1-10『蠱惑の開口』
――ダンジョン内は、夜の方が明るい。
洞窟の壁面から天井にまで生え揃った苔がマナに感応して発光するためだ。そして空を月が支配する時間帯は、日中よりもマナが多く湧き出てくる。
「キュルキュルキュルキュル」
このダンジョンに生息するモンスターの鳴き声が、俺のうなじ付近から発せられてるような感じがしその気色悪さに全身を手で払いたくなってしまう。
「ふっ!」
蜘蛛の口から放出された網を躱して右手をかざし、立方体に圧縮した炎《フレイム・キューブ》を現出させる。
燃え盛る箱は俺と蜘蛛の集団とを断絶し、こちらに近付き過ぎていた個体は這って火にいる虫となる。
残留する炎の盾を軸にして左に回り込み、白いボディに黒いまだら模様の蜘蛛《スポットスパイダー》の群れを切り払ってゆく。
しかし敵の数が減っている手応えは全然感じられない。
《蠱惑の開口》第一の広場に出現する蜘蛛の群れは適正レベル百と以前よりはるかに強化されているとはいえ、個体それぞれは大した脅威ではない。
だが湯水のごとく湧いてきて俺を捕えようと糸を吹きかけてくるので、鬱陶しいことこの上ない。
また俺の限界まで広げた手よりも大きい体長の蜘蛛がゾロゾロと迫ってくるので精神衛生上全くよろしくない。
やはりというか、この部屋のロック解除ギミック――部屋の四隅に設置されている蜘蛛の像を、床に四か所空いているくぼみにはめるというものだ――は既に攻略済みで、次の部屋に進めるようになっていた。
――それ相応の戦士がここに来ているわけだ。
俺は近接戦闘での処理を早々に切り上げ、広範囲火炎魔法の連打で押し切ってから『道』を作り駆け抜ける作戦にシフトチェンジした。
巨大な炎の球を叩きつけていくたびにそこからなんとも香ばしい匂いが漂ってくるのは、気のせいということにしたい。
「フレイム・ロード!」
この状況で隠密性など気にする必要もあるまいと、AOにはなかった創作魔法を詠唱してみた。
イメージ通り左右を炎の壁で隔てるように形成した道が出来上がり、そこをダッシュで通り抜けることで蜘蛛の追撃から逃れることに成功した。
次の部屋へと繋がる防火扉のような分厚い石壁に力を込めてスライドさせ、生じた隙間に体を滑り込ませてすぐさま元に戻し、蜘蛛を締め出す。
「っふー……」
扉に背中を預けて盛大に安堵のため息を漏らす。もう一生、あの部屋には戻りたくないな……。
幸い帰りは別の道を通っていけるので、これ以上蜘蛛に遭遇する機会はない。
いい思い出が詰まったダンジョンとしか思っていなかったのに、具現化した巨大節足動物の大群を見せつけられてしまった……。
となんとも言えない気持ちが少しこみあげてきたが、それよりも今はこの先にいる冒険者のことが気になって仕方なかった。
蜘蛛の像の重さは大したものではないが、その運搬をあの蜘蛛の海の中で軽々と行ったというのは驚きだ。
物を運んでいる間は両手が使えないので、蜘蛛の歯を通さない強固な防具で身を固めているか、俺がやったように持続する壁を生成しまくって切り抜けたかのどちらかだろうか。
現在いる第二の広場を抜けてしまえばこのダンジョンのボス部屋だ。部屋を繋ぐ扉の鍵を解除するギミックは、既に当たり前のようにクリアされていた。
「――む」
ただ先導者は部屋のモンスターを排除してからギミック攻略に取り掛かるという手段を選択しないタイプのようで、部屋の主である巨大サソリ《トレーサー》とその取り巻きの巨大毒虫《ポイズンワーム》は全く手つかずの状態で残存していた。
しかもトレーサーは部屋を抜け出る冒険者を追いかけたようで、初期の立ち位置である広場中央ではなく扉の近くに陣取っていて、アレをどかさなければ次の部屋に行くのは難しそうだ。
「――さっさと通らせてもらおうか」
炎の槍をポイズンワームの数だけ生成するやいなや射出する。
槍に貫かれて炎上する毒虫は、放出する煙に毒成分を混ぜて消失していった。
――悪手だったか?
今や広場の大部分が毒煙の漂う空間になってしまった。俺と巨大サソリの間に一本道を形成し、それ以外を埋める形になっている。つまり逃げ場がない。
「……凍らせた方がよかったかも」
時すでに遅し。俺の存在に気付いたトレーサーは両手のこれまた巨大な鋏と禍々しい造形の毒針を備えた尻尾をいからせ、突進してきた。
「シュルルルルルルルルルル」
――だがその行動はありがたい!
俺は勢いをつけサソリに向かって走る。
俺との距離が極限まで迫ったところで――
――サソリが三方から同時攻撃をしかけてくる――!
――俺はそのうち毒針のみを長剣で弾き、勢いを殺さず背中を後ろに倒して一気に敵の下へ潜り込んだ。
通り抜けざまに左後ろ脚を叩き切ってから地面をズルズルと滑ってそのまま抜け出す。
後ろ脚を切断された巨大サソリは一瞬バランスを崩したようだが、まだまだ動けるようで俺を追いかけようとゆっくり反転している。しかし――
「――じゃあな」
別に無理に戦う必要はないのだ。俺は既に扉へと手をかけていた。
追いすがるサソリを尻目に俺は開いた石壁を再封印した。
「――ふう」
もう一人の冒険者のおかげで随分楽をして最奥までたどり着けてしまった。
ボス部屋までのちょっとした通路を、壁面の苔が発する淡い光を浴びながら進んでいく。
蠱惑の開口の最奥は円形で、地面の盛り上がった広い台座部分にボスが『三体』鎮座している。その名は《ヴェノム・テンタクル・ワーム》。
こいつは画面越しでも感じるほど異様に気色悪い造形をしていた上に、ダメージを通さない硬い外殻から伸びている触手を断ち切ってから、外殻を開けさせて肉体部分に攻撃しないとならないという面倒くささをもちつつ、さらに三体同時に襲い掛かってくるので状況のコントロールもしっかりしないと痛手を負う三重の強みを持つ難敵だ。
まあ今なら、なんてことはないだろう。あの頃の俺はユニーク装備などとは縁のないレベルだったのだから。
もちろんボスの行動パターンに変化があるかもしれないので気を抜くことはできない。
「――っ」
――通路の先から、振動が伝わってきたような気がした。この様子だとまだ戦闘は始まったばかりのようだ。
歩みを走りへと変えて通路を抜ける。
開けた空間に出た。この部屋は外部に面しているようで、一部の天井近くの壁に空いた穴からは月の明かりが差し込んでいる。
周囲の苔はそれに反応して更に発光の度合いを強めていて、部屋全体を良く見渡せるほどになっている。そこで俺が目撃したのは――
――皿の上で荒れ狂う三体の蟲と――
――その嵐の中を舞い踊る――
「――、美少女」
エイブルの言っていたことが今になってようやく、完全に理解できたような気がした。
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