けようとした。 直後、意識が混濁した。
「?」
視界が歪み、身体が動かなくなる。椅子から立ち上がる事も出来ない。
(なんだ? これは一体どういう……)
俺は意識を失うまいと藻掻いた。だが、数瞬後、視界が暗転し、肉体が動かなくなった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
罪劫王バラキエルは、微笑すると広間を階の上から見下ろした。
相葉ナギ達は、全員意識を消失して椅子に座したまま彫像のように動かなくなっていた。
目を閉じて動かなくなり、眠りの世界に落ちたナギ達を観ながら罪劫王バラキエルは微笑した。
「残念でしたね。貴方達は強い。まともに闘えば私は貴方達に敗北していただろう」
バラキエルは階の上から降りると、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「だが、私の異能は何人にも逃れられない。この宮殿に入った時、既に発動条件は満たされた。最初から貴方達に勝ち目はなかったのだ」
バラキエルの赤瞳に愉悦の光がよぎる。
「さて、私の異能を説明するよ。それも異能の成立条件の一つだからね。私の異能は、『幻惑庭園……。文字通り精神操作系の異能だ。その効力は……」
「ぜひ詳しく教えて下さい」
メディアが、突如瞳を開けて罪劫王バラキエルを見た。
罪劫王バラキエルの端正な顔に一瞬、困惑と驚愕の色が滲んだ。
だが、バラキエルはすぐに冷静さを取り戻して、メディアに視線を投じた。
「驚いたよ。まさか私の異能が効かない人間がいるとは……」
罪劫王バラキエルは椅子に座ると長い足を組んだ。
「私は人間ではありません」
メディアが答える。
「ほう。では君は何者だ?」
罪劫王バラキエルの赤瞳が、メディアに向けられた。罪劫王の赤瞳には冷酷な殺意が浮かんでいた。
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