【短編】EVOLVE〜エヴォルブ〜 シリーズ ―番外編― 知らない過去と、変わらない好き
休日の、ゆっくり流れる時間の中で。
ふとした出来事に、
胸がきゅっとしたり、
うまく言葉にできない気持ちが生まれたりします。
それでも、
そっと手をつないでくれる人がいて、
やさしくほどいてくれる時間がある。
これは、そんな一日の、ささやかな出来事です。
知らない過去に、
少しだけ胸がきゅっとする日。
それでも、
変わらないものがあると知って、
やさしくほどけていく。
これは、そんな一日の、小さなお話です。
■■■
[アウトレットモール/正午前]
久しぶりに3人で、休日のアウトレットモールに来た。
お気に入りの雑貨店を見て回っていたとき、環が隣にいる凪に、ひそひそ話すように声をかけた。
「ねぇ、凪くん……」
つられて凪も小声で答える。
「どうしたんですか?
環さん、小声で……柊先輩なら向こうに……」
「ねぇ、あそこの食器とか置いてある棚のところに、涼平さんっぽい人がいるんですけど……」
「え? どこですか?」
「凪くん、声大きい……」
「あ……ごめん……あ、いますね。あれ、涼平さんですね」
「隣に、かわいらしい女性がいませんか?」
「え? マジで? ……あ、います! います!
……あれ、涼平さんの彼女ですかね?」
2人がコソコソ話していると、柊が後ろから声をかけた。
「おまえら、なにコソコソやってんだ?」
凪が慌てて柊の腕を引っ張る。
「あ、柊先輩! かがんで!」
「え? なんだよ……」
「柊……あそこに涼平さんがいるんですけど……」
環の指す方向を見て、柊が目を細める。
「ああ、ホントだ。あれは涼平だな……」
「柊先輩、涼平さんの隣」
環が続ける。
「あの女性、彼女ですかね?」
環にそう言われて、もう一度涼平の方を見た柊は、少し間を置いて言った。
「え? いるか?
そんな……ああ、あれは涼平の妹だな」
「え? 涼平さんの妹?」
「涼平さんの妹さん?」
「うん……そうだな……」
「な〜んだ。涼平さんも彼女できたのかなって思ったのに。じゃあ、声かけますか!」
「そうですね。会うの久しぶりですよね」
「……ああ……そうだな……」
少しだけ歯切れの悪い柊の返事に、凪がにやりとする。
「あれ〜? 柊先輩、なんかあります?」
「……っ、ないよ」
「いや〜、なんかありますよね〜。歯切れの悪い返事してたじゃないですか〜」
「……っ、そんなことない!」
「環さんに会わせたくない感じですか〜?」
「は? そんなことない。なんでそうなるんだよ……」
凪はニヤニヤしながら言う。
「だって〜、柊先輩、なんかあるってとき、ちょっと歯切れの悪い返事しますよね?」
「そうか? そんなことないだろ〜」
「そうですか〜?
ま、ちょっと涼平さんに声かけてきま〜す」
環は凪と柊のやり取りに少し胸がきゅっとしたが、ひとつ息を吐き、笑顔を見せた。
柊と環は、凪の後からついていく。
「涼平さん!」
凪が後ろから声をかけると、涼平が振り向いた。
「え? ……お〜凪! え? 何? ひとり?」
「いや、もちろんいますよ。2人も……」
凪の後ろから、柊と環が歩いてくる。
「おう、涼平」
「こんにちは。涼平さん」
「お〜柊! 環さん! 久しぶり!」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
少し離れた場所から、涼平によく似た明るい声の女性が近づいてきた。
「あ〜柊くんだ! めちゃくちゃ久しぶりじゃない?」
「おまえ、柊に会うの何年ぶり?」
「え〜わかんない。でもかなり久しぶり」
「あ、紹介する。俺の妹の楓。
楓、こっちは凪で、こちらは環さん。柊の奥さんだ」
「へぇ〜。柊くんの……へぇ〜」
「なんだ! おまえ失礼だろ? ちゃんと挨拶しろよな」
「はぁ〜い……はじめまして、中里楓です。ちなみに柊くんの元カノです!」
涼平
「はあ?」
柊
「え?」
凪
「え!? 柊先輩の元カノ?」
環
「……」
環は胸がきゅっとして、言葉が出なかった。
「おまえ、何言ってんだよ。
2回くらいしか会ったことないくせに、付き合ってなんかないだろ?」
「そうだよ! 付き合ってなんかないよ! 言ってみたかっただけ〜」
「はあ? おまえ、いい加減にしろよな。こんなところで……ふざけるなよ。まったく……」
「え? 違うんですか〜? 柊先輩!」
「ああ、違う! 俺もびっくりした……」
柊はそう言いながら、黙ったままの環の肩に手を回し、そっと引き寄せた。
(……柊……)
「悪い! 柊、環さん……」
「ああ……」
環は黙って頷く。
「なかなか、おもしろいこと言いますね〜楓さん」
「まったく、ふざけたこと言って……。 あんな感じなんだけどさ、俺の妹。悪いやつじゃないんだよ……」
環は胸がチクッとしたまま、なんとなく、こんな感じのことが以前にもあったな……と考えていた。
「あれ〜? 柊くんじゃん」
