1-23『氷結領域の中心へ』
――これが、ホワイトアウトか。視覚はまるで役に立たない。それに常に腰を低くしていないと、何もかもを持ち上げようとする暴風に吹き飛ばされてしまいそうだ。
俺達は互いが互いの手を確かに握っていることを確認しながら、ノロノロとメインクエスト第三のダンジョン《パレッサ宮》、その周囲を守護するかの如く渦巻く吹雪の中を進んでいた。徒歩で。
今日も朝から順調に走り続け、俺達をここまで運んでくれたこの雪原探検の立役者である我らが忠犬たち。彼らは白い渦の入り口に突入した途端、ソリから俺達を振り飛ばして逃走した。
調教の有効時間はまだまだ残されていたので、この領域自体に外敵を拒絶する特殊な力が働いているのだろう。致し方ない。
しかしその障壁はあまりに人為のワザが働き過ぎていた。しばらく観察すると、風の回転方向が目的地を中心にして反時計回りになっているとすぐわかったからだ。
視覚では前も後ろも足元さえも判然としないが、結局風を身体の左側で受けていればいいわけだ。
――だがもう一時間くらいそうしているので、全体的に体の左側が重い。
そして言うまでもなく、寒い。雪洞で良いので帰って寝たい。
「――っねえ、立ち位置、変わるよ?」
右隣にいる灯里のしかめ顔はそれなりに視える。その全身はダークグレーの翼で保護されている。まったく便利なレアアイテム。
「……」
――申し訳ないが喋る気力も湧かないのだ。返事の代わりに右手の握る力を少し強めて、灯里を引っ張っていく。
位置と時間を考えれば、もう少しでこの寒獄の檻を抜けられるはず。右足を一歩。左足を一歩。
見えないけど確実に存在する終わりに向かっていて、その途中で気分がどうしようもなく下向いているとき、最も大切なのはそれでもとにかくやる、そういう思考に切り替えることだ。
そうできたとき、なんやかんやで終わりは来る。
――行く手を遮っていた白い膜が、だんだん薄くなってきた。
出口を頭から抜け出して一番に目に入ったのは、晴天の青と夕暮れの赤が入り混じった空の色だった。渦を形成している暴風の壁はきっちりとした円形かつ垂直に伸びていて、どう考えても自然のものではない。
全身を震わせると頭や肩に積もった雪がどさどさと地面に落ちた。内部は時折響く風切り音を除けば、とても静か。生き物の気配も感じられない。
すり鉢状の雪面の中央に佇むは、荘厳なる氷の宮殿。――あれが、パレッサ。
セントレアからここまで五日。だが体感では何週間もかかったような気がしてならない。長かったなあ。
なだらかな斜面を下って俺達がまず向かったのは、宮殿から少し離れた位置にポツンと建っている平屋。王国がパレッサ監視のために設置している観測所で、兵士が詰めているはずだ。
平屋の戸を数度叩くと、ガタガタッと物の動く音が複数聞こえ、靴音がこちらに向かってきた。
「は、ハルくんちょっと!」
「んあ?」
ブンブンと繋がれた腕を振られる。
強すぎる寒風に打たれ続けたせいで思考能力の低下が著しい。灯里は何を伝えたいのか……。
扉が開け放たれると室内から漏れ出した暖かい空気が身体にあたったような気がするも、すぐさま霧散して周囲の冷気に吞まれてしまった。……早く中に入れてくれ。
俺達を出迎えた青年兵士はこちらの格好をぐるりと見渡すと、とある一点に目を付けてにやりとし、口を開いた。
「――いやはや見たところ随分と仲の良さそうな二人組でありますな。これは連携戦闘に期待できそうであります」
「何のことだ――」
――と彼の視線をたどると、なるほど灯里に振り回されている俺達の手の繋がり。完全に思考の外側にあったぞ。
俺の手は関節が固まっていて、解くのに時間がかかった。
――――――――
「冒険者殿の到着を首を長あくして待っていたでありますよ!」
声を張り上げる先ほどの青年兵士。名はヴェステ、男性。所属はテオドラ王国軍。この世界の人々からステータスを《参照》することによって得られる情報は、隣に座る灯里のものと差異はない。
つまり俺達と、この世界の人間に見た目の上での違いはない。
現在は招き入れられてすぐ差し出されたコーヒーを啜り、暖を取っているところ。俺達は作戦を立てるのにでも使っているのだろう、どっしりとした机を挟んで向かい合っている。
「状況は、どうなんですか?」
灯里がヴェステの隣で黙っているもう一人の観測兵、ユーグリアに声をかけると寡黙そうな男は腕をビシッと頭まで持ち上げた。
「ハッ、……異変開始より状況変わらず、ですね。現在もう一人、この観測所に滞在されている方が巡回に向かわれたところなのですが、おそらく変化なしだと思います」
