1-9『運命の鼓動』
こちらのスピードに対抗して体当たりしてくる空気を、体勢を低くした身体が切り裂いていく感触。
左側に煌めく太陽は、その脚を魔族と人間の領域を隔てる山の連なりへと沈めようとしている。
次の街まではもう少しだ。このままいけばちょうど作り立ての夕食にありつけるかもしれない。
体を預けている相棒――蒼いたてがみを淡く輝かせる駿馬《プラウルグ》――はもうかなりの距離を走り続けているというのに疲れ知らずの雰囲気で四足のリズムを響かせている。
俺が乗っているのは馬といっても普通の馬ではない。彼は魔力を持ち魔法を使いこなす。高度な知性を持ち己の判断で加速し、戦闘時には魔力の槍を生成し敵を打ち倒すことすらできる。
この世界にも一般的な馬はもちろん生息しているが、AOプレイヤーにとって馬と言えば基本こちらだ。
自分専用の騎乗生物を所持している者もいるが、ほとんどの冒険者は各街の駅で馬を借り受けて旅を行う。
レンタル料は決して安くなく、上位種の馬を借りるにはクエストをクリアして冒険者のライセンスを高めていく必要があるが、彼らなしにこの広い世界で冒険をしていくのはあまりに不便すぎる。
広く拓かれた街道のおかげで蒼馬は最適速度を保ったまま街への道のりを消化し続けていった。
実はこの馬を借りられたのは運がよかった。ちょうど貸出可能になった最後の一頭だったのだ。
AOでは何千人が一度に利用しても問題なかった貸し馬サービスだが、この世界ではレアリティに連動する頭数の制限があり、タイミングによっては利用できない場合もあるらしい。
現在世界に流入した多くのAOプレイヤーによる大規模なメインクエスト攻略レースが行われているために、速い馬の需要は急上昇していた。
もしかすると俺の先を進んでいる冒険者は蒼馬を借りられなかったかもしれない。それならば追い付くことも不可能ではない。
「――む?」
街道の外側はほとんどが木々の散在する林野で、間に草原や平野を挟んだりする。数百メートル先の右脇に見える、周囲のものより少し背の高い樹木。その下でうごめく集団がある。
――あれはゴブリンか。
彼らは通常街や街道から離れた場所にある森林地帯や、ダンジョンとは呼べない程度のほら穴に生息しているが、時折人間の活動する領域に現れては資源を獲得しようと襲い掛かってくる。
彼らが俺に気付き襲ってきたとしてもプラウルグ単独でさえ撃退できるだろうが、弓矢攻撃で不意を衝かれ、この馬が負傷してしまうと莫大な負担金が俺にのしかかってくるし、またあの集団を野放しにしておくのも他の利用者に悪いだろう。
少し時間を取られてしまうが、駆け抜けるのでなく穏便に処理するとしよう。
ゴブリンの集団に近づくにつれ減速し、街道の左脇で停止する。
「ここで待機して、周囲を警戒。攻撃は避けて安全にな」
馬を降りて待機を支持すると、蒼髪の彼は俺の言葉を完全に理解したかのようにいなないた。
急角度の日射を背後から受けてできた長い影が街道を横切ったために、ゴブリンたちは俺の存在にすぐ気づいたようだ。
「よお。なにやってるんだ?」
見てわかったが。彼らは倒れこんだ馬を取り囲んでいたからだ。戦利品の見分といったとろか。哀れな馬体は半ば解体されかけている。
ゴブリンの手際――解体スキルに依存する――はあまり良いとは言えないので、襲撃からは結構時間が経っているかもしれない。
「ヒト! ジャマスルカ??」「ウマ、オレタチノモノ!」「オソウカ?」
――ゴブリンなどの亜人系モンスターには実際人間と遜色ない知性がある。彼らが俺と敵対するというのならそれなりの対処をする他ないが、むやみに攻撃をしようとは、今は思わなくなっていた。
「……馬に乗ってた人がいただろ。その人はどうした?」
「ヒト、ニゲタ」「オンナ、モウイナイ!」「オソウカ?」
どうやら襲撃された人物は無事逃げおおせているようだ。なら、まあいい。彼らにも最低限の生業というものが必要なのだ。
「馬は持って行っていい。さっさとここから離れて、しばらくこっちには来ないってのは、どうだ?」
「アイツイイヤツカ?」「アイツ、ヨワイカモ!」「オソウカ?」
……どうやら俺が低姿勢なのを弱いからだと勘違いしている個体がいるようだ。
