1-26『アインズのS』
『王座の間』を塗り潰す色は絶対的に、白。
天井や壁にはめられたガラス――もしかするとあれは氷なのかもしれない――、その無色透明を除けば、絨毯の感触がする床も、列をなす太い角柱も、玉座さえも全て白。
本来ならば玉座の裏をがっしりと覆い、そびえたつ魔力結晶が大量のマナを供給循環させ、青と白のコントラストを作り出すはずなのだが、今やその輝きは弱々しく明滅し部屋を守るのに必要な最低限の力を産み出しているに過ぎない。
はるか昔、この地域を支配していた王が腰掛けていた特等席。
今そこを占拠しているのは魔族の闖入者が残していった、はっきりとした形を持った幽体。あれがこのダンジョンのボス。
椅子の深くまで座り脚を組んでいる召喚術師の抜け殻は、こちらに気付くとゆっくりと姿勢を正し立ち上がって、左右に両手を広げた。
「――やあ、こんばんは。 待ちくたびれたよ」
「……?」
――喋った?しかも相当フレンドリー。
どことなく中性的な響きを裏に含んだ、青年の声音。そいつは顔を隠していたフードを取り、俺達に顔貌を晒す。
声に相応しい美しく柔和な顔立ち。少年の面影を残した青年。ボサボサに伸びた黒髪をところどころ紫色の髪飾りで束ねている。
側頭部からは、左右非対称の大きさのねじれた角が生えている。一応ああいうタイプのアクセサリーもあるので、一見して人型の悪魔だとは断定できない。
名前は――『わからない』。《参照》しようとしてもやつの情報が現れてこない。
おかしい。この部屋のボスは幽体召喚術師《ヘルサイズ・サモナー》なはずで、どのような姿をしていようと名前がわからないというのは変だ。
「キミはハルでそちらがセフィ、か――初めまして」
薄い笑みをたたえた中背で痩身の男は右手を胸に、左手の甲を腰にあてうやうやしく礼をする。
「お前は……何だ?」
人間でもモンスターでも名前くらいはすぐにわかるのだから、コイツはそれ以外の何か――
「――何だ、か。同じような姿形をしているのに、僕が君達と同じヒトだとは思ってくれていないわけだね、悲しいなあ……。まあ、いいさ。――影、だね。これは僕の影だ。君達の影に、君達の名前はついてないだろう?」
――なるほど。つまりコイツが冒険者にせよ魔族にせよ実在するのなら、この映し身はなんらかユニークスキルによるもの。分身を遠隔で操作するとか、そんなところか。
「冒険者なら椅子でふんぞり返ってないでこの異変を解決するだろ? もしアンタが敵じゃないっていうなら邪魔をしなければ、それでいい。……ここに魔族が残していった、ヘルサイズサモナーってモンスターがいるはずなんだ。俺達はソイツのドロップするアイテムが欲しい。知ってる?」
俺の問いに謎の男はカラカラと笑い声をあげると、伸ばした人差し指を宙にヒュンヒュンと閃かせ、最終的に自身を示した。
「――あの陰気な幽霊のことか。それなら僕が借り受けているこの身体が、何を隠そうその彼だよ」
「……それは、あなたがモンスターの体を乗っ取ったってこと?」
灯里の様子は既に無関係な相手にみせる『平静』の状態から『警戒』へと変化していた。おそらくそれは……正しい。
「そうそう。それが《アインズ》の《S》たる僕の能力なんだよ」
《アインズ》。同盟名だとして聞いたことがない。だがもしそれがアイン、ズと区切られるのであれば、エスと名乗る男の所属勢力が何なのかは明瞭だ。
なぜなら《アイン》とは俺達がこの世界に来て初めて知った、『魔王』の名前だからだ。
冒険者ギルドの管理者ウォーバード曰く、魔王とは魔族の頂点にして不滅の存在。個の限界を超越した能力を持ち、過去に幾度も人類領域を脅かすも人側の最終兵器、つまり『勇者』と呼ばれる者たちの努力で討伐されてきた。
しかし不滅ゆえ数百年のスパンで復活し、そのたびにその能力を強化、変質させて人間に立ちはだかる。歴史の中で何度も登場する、人間領域最大の障害だ。
そして、それはどの時代でも必ず《アイン》の名を冠していたという。
《アインズ》のズは所有格だろうか。『アインのもの』、すなわち魔王の手下。ならば――
