絵葉書
ふと、その絵葉書を手にした。それは机の引き出しにあったものだ。このホテルの18階からの景色を写したものだと説明が付されていた。俺は無性に何か書きたくなった。せっかくの絵葉書だからと思うが故にだ。そして、風雅にもこの詩をしたためた。
〜曇天、山頂に霧立ち上る
我が心境の憂い表すが如く
漠然なれば更に
更に〜
ここのホテルからの羊蹄山の眺めは格好であった。だが、九月ともなれば、秋めき霧が立ち上るのだ。それ故、全景を見れない。もっとも、それを嫌うものでもなく、むしろ、我が人生に相応しいと思うくらいだ。そう、何かが足らない、満たされることがない、それこそ、我が人生たりうるという具合にだ。俺は、その詩のほかにそういった自嘲を書き添えた。ところがいざ宛名を書く段になると、その道化ぶりは更に増した。一体、誰に送ろうというのだ。そうなのだ。誰かに送ろうとしたのではなく、ただ、その絵葉書をしたためたかっただけなのだ。だとしても、このまま出さずに終わるのはどうも未練を感じる始末となった。
やはり、あいつしかいない。とはいえ、相当年月を経たはずだ。離婚してから。しかも、その顛末は訴訟となり、判決で決着したというものだった。だが、決して、泥沼化したとは思っていない。もっとも、これは俺の勝手な見方だ。至極あっさりと一審では俺の主張が認められたからそう思うだけだ。代理人の巧妙な反対尋問のお蔭であいつは、法廷で取り乱し、過換気呼吸で救急車で運ばれた。この結果、裁判官の心証は大きく俺の方に傾いたのには違いない。
しかし、後ろめたさは否めない。あいつはそれからというもの、生活保護を受給する羽目となった。だが俺は、民生委員に知られぬ様に、何かの加減で入用のとき、こっそりお金を渡したりもしていた。決して保護金品を使ってしまった理由を質したりはしない。
その境遇で俺からの絵葉書を見たら、いつかの様に単に蔑んでいるだけだと見るだろう。いや、それどころか逆上し、すぐに破り捨てるかもしれない。だが、そういう俺も今や絵葉書一つ差し出せる者がいないのだ。それは皮肉ともいえよう。そういった境遇をこの絵葉書からあいつは汲んでくれるだろうか。コンシェルジュディスクへ向かった。63円が必要と。
「申し訳ない。少し書き足したいことがあって。」
その絵葉書を携え部屋に戻るとすぐにそれを破り屑籠に捨てた。