1-4『背水の刃』
エルダーヴァンパイア。ヴァンパイアの最上位種。
おそらくあのグループの中で魔族の強敵に太刀打ちできるレベルの冒険者はいない。あそこには俺がガーゴイルを一撃で破ったのと同じように、逆にボスの攻撃一発で体力が全損するほどステータスと装備の差があるプレイヤーもいる。
吸血鬼は虚無に空けた穴に手をつっこみ、そこから刀身に禍々しい波模様の入った黒長刀を引き抜いた。
勝機なしを肌で感じ取れたプレイヤーのほとんどは一目散にヴァンパイアの長から逃げ出し難を逃れていた。
しかし数名が、既に上位ヴァンパイアの固有スキルによって動きを封じられてしまっていた。
――《闇の眼刺し》。影響を受けた者はヴァンパイアから距離をとることが出来なくなる狩りの技能。近付き、立ち向かうことは可能だがアレは彼らがその選択肢をとれる相手ではない。
エルダーヴァンパイアはゆっくりと、獲物へと歩を進めていき――
「――待て待て待て待て」
無我夢中で剣を振り回す。集団の奥に侵入しすぎていたせいで、ボスまでの路が遠い。周りの敵は俺の目的を読み取ったかのような位置取りで、思うように前に進めない。ようやく包囲の外に抜け出したそのとき――
――吸血鬼の刀は今にも振り下ろされるところで、 目標はあの魔導士の男で――
「――やめろおおぉおおぉぁ!!」
処刑は無慈悲に執行され、エルダーヴァンパイアの持つ奇跡級の長刀はノームズの肉体を寸断し、彼の上部を飾っていた赤い体力ゲージを一瞬で消失させた。
ノームズの体力がゼロになった瞬間、その肉体は端から輝く粒子となって崩れていき、最終的に俺が屠ったガーゴイルと同じように、霧散した。
魔物たちとの違いはその場に漂う残滓――魂。
AOでは魂が残留している間になんらかの形で《復活》させれば、肉体を取り戻し戦闘に復帰できた。
そうでなくとも時間経過で魂は全ての街やダンジョンの侵入口に設置されている女神像へと飛翔し、そこからプレイを再開することは可能だったが……。
呆然とする俺たちを無視し、ヴァンパイアは悠々と次の獲物へ体を向けた。
膝を折って座り込んでしまっているシーフの女の子。このままでは――
――まだ終わってない。走れ。間に合うのは、俺だけだ。
「コンバージョン!」
走り出す動きが軽くなる。戦闘開始時にも発動した魔法。体力を消費し相応のスタミナ《sp》に変換するスキル。
スタミナは《技》系のスキルを使うときに消費されるが俺はこの戦闘で技を使っていないのでスタミナが減少したことはない。体力だけが無駄に消費されていく。
「コンバージョン!」
――更に加速する。このスキルに敏捷性を上げる効果は全くない。
「コンバージョン!」
――約五%。相手の攻撃力を考慮してここが今の限界値。今や一歩でゆうに十数メートルを移動できる。
「おおおおぉおおおぉぉああぁ!」
追いつく。振り下ろされようとする左腕めがけ放てる渾身の一撃を。
――ヴァンパイアの右肩から先が、長刀もろとも彼方へと吹っ飛んでいった。
振り向いた敵の眼光を無視し、間髪入れず全力の斬撃で刀身を切り返す。
エルダーヴァンパイアの行動パターンを見極め、相手のスキル発動をキャンセルできるタイミングで横に薙いでダメージを与え、またタイミング良く切り払う。その繰り返し。
怒涛の剣閃に反撃を一切許されぬまま、エルダーヴァンパイアは大地に還る運命となった。
――今まで倒したものと行動パターンが一緒で、運が良かった。
群れのリーダーの消滅を機に敵は急速に戦意を失い、みるみる殲滅の手にかかり消えていった。
つまり――クエストクリアだ。
――それは終わりを意味しない。
「誰か復活スクロール、持ってるか!?」
