1-1『終わりと始まり』
「――なんだこりゃ……?」
今さっき、とあるオンラインゲームがサービスを終了した。
《アーヴオンライン》。人と魔が争う大地アーヴで繰り広げられる、剣と魔法のファンタジーMMORPG。
俺はこのゲームに五年という歳月を漏れなくつぎ込んでいた。極限まで鍛え上げられたキャラクター。そのステータス、スキル、装備、またはゲーム内での地位――これは、あまり良くなかったか――、それら全ては失われた。
半身というよりもはや全身もぎ取られてしまったかのように絶望的なあの瞬間。サーバーが停止し、アクセス権を奪われ、俺はあの世界から永遠にはじき出されてしまった。
――はずだった。いやそれ自体は間違っていない。いないのだが……。
「ここはやっぱり……リブルク、か?」
暗い暗い自室とはまるで違う、眼前に広がる大地。背後にそびえるは巨大な壁。アーヴ大陸中央南部、自由都市同盟《ハース》に所属する城塞都市《リブルク》。その北門に違いない。つまりこれは――
「……幻覚か」
無理もない。精神の防御作用のようなものだろう。あのまま現実に引き戻されたら、すぐにでも発狂して部屋中のものを破壊し出してもおかしくはなかった。
俺はサービスの終了が発表されたあの日から今この瞬間に至ってまでも、このゲームが無くなってしまうことに納得が出来ていない。
プレイヤーの敵対存在、『魔族』の頂点にして最強クラスのボス《魔王》の実装アップデートを予告しておきながら、そのすぐ後にサービス終了などと言い出したのだから、プレイヤーの困惑はすさまじかった。
運営には何度も何度もメールした。終了の原因を訊いたり、継続を懇願したりだ。その度に返ってきたのは紋切り型の謝罪文だけだった。
「まあいいか」
もうどうにもならない話だ。急激に経営が悪化する要因があったとかそんなところだろう。世は不景気なのだ。
この夢が覚めたらどうしよう。またゲームか。今度は別のジャンルでも触ってるみるかな。この前見た宇宙で生活するやつとかいいかもしれないな、うん。
「それにしても――」
夢を見ているにしては、もやに包まれたような鈍重さや痒い所に手が届かない感覚が全くない。
しかもこのグラフィックの鮮やかさは異常と言っていいほどだ。ポリゴンの粗さなど微塵も感じられない。
そしてこの空気。快さ満天の陽射しの中で暖かいやら涼しいやら、季節の変わり目に感じられるような風が漂っている気がするが、その好い匂いがする。風の流れや、陽射しの熱が肌にあたる感触もはっきりと伝わってくる。
まるで現実のようだ。
「凄いな俺の想像力」
実際それだけ名残惜しくて口惜しいのだ。やっぱりしばらく立ち直れなさそうだ。
俺と同じようなプレイヤーはたくさんいた。終了撤回を嘆願する署名活動をしてる人さえいた。俺が最後に確認した同時接続人数が四万弱だったので、最後の刻もそれくらいか、もう少し多いプレイヤーがログインしていたはずだ。
リブルクは大陸の中心地でなかったがそれでも北門だけで数十人はプレイヤーがいて、フレンドと思い出を語ったり運営に向け無念の叫びをあげたり、周辺にいるイノシシや兎やらを無意味に殺戮したりと、皆思い思いに終焉までの時間を過ごしていた。
周囲を見渡すとプレイヤーキャラクターもしっかりと再現されていた。金髪の彼は不安そうに辺りをうかがっている。蒼髪の彼女は地面や武具の感触を確かめている。ぼうっと雲流れる蒼い空や背後にそびえる城壁を眺めている人もいる。
「――おお、ある」
右腕を掲げてみると、その人差し指にはシンプルだが陽光を鋭く反射して輝く白銀色の指輪がはまっていた。
――ユニークアーティファクト《アルテミス》。月の魔力を受け、あらゆる魔法・属性・状態異常耐性を大きく上昇させる固有能力を持つ。夜間限定だが通常何か所か装備スロットを使って行う耐性強化を簡単に達成できてしまう、強力無比な指装備。
AOにおける『ユニーク』、とはまさにゲームに一つしか存在しないという意味だ。この装飾品を所持しているのは世界で俺だけである。
多種多様なMOB、ダンジョン、クエスト等から、攻略スピードとしての実力や、確率的な幸運によって得られる自分だけの装備、アイテム、ペット、スキルエトセトラ。
それら全てが通常の確率で生成されうる範囲を越えた効果、生成され得ない『固有』の能力を持ち、手にした冒険者はそのユニークによって字され周囲から憧れや羨望の眼差しを受けることとなる。
このゲームをプレイする上での大きな目標の一つであり、新要素が実装される日には必ずユニークの追加も含まれるので、午後八時にログインが解放されユニークを求めるプレイヤー達が一斉に駆け出していくのは一種の風物詩だった。
一つユニークを持っているだけでも相当な実力と幸運が必要だけあって、通算で四つのユニークを獲得した俺はAOプレイヤーとして最高の人生を送れていたに違いない。
まあそれも、もう、ないんだけどな……。泣きそう。
試行錯誤の上に、ようやくインベントリを開くにはバッグを適当に漁ればいいのだと気付き、すぐに特定のアイテムを取り出すにはアイテムを思い浮かべるだけでいいのだという発見――なんとも簡単だ――から愛用の長剣を取り出すことに成功した。これもユニーク装備である。どうやら中身もそのまま再現されているようだ。
「……んん?」
いや一つだけ、確かにログアウト以前には入っていなかったアイテムがインベントリ内にあった。入りえないアイテムというべきか。
そのアイテムの存在について思案し始めるのを妨げるかのように、大きな影が視界から陽光を遮った。
長身の男だ。体格も重戦士がよく似合いそうなガッチリとしたものだが、対して顔つきは浅黒くも気弱そうな目と眉の形をしている。装備も戦士系のものでなく採集師のスキルにボーナスがつく布製の服装で揃えられている。そういえばさっきから一番近くにいたなと男の顔を伺っていると、戸惑いを浮かべた男はようやく口を開く。
「なあキミ……?これは一体、何が起こったんだ?」
夢だろ――男の言葉の意味を考えず投げやり気味に返答しようとした矢先、さらに深い色の影が俺達に覆いかぶさり、辺り一面を日陰にした。
いつの間にか空の色、雲の色がすこぶる灰黒くなり、良くない何かを生み出そうとしていた。降ってくるのは雨ではなさそうだ、とゲーマーとしての直感が告げていた。つまり――
「ギュルルリリリリィ」
ダスダスダスダスと鈍い音を立てて降り落ち唸り声をあげだしたのは、背丈一メートル半弱の羽の生えた紫色の禿げた猿――ガーゴイルの集団だ。胴体と同じ長さの刃渡りをもつ湾刀を両手に持ち、涎をびちゃびちゃとこぼしながら紅い眼差しでこちらを睨みつけている。
その瞳の輝きに、友好的な雰囲気はまるで感じられない。
これからの必然的な展開予想に、長剣を掴む手に力が入った。
読んで下さった方、ありがとうございます。よろしくお願いします。
一つの物語を終わらせることを目標にしていきたいと思います。
※28.10.27 改編しました。