蒙恬(もうてん)
ナギとセドナのいる場所から、五キロほど離れた平原。
勇者エヴァンゼリンは、蒙恬と対峙していた。
勇者エヴァンゼリンは聖剣を構えながら、蒙恬を観察していた。
戦う前に敵を観察するのは、兵法の常道である。
蒙恬は、三十歳前後の風貌をしていた。
身長は190センチ前後。
体重は百二十キロを超えている。
一見すると肥満に視えるが、分厚い脂肪の内側に、強靱な筋肉が内臓されていた。
蒙恬は、巨大な戦斧を持ち、勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合う。
間合いとは距離と角度である。
相手よりも優位な距離と角度を取るものが敵に打ち勝つ。
蒙恬は、歴戦の古豪らしく、慎重に、かつ狡猾に勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合っていた。
数秒後、蒙恬の方が、間合いの取り合いで、エヴァンゼリンよりも優位にたった。
だが、エヴァンゼリンはさして脅威を覚えなかった。
灰金色の髪の少女は、内心で、
(惜しいな……)
と、蒙恬を憐れんでいた。
蒙恬は、強い。対峙しているだけで、百戦錬磨の戦士だということがよく理解できる。
それ程、蒙恬には気迫と威厳がある。
だが、蒙恬は魔力量が低い。
エヴァンゼリンの十分の一もない。
この戦いは端から勝負にならないのだ。
(戦えば確実に僕が勝つな……)
エヴァンゼリンはそう思い、蒙恬に同情した。
同情したのは蒙恬という人間が、敵とはいえ、まだ誰も殺していない存在だからだ。
彼は召喚されたばかりで今の所、特に人類や世界に害悪をもたらした訳ではない。
それに、正々堂々、一対一で正面から戦おうとするその姿勢も好感がもてる。
(どうにも気が引けるな)
と、エヴァンゼリンは嘆息した。
だが、ふいに蒙恬が、エヴァンゼリンを睨んだ。
「小娘、俺にたいして憐憫をかけるつもりではあるまいな?」
蒙恬が、低く鋭い声を出した。
エヴァンゼリンは、はっとした。蒙恬に心中を見抜かれたと思った。
エヴァンゼリンが無意識に加減しようと思考しつつあり、それを蒙恬は鋭い洞察力で見抜き、彼女を叱咤したのだ。
エヴァンゼリンは、わずかに頬を染めた。
それは自身の浅慮と未熟さを実感したからだ。
この場合の憐憫や、浅い同情は蒙恬に対して無礼であり、全力で戦うことが正道だと、目の前の男に気付かされたのだ。
「……失礼した」
エヴァンゼリンは魔力を全開にした。
青い魔力光が、灰金色の髪の勇者から放たれる。
エヴァンゼリンは聖剣を晴眼に構えた。
「貴卿の名前は?」
灰金色の髪の勇者が問う。
「蒙恬。秦の将なり」
秦の国の名将は、誇りをもって答えた。
蒙恬は戦斧を上段に構えた。
エヴァンゼリンが、応じて腰をわずかに沈める。
数秒の静寂。
次の刹那、蒙恬が動いた。
蒙恬は無言の気合いとともに戦斧を真っ向から振り下ろした。
エヴァンゼリンの脳天にめがけて戦斧が打ち下ろされる。
その時、エヴァンゼリンの聖剣が、白い剣光を発した。
二つの剣閃が煌めく。
エヴァンゼリンの放つ、一つ目の斬撃で蒙恬の戦斧が粉微塵に砕ける。
ほぼ同時に、蒙恬の胸が、エヴァンゼリンの二撃目の斬撃で横に斬りさかれた。
蒙恬には剣閃を目で視認することすら出来なかった。
エヴァンゼリンは身体を引いた。
そこに蒙恬の巨体が倒れた。
蒙恬の身体が仰向けに倒れ、血が地面に広がる。
エヴァンゼリンは聖剣を鞘にしまった。
誤字脱字報告で、作者の誤字脱字を直して下さり、本当にありがとうございます。
心から、感謝申し上げます。