すぐさま漂うノームズの魂に向かう。時間はさほど残されていない。
悔しいことにソロプレイヤーの俺はインベントリの無駄である復活スクロールを持っていない。
駆け付けた連弩使いが巻物を広げ、復活の力を込められている魔法陣が描かれた面を緑色の浮遊物に向ける。
魔法陣から紫色の光の渦が生じ、魂の残滓を包み込んでいく。光の渦は回転を増していき、
――フッと消えた。
「……効果なし?」
もう一度同じ試み。しかし復活の力が肉体を呼び戻すことはない。
理由はわからないが効かない。戦闘中体力を回復するアイテムを使っている人はいて、確かに効果を発揮していたのに。
違いを考えている暇はない他には――
「――アンタ《蘇生》は!?」
一縷の望みをかけてギャラリーの中にいた白魔導士に声を投げたが、男は力なく首を振った。
無理もない。AOの復活魔法は何故か成功率が異様に低く設定されており、相当に鍛えられたものでも成功率は五割未満。
復活スクロールで事足りるのでこのスキルに時間を割かないのはもはや白魔導士ビルドにおける定石になっていた。
取得するには面倒なクエストが必要とあって上位|《白》にも蘇生を覚えてすらいない者がいるのは事実だ。
基本的な復活の手段はこれらしかない。神獣クラスのペットにはそのような能力を持つ物もいるが、高レアリティもしくはユニークのそれらを所持するプレイヤーは……今この中にはいなさそうだ。
――時間だけが、ただ過ぎていった。
ゆらゆらと浮遊する魔導士の魂の炎は次第にその揺らぎを増していき、その後時間が止まったかのように動きを止め――
――俺達の目の前で砕け散った。
魂の破砕。見たことのない現象。AOでは残留時間の過ぎた魂は復活地点へと飛んでいく。ではこれが意味するのは……。
「……どうなったん?」
隣で様子を見守っていた連弩使い――名前はナンバーズ――が重い表情でささやくように俺に現象の解説を求める。
「…………」
実際彼がどうなったかはわからない。
今起きた現象が新しいエフェクトというだけでどこかの街で無事復活しているかもしれない。またはこの世界での肉体が消失しただけで現実に帰っているかもしれない。
……いや違う。あの痛みと恐怖の感覚の先にあるものは……。
俺が、その場の戦術的な判断だけで考えずレベルの高くないプレイヤーを街に逃がしていれば、最悪の結果は防げたかもしれない。
あるいは俺が前に出すぎず、強敵の襲来を予測して備えていれば……。
考えれば考えるほど、やるせない感情が激流となって脳を支配し、奥歯を噛みしめる力は増強した。
「……まあええわ。アンタ、あんまり気にすることないんと違うか?アンタ良くやったよ」
俺の表情を察してか否か、ナンバーズは俺の背中を軽くはたきつつ言った。
「良くない……。あの時みんなに逃げるよう言っていれば……」
「アイツが前の方に湧いてても多分同じ結果になったやん?むしろ君がいてくれなかったら全滅だったわけよ、《隠れチート》のハルさん?」
周囲が少しざわめき立つ。戦闘に参加していた人々は皆俺達の近くに集まっていた。
ナンバーズは俺の肩に手を回して顔を近づけると、にぃっと口角を上げた。
《隠れチート》は俺のありがたくない異名の一つだ。
俺は一人で参加できるダンジョンはどんな難度でも一人で侵入し、クリアする。その中には普通に育成したキャラクターでは到底一人では攻略できないものもある。
ダンジョンの中は外部からは窺い知ることはできないので、何をやってるかはわからないが、とにかく悪さをしているに違いないというやっかみから来る、ネット上の悪罵の一つ。
「噂通り、やっぱあの動きは凄すぎやね。エルダーヴァンパイアのソロ狩りなんて何かしらズルがないとありえんと思うんやけど」