右手を差し出し、一気に発生させた雷電のエネルギーをしっかりと見せつけてから地面に炸裂させる。《ライトニング・ボルト》。彼らの弱点属性である電撃魔法は雑草を焦がした程度で地中に吸い込まれてしまったが、これで十分だ。
「アイツヤバイゾ!」「ニゲロ、ニゲロ」「オソワレル!」
慌てふためくゴブリン達はそれでもしっかりとそれぞれ馬のパーツを抱えて確保し、そそくさと林野の奥へと消えていった。
「しばらくは出てくるなよー。仲間にも伝えとけ!」
今のやり取りが何か人間とゴブリンとの関係に好影響をもたらすとは到底思えないが、有無を言わさず始末してしまうよりはマシなはずだ。
そう前向きに考えて、進行を再開すべく馬へと向かう。
馬を奪われてしまった旅人は災難としか言いようがない。ここから街まであと数キロはある。移動速度が激減してしまうので、着くまでの体感時間は相当長くなるだろう。
もしあれが貸し馬なら買い取りと同じ金額を支払わなくてはならないし、踏んだり蹴ったりだ。
残りの距離を一気に駆け抜けたが、街道を歩いている人はいなかった。不穏な痕跡もなかったので、不運な旅人はどうやらちゃんと街へ到着できたようだ。
既に陽は完全に沈み、月の光が支配する時間帯になっていた。
――宿場町《ノーゼルン》。プラウルグを街の厩舎に預け、食事の前にまずは宿を探すことにした。が――
「――ない」
部屋の空きが全くない。
宿屋の主の話では現在発生しているニヴル地方の異変によって、ここより北にある街から続々と商人、冒険者の引き上げ者が流入しており、大変な盛況を博しているとのことだ。
仕方がないので屋台で購入した豚のホットサンドを頬張りながら、街の中心から遠ざかった位置にある宿までも確認していく。
「――あるよ」
とぼとぼと歩き街の外れも外れの民宿風の小宿まで来て、ようやく良い返事を聞き出すことに成功した。
つるつる頭の宿屋の主はこの盛況が逆に迷惑だと言わんばかりの気だるさを醸し出している。
「ほんとか!?」
「おう――ただし二十二時からだな。その時間に出るやつらがいるんだ。あとお前と同じ条件で先約がいて、そいつと相部屋だぞ。ったく忙しくてかなわねえな」
「ああ、助かるよ」
一晩軒下で過ごせれば良いわけだから、相部屋になる人間を考慮しなければ十二分な条件と言える。……臭くなければいいが。
「日付が変わる前まで来なかったらキャンセルにしちまうからな」
前金を払って予約票を受け取り、宿から一旦出る。
十時まではまだ相当時間がある。俺は厩舎へ戻って預けていた蒼馬を貰い受けると、街の外へ繰り出した。
――行ってみたいダンジョンがある。
ノーゼルンから東へ、早馬で一時間弱。《蠱惑の開口》という名の洞窟系ダンジョンは、AO時代屈指の人気ダンジョンの一つだった。
最奥にいるボスは厄介の一言だが、それを無視して道中のワームや蜘蛛系のモンスターを狩り続ければ莫大な需要のある『糸』素材アイテムを大量に獲得することができる。それを売り払って金策を行うのは、成長するための王道中の王道とされていた。
最近は高レベルダンジョンに篭り切りでとんと行くことはなくなっていたが、まだまだレベルが低かった時代、特にやることが見つからない日にはとりあえず蠱惑、という感覚で『みんな』で狩りに出かけたものだ。
俺も――いやAOプレイヤーなら誰しも思い入れのある場所といえるかもしれない。
――走って走って、洞窟の入り口が見えてきた。蠱惑の開口はそれほど広くなく、ボス部屋までのギミックも単純なので日付が変わる前までなら余裕でクリアして帰還できるだろう。
「――え?」
洞窟入口の傍ら。誰かが備え付けたのだろう馬留めに、既に一頭の葦毛の馬が繋がれていた。プラウルグのような魔法種ではない、普通の馬だ。
――誰かが中にいるというのか。
地元の冒険者か?それとも同類か?
どちらにせよ、俺は何かが起こりそうな予感がした。
俗にいう『運命の鼓動を感じる』というやつか。
蒼馬を葦毛の隣に繋ぎ、バッグから愛用の長剣を取り出す。
黒剣は月明りを反射して刃の部分を艶やかに輝かせている。
「――よし」
深呼吸して意識を戦闘モードに切り替えると、懐かしのダンジョンへと足を踏み入れた。
頑張ってストックを作って一日二投稿なるものをやってみたい。
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