「敵か」
「おいおい、まだ何もしてないじゃないか。ひどいなあ。まあ、そうなんだけど」
お手上げのポーズをし、あっさりと白状するエス。しかし何もしていないというヤツの証言が本当ならば、妙だ。
「……ここに飛来したっていう悪魔種は、お前じゃないのか? なら何が目的で、ここにいるんだ?」
「ふふふ、あんなものは結局、どうなろうとどうでもいいんだ。キミたちを待っていたんだよ。『今度』の相手はどんなものかと思って、ね。さて――、本来の力でなくて僕としても残念だけど」
魔王の手下の青年はそう言って、恐ろしいデカさの大鎌を出現させた。あれはデスサイズサモナーが持っている武器だ。
彼が床に手をかざすと魔法陣が自動的に描かれ始める。その円の直径は、ゆうに二十メートルを超えていた。
「灯里っ!」
「はいっ」
疾駆。敵との距離を詰め、鋭い一撃を叩き込む。――っく、避けられた。
ひらりと逃げたエスに上方から殺到するは後方で狙いを定めていた灯里の、光属性の矢。これも躱される。
「うわ、うわ、うわわっ。召喚が終わる前に攻撃するなんて! いつかひどいメに遭うぞ、キミたち!」
「知ったことかっ!」
コンバージョンを空撃ちし、ライフを半減させる。《背水の刃》によって俺の動きは目に見えて良くなる。
しかし俺の加速した斬撃と灯里の範囲攻撃の応酬をもってしても、ひらひらと舞い動く相手にダメージを与えることは出来なかった。
――相当な敏捷性と反応速度の持ち主だ。決して敏捷とは言えないデスサイズサモナーの本来の能力値とは全く違う動き。明らかに強化されている。
悔しいがどうやら魔法陣から新たな敵が出現する前に、敵を仕留めるのは無理なようだ。
「ふう。とても危なかった。なかなかやるじゃないか……やられてしまうかと思ったよ。だがさてさて。お出ましだ」
復活スクロールが放つ輝きに似た紫色の光を増大させて巨大魔法陣は回転し、一際強い光を輝かせると、歓迎したくないモンスターたちを産み出した。
これも、デスサイズサモナーの能力だ。対象のコントロールを乗っ取り、遠隔で操作。能力も使い放題な上なんらかの強化が施される。
もしかするとこれでもヤツの能力の一部なのかもしれないが、一端はこんなところだろう。
――魔法陣の中心に現れたのは、龍だ。龍種を名乗る芋虫《ニヴルウォーム》と違い、あれはまさしく龍。
デカい。呼び出した円をはみ出ている。体表は青黒く、広がる翼は王座の間を覆いつくしてしまうのではないかと思えるほど。ガッシリとした四足。地面に垂れる尾さえも恐ろしい攻撃力を秘めていそうだ。
俺の胴回りより余裕で太い首に支えられた獰猛そうな頭部からは、硬質化したトサカが天に向かって生えている。
まず龍はぎょろりとした眼を俺に向けた。ヤツが大きな口を開くと、ギザギザに生え揃った牙がよく視えた。
そして俺の全身を揺さぶる龍の絶叫と、遅れて冷気の波動が届く。一瞬で俺の身体は芯まで冷えてしまった気がした。
その名は――《氷邪龍フィンブル》。二人ダンジョンボスクラス、レベル二百二十。
周囲を守護するのは、野生の犬たちとはかけ離れた巨体の群狼――《フェンリル》。数は八体。ノーマルクラス、レベル二百。
この世界では誰もが知る、御伽話の怪物達だ。彼らに呼応してダンジョンの住人である幽体モンスターも集まってきた。数は三十ほど。レベルは百二十。
少なくとも適正レベル百四十のラインナップではない。敵の能力増強作用も関係しているのだろうが、レベルの上がり方が半端ではない。先が思いやられるぞ……。
――先よりも今だ。
ゴクリと唾を飲み込む。身構える俺達をよそに、不遜な影法師は召喚成功に歓喜し小躍りしていた。
「うん、上手に呼べました。どうかな? カッコいいね? ――では」
大鎌をくるくるともてあそぶエス。鎌回しに満足するとその刃の先を俺達に向けた。
「遊ぼうか」
ブックマークありがとうございます!がんばります。
ニブルとニヴルで表記ゆれがあるのでニヴルに統一修正します。
次回は日曜日にいければ!




