第二話 猫は少女と村で暮らす
突然の犬の襲来。
それは俺を恐れさせた。突然、猫の小さい体になった俺は現状を把握すらしていない、
猫の身体となったことで生じる誤差もあるだろう。視界の低さ、骨格の違い、体格差。
また、犬は人すらも殺すこともある。
それに目の前にいるこの柴犬は興奮しているようだ。
逃げなくては、と思った。だが、恐怖によって委縮した体は思う通りに動かない。
犬が近寄ってくる。
一瞬だけ交通事故の光景が蘇る。
口が開かれ牙が間近に迫る。
それがトラックと重なる。
そして俺は…。死を覚悟した。
だが死は訪れなかった、
俺は舐めまわされていた。
(え?)
予想と違う事に驚く。犬はペロペロと俺を舐めている。
唾液でべとべとになってしまう不快感もあったが、それよりも安堵感が強かった。
生きていると。
このリアルな感情が現状が現実だと俺に教えた。
俺はさっきまで無意識的に楽観視をしていた。自分が猫になるわけがない、と。
自分が交通事故で死ぬはずがない、と。
自分が見ているのは夢だ。夢なら楽しもう、と。
だが、死の恐怖はそれを打ち壊した。
そして俺は受け入れる。これは現実なのだと。
なぜかはわからないが俺は何処かわからない場所で猫になっているのだと。
「%・#+@$&・」
人の声が聞えた。
俺は犬に舐めまわされながらそちらを向く。
そこには金髪の女の子が立っていた。余り綺麗とは言えない格好をしている。ボロボロの服を着て髪は痛んでいるように見える。
それでもその女の子は優しい表情を浮かべてにっこりと笑っている。声が聞えると柴犬は尻尾を振ってその子のもとへと駆けて行った。
女の子が犬の頭を軽く撫でて、それから俺の方に歩いてくる。
「$#・;ー%&?」
言葉が聞き取れない。日本語ではないのは確実だ。英語でもない。聞き取れる言葉が全くない。どこの言葉だろうか?
でも、温かみを感じる。この女の子は俺を心配しているようだ。
にっこりと笑うと俺を抱き上げる。
「:@l#$&」
また何かを言うとそのまま歩き出す。
女の子は犬を伴って小屋から出た。
そして目に飛び込んできた外の景色をここが日本でないことを確信する。
小屋の近くからは小さな村が見える。
道は舗装されているわけではなく、人が歩いて自然に出来たものだった。
建物は全て木造建築で電線や電柱はまったく見られなかった。
その村から離れるようにして少女は道を歩いていく。その先には森が広がっている。
森の手前まで行くと少女は俺を降ろした。
「:;”#=%」
良くわからない言葉を言うと、少女は手を振っていた。
どういう状況だか考えなくてはいけない。
ここで選択を間違えれば何か取り返しのつかないことになりそうな気がする。
俺は状況を想像する。
おそらくだが、少女は俺を野生に返そうとしているのだろうか?
もしかしたら怪我をしていて手当をしてくれたのかもしれない。
目を覚ましたから自然に返そうとしている。
だが、そうなったら俺はどうなるのだろうか?
猫になった俺がこの森の中で生きていけるのだろうか?
場所も分からない、生きる術も知らない、人間ですらなくなった俺が。
そこまで考えて、俺は少女を見る。
少なくとも、この少女は俺を害することはないのではないだろうか?
確かに、死ぬ直前に、生まれ変わるなら猫がいいと考えた。
だが、人間と猫とでは生きる方法は全く違うだろう。
人間とは勝手が違う体を、今の俺は使いこなせていない。
立ち上がって、動かすことはできた。でも走れるか?泳げるのか?
道具は勿論使えないだろう、人と話すことも出来ない。
孤独の中、俺はだれにも頼ることなく生きていけるだろうか?
