聴覚障害者の日常 〜もしも〜編
『もしも〜だったら……?』
誰でも一度は考えることだろう。
『もしも、聞こえていたら?』
そうまったく思わなかったと言ったらウソになるが、開き直りなのか、観念したのか、あるいは達観したのか(あり得ないと思うけど)、若い頃に比べてあまり考えなくなった。
ところが、最近になって子供たちに聞かれるようになった。
「お母さん、僕の声を聞いてみたいと思わないの?」
「お母さんが聞こえていたら、一緒に聞いていたよね。」
等々。
そりゃあ、子供たちの声を聞きたいし、夫の素晴らしいらしい声(『残念編』参照)も聞きたい。
子供たちと一緒にテレビのバラエティーを楽しみたい。
でも、もしかしたら、聞こえていたら、他の人と付き合っていて夫とは結婚していなかったかもしれない。
そもそも、生き方が変わっていたかもしれない。
そうすると、子供たちは生まれて来なかったかもしれない。
そういったら、
「お母さん、聞こえてなくてもいいよ。たとえ、音楽発表会で寝ててもね。」
あっちゃ〜。
ばれていたか。
子供たちの音楽発表会、ごめん。おもいきり舟をこいでしまったよ。
もちろん、自分の子供たちの場所を確認はするのだが、まさか子供たちの方でも親がどこにいるのかチェックしていたとは思わなかった。
聞こえても聞こえてなくても、アタシはアタシで、そのままを受け入れてくれる家族に感謝する以外に言葉はない。