エルダーヴァンパイアは八人ダンジョンのボスだから、普通はそれぞれ役割を分担した八人によって討伐され得る。
「まあそのズルで女の子一人助かったわけやけどね。このわけわからん事態も、《運営のチート垢》とも言われてたキミが何か知ってたりしないん?」
視線が俺に集まっている。
「……それはない。俺も巻き込まれた側だよ」
だが彼の言う“ズル”はある。
「さっきのはユニークスキルだ。どんな効果かは、言わないけど」
ユニークスキル《背水の刃》。
その能力は、『体力が減っているほど強く速くなる』。
通常意味のない体力消耗スキルの空撃ちも、このスキルの存在で強力なブーストスキルと化す。その上昇倍率は、正直ゲームバランスを壊していた。
敵の攻撃パターンを見極めさえすればリスクをほとんど無視して恩恵を受け取れるわけであって、一人で難関ダンジョンを攻略したり、通常太刀打ちできないボスを倒してしまう様は、他のプレイヤーからするとズルをしているとしか思えないだろう。
これからは、そんな風にも行かないだろうが……。
「俺がわかるのは、ここがあのアーヴの世界ってことだけだ」
俺の回答に納得したのかナンバーズはうんうんと手を組んで頷く。
「……ボクも最初夢かなあと思ったけど、流石に今はこれがリアルなんやって理解したわ。ただ問題は……これがいつ終わってくれるのかってハナシ」
基本的に柔和な顔つきをしているのだろう彼の表情は、今や凍り付いたような真顔に固定されていた。
――おそらく、これは永遠だ。もはやこれが俺達の現実になってしまったんだ。モンスターの恐怖が過ぎ去って、新たな不安が集団を支配しようとしていた。
「私達、これからどうなるの!?」
「早く元に戻してくれよおおぉ!」
「ログアウト!ログアウトはどうすれば!?」
いろいろ念じてはみたものの、ログアウトなどという機能は発現しなかった。
元の世界への帰還を叫んでいた斧を背負う男は、確かゲームへの接続が切断される前はサービスの継続を連呼していたような気がする。ある意味で願いは叶えられたわけだが、皮肉な結果でしかない。
「まあこうなるわな……。キミは……これからどうするん?」
ナンバーズは他のプレイヤーに比べて冷静なようだ。
「……俺は」
俺は他の人達と違って、この世界に放り込まれてしまったこと自体に絶望感はない。俺のここ数年の生活はAO漬けの日々であり、それがなくなってしまった場所に帰っても俺が求めるものはないし、また俺を待ってる人もいない。
むしろ幸せというものだ。仮想でしかなかった理想が、現実に俺の周りにあるのだから。
俺はこの世界で生きていける。その確信があった。
ただ今俺が考えているのは、許せない、という感情だ。
おそらくこの現象に巻き込まれたのはここにいるプレイヤーだけでなく、あの時AOにログインしていた者全てに違いない。ということは意図があって俺達を選び、呼び込んだ奴が必ずいる。
今すぐそいつに文句を言ってやりたい。お前の世界でお前の呼んだ人間が一人死んだぞ、と。
俺が守れなかった魔導士の男。その魂の崩壊の瞬間。それらの絶望を記憶に刻むこむ。
「まずは、この世界を一番識っている奴に会う。でソイツに教えてもらって、俺達をここに呼んだ奴を探し出して、一発殴る」
その先はその後考えよう。幸運なことに俺には今までゲームで得た能力が残らず備わっている。さらに俺には唯一無二の力がある。これらを使って必ず至ってみせる。俺達を巻き込んだ馬鹿野郎のところへ。
なぜ俺達が召喚されたのか、何をさせるつもりなのか。まだ何もわからない。
わからないことだらけだが、必ず生き残って見せる。
ここから、俺の剣と魔法の異世界生活が幕を開けた。
10/9:2話を分割しました