無理だ。
なら、俺は少しでも生き残れるほうをとろう。
俺はなにも知らない。
知らなさすぎる。
言葉も、生きる知恵も、猫としての振舞いも。
俺は決めた。森の方へ歩き出さずに俺は少女の方へと歩みを進める。
そして少女の足に体をすりつける。
猫は確か甘えるときにこうしていた気がする。
少女は少し困った顔をしていた。でも、俺を払いのけることは絶対しなかった。
そして、何か一言呟いて俺を抱き上げてさっきの道を戻り始めた。
こうして少女と犬と猫の生活がはじまる。
* * *
俺が少女のもとで過ごし始めた。
分かったことはこの村で少女は迫害されていると言うことだ。
少女は村はずれの小屋で俺達と生活している。親はいないようだ。
昼に村の近くの森に俺と犬を連れて入る。30分程歩いたところに水場がある。
水場の近くに生えている草を少女は持ってきた籠にたくさん入れる。
籠いっぱいになったところでそれを持って帰って村まで歩いていく。村に入るととチラチラと住人の視線を感じる。それは好意的な視線ではなく、悪意ある視線だ。
時には石を投げつけてくる子供すらいる。なぜ、少女はここまで嫌われているのだろうか?それは俺には分からない。
村に一つしかない商店に着くと少女は籠いっぱいの草を店主に渡す。
店主は少女と籠を一瞥して大きな袋を渡す。中には食料品が入っている。
それを持って小屋に帰り、俺達と分け合って食べるのだ。
夜には俺と犬を抱えて藁の上で寝る。
少女は何かを俺と犬に語りかけている。おそらく今日あった出来事だろう。
そして語り終ると目を閉じて眠りに落ちる。
そんな日々の繰り返しだった。
* * *
それから一ヶ月。
俺は猫の体に慣れた。
慣れた事で周りの情報が人間の時よりも感じ取ることが出来るようになっていると思う。
風の流れ、匂い、音。そう言った物が全て鋭敏に感じ取れる気がする。
今では狩りも出来るようになった。
他には言葉を理解できるようになってきた。
俺の名前はルーデルと言うらしい。俺を見て同じ単語を使っていたので分かった。
犬の名前はシリウス。少女の名前は分からない。一人称が自分の名前ではないからである。
狩りを覚えたので森に入った時、狩りをするようになった。
鳥を狩る。俺が良く狩るのは鶏のような鳥だ。だが鶏と違って普通に飛べる。俺は心の中で鶏モドキと名前を付けている。
その鶏モドキは鶏と同じように食用になる。また羽毛は防寒具として使われるようだ。
初めてその鳥を捕まえた時、少女は嬉しいような困ったような複雑な顔をしていた。彼女は捌いたりは出来ないので 扱いに困ったようだ。
だがその鳥を籠に入れて商店に持って行ったら店主は少し驚いた顔をして食料品とは別にお金の入った袋をくれた。
少女が少しだけ嬉しそうな顔をしたのが俺にも嬉しかった。
半年の月日が流れた。
雪こそ降らないが寒い日が続いた。
少女は森に入らず、前から少しずつ溜めこんでいた保存食を食べていた。
俺達にも少しばかりの干し肉を分け与えてくれる。
俺はなにもしていない時は村を歩くようにしていた。
会話を聞いて言葉を覚える為だった。
今ではかなりの言葉を聞き取ることが出来る。
最近判明したのだが少女の名前はジュリアスと言う。
この村で嫌われているのは彼女が魔女だかららしい。
なにを持って魔女としているのか、それは髪の色らしい。
この村にいる人間の髪の毛の色はほとんどが赤か茶だ。ジュリアスだけが金色。
かつて存在した魔女の髪の毛の色が金色だからジュリアスも魔女なのでは?ということらしい。
俺とシリウスを連れ歩いているのも原因があるらしい。
魔女を恐れて村人はジュリアスを遠ざけている。万が一に呪われないように。
だが、ジュリアスのような少女が魔女なわけないだろうと思う。
偏見、決めつけ。
それが俺が猫になる前にも感じていた窮屈感と似ている。
自由を奪い、息が詰まるような感覚。
息苦しくて生き苦しい場所だった。
俺はこの村が嫌いだ。
* * *
そして一年。