「それでもいつパレッサが暴走を開始して、建物もろとも氷漬けになってしまわないかとヒヤヒヤしていたのであります。一晩休憩してから行くでありますか? ささやかではありますが食事と寝床は用意出来ているでありますよ」
時間は夜。このまま休憩してしまうのも悪くない。そうしたい気持ちが微塵もないわけではない。
だが、体のこわばりはもう取れた。俺は先へ進みたい。
立ち上がる。
灯里に顔を向けると、彼女は俺の意思を読み取ってくれた上、ありがたいことに同じ意見のようで、頷いてくれた。
「いや、このまま行かせてもらうよ。さっさと終わらせないとな」
「おおお、流石冒険者! 自分もパレッサの入り口までは案内としてお供させてもらうであります!」
冗談で一緒に攻略するか?と誘ってみると『じじ、自分も王国軍の兵士でありますからにはいいざとなればダンジョンに突入する覚悟はありますでありますが、こここのたび冒険者殿はお二人でいらっしゃったわけであありまして、ふ二人より多くの攻略者を受け付けない魔力を持つパパレッサには二人が行かれるのが最適だと思う次第でありますます』とまくし立てられてしまった。冗談だ。
ヴェステの話によると、パレッサはテオドラ王朝以前に建立された宮殿で、その時より気候が寒冷化してしまった現在は使われていない。
最奥部の王座の間には巨大な魔力結晶があり、時折何らかの原因でそれが暴走し異常な寒波をもたらす上、魔を生み出すダンジョンと化すので王宮からは監視の兵士が派遣されている。
今回の原因は勤勉な監視員によってしっかりと確認されており、悪魔種のモンスターが宮殿へと飛翔するのが目撃された直後に、巨大な冷気の膜が形成され始めたとのこと。
「僕らの強さでは入り口付近を覗くのが精いっぱいで、内部がどうなっているかはほとんどわからないのが実情です」
ユーグリアから受け取った宮殿の内部図には玄関ホールのあたりに『あちこちから敵の唸り声と気配がする。早くセントレアに帰りたい』と、あまり役に立たない情報と切実な想いだけが書き込まれていた。
宮殿入り口に着くと、そこにはフンフンと鼻を鳴らしてダンジョンの侵入口となる巨大な扉を点検する男がいた。
随行してきた二人とは違い、その服装は兵士然としていない。厚手の浴衣にも思えるゆったりとした装束だ。
「んっ、お前らどうした? ――お? ドナタ?」
「ハッ、こちらは先ほど到着された、冒険者ギルド派遣のお二方であります、隊長!」
隊長と呼ばれた壮年の男、トーレスは驚いた顔で俺達の顔を交互に見たあと、人懐こそうな笑みを満面に浮かべた。
「えマジ? 速くない? いやーでも助かった! 偶然調査に来たらこれだからよお。あと隊長ってのやめようぜ。俺軍人じゃないんだから。その話し方もな」
「宮廷剣士の階級はしっかり規定があるのであります。 よってここでは隊長は隊長であります! この話し方は生まれつきであります」
「生まれつきなわけがあるかよ」
――宮廷剣士、トーレス。そんなキャラクターも称号も聞いたことがない。やはりこの世界は、俺達が覗いていたものより奥が深いようだ。
この男の実力は未知数だが、宮廷剣士と字されるからには相応の剣技の持ち主なのだろうか。
「まあよろしく頼むわ。俺は戻って寝るから」
「……アンタが原因を片付けてもよさそうだけどな。宮廷剣士、なんだろ?」
「ヤーダよ。働いても禄が変わらねえんだなコレが。だったら報酬を冒険者に流して経済ってやつを回した方がいいじゃないか。お前さん達がダメだったら仕方ないから働くよ」
状況を解決できない、とは言わないか。トーレスという男がホンモノかどうか、まだ不明だが、とりあえず途轍もなくやる気がないことははっきりした。
「……まあわかったよ。もとよりそのつもりだし」
たとえこの男が一般兵士だったとしてもやることは変わらない。こっちがダンジョン攻略中に、ベッドで寝ているというのはどうにも気に食わない話だが。
「じゃあ行こう。よろしくな」
「うん、よろしくお願いします」
王宮への侵入方法は簡単だ。
巨大な正面玄関、その扉の左右に刻み込まれた魔法陣に二人で手をかざすだけ。円模様が輝き出し、二つの円と扉を結ぶ線にマナが流れ込む。
ゴゴゴゴゴ、と自動的に扉が開いていき、開け放たれた空間から一層冷たさを増した空気が流出してきた。
「がーんばれよー」「ご武運を祈っているであります!」「よろしくお願いします!」
それぞれの声援を受け、俺達はメインクエスト第三のダンジョンへと足を踏み入れた。
ブックマーク10。とても嬉しいです。もっと読んで頂けるよう書き続けていきます。
次回は火曜。いや水曜、か。