後ろから声が聞こえ、柊、凪、環が振り向くと、そこに、すらっと背が高く、整った顔立ちの、イケメンと言っても過言ではない女性が立っていた。
「あ! 湊さんじゃないですか!」
凪が声を上げる。
湊
「凪くん! 久しぶりだね〜」
凪
「お久しぶりです! どこのイケメンかと思いましたよ〜」
湊
「何言ってんの!」
凪
「涼平さんたちと一緒ですか?」
湊
「そう……柊くん、環さんも久しぶり」
柊
「お久しぶりです」
環
「湊さん、お久しぶりです」
湊
「涼平、楓がいなくなっちゃってさ。探してたんだよ」
涼平
「あ〜楓なら……」
そう言いながら、涼平は楓が向かった方向を指差した。
湊が、みんなを見回して提案する。
「ねぇ、みんなでご飯、一緒にどう?」
「いいですね〜。柊先輩、環さん、どうします?」
「……そうだな……行くか?」
柊は、つないでいた環の手を、ぎゅっと握った。
「はい……」
柊は環の様子が気になり、その手を離さなかった。
◇◇◇
[アウトレットモール・イタリアンレストラン]
涼平、湊、楓、柊、凪、環の6人で、モール内のイタリアンレストランへ入り、食事をすることになった。
「みんなに会うの、あの事件以来だよね」
湊の言葉に、凪が頷く。
「そうですね! あれは、なかなか大変でしたよね」
「そうだな……」
涼平が答え、柊と環は黙って頷いた。
楓が興味津々で聞く。
「なに? あの事件って」
「おまえは知らなくていいことだ」
「まぁそうだな……楓は知らなくていいな」
涼平と湊にそう言われると、楓はぶすっとむくれた。
環は、あの時、襲われたことを思い出し、胸がきゅっとなって、無意識に手を胸の前で握った。
(あんな事件、もうないといいな……)
すると、柊がそっと環のもう片方の手を握った。
その安心する温度に、環の胸のざわつきは少しずつ整っていく。
そのとき、楓が突然、柊に向かって聞いた。
「柊くんは〜環さんのどこが好きなの?」
「は?」
「おい!」
涼平が静止するが、楓は構わず続ける。
「ねぇ、環さんのどこが好き?」
「え?」
柊が困惑していると、湊が代わりに答えた。
「楓、好きになるのに理由なんかないよ!
だいたい、そんなこと聞いてどうすんだよ」
「いいじゃん、聞いたって〜」
しばらく全員が、湊と楓のやり取りを黙って聞くことになった。
「聞いてどうしたい?」
「え〜? どうしたいか〜?」
「そうだよ。
それを聞いて何がしたいのかってこと」
湊の言葉が、少しずつ厳しくなる。
「何がしたいなんてないよ〜。
柊くんはどういう人を好きになるのかなって思っただけだし……」
「そうか……
何もないならそんなこと聞くな!
いいか、楓。
少なくとも、本人を目の前にしてそんな不躾なことを聞くような女を好きになるような人じゃないよ! 柊くんは……」
湊は楓に畳みかけた。
環は思わず見惚れて、
「……湊さん、カッコいい……」と小声でつぶやいた。
楓は湊の言葉を聞くと、下を向いてつぶやいた。
「ごめん……な……さい……」
湊は容赦なく続ける。
「楓、今、誰に向かって謝った?」
「え?」
「誰に向かって、ごめんなさいって言った?」
「みんな?……」
「みんな? 謝る相手、間違ってるだろ」
「……なんで?……」
「謝る相手がわからないのに謝ったのか?」
楓は下を向いたまま、言葉が出ない。
「楓、まさか、適当にごめんなさいって言っとけばいいやなんて思ってないよな?」
楓はしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
湊は少しやさしい声で言った。
「楓。誰に謝ればいいか、わかるな?」
楓は小さく頷く。
「うん……環さんに……」
「うん……そうだな……楓、ちゃんと言いな」
楓は頷き、環のそばに来て体を向けた。
「……環さん……ごめんなさい……」
環は驚いて目を瞬かせ、立ち上がった。
「いえ……そんな……楓さんこそ、大丈夫ですか?」
楓は環の言葉に驚き、顔を上げた。
目が合うと、環はにっこり笑った。
(私、意地悪なこと言ったのに……どうして…… どうして、そんなにやさしく笑えるの?……)
そう思った瞬間、楓の目から涙が溢れた。
気づけば、環に抱きついて泣いていた。
環は黙って楓を抱きしめ、背中をそっと撫でた。
◇
「柊くん、ごめんね」
「悪い! 楓が、なんか変な雰囲気にしちゃったよな」
「いや……」
「湊さん。めちゃくちゃかっこよかったですよね!」
凪がいつもの調子で言うと、湊は苦笑した。
「そんなことないよ……」
「まぁ、うちじゃいつものことって感じなんだけどさ」
「え? そうなんですか?」
「まぁ、だいたいあんな感じだな〜。いつも湊が楓を叱ってるな」
「涼平は叱れないだろうな〜」
「そんなことないよ」
「いや、涼平にはムリだな。ってか叱ったところ見たことないし。楓のことかわいがってるしな」
「ははは……やっぱり」
「う〜凪、やっぱりってなんだよ、やっぱりって……」
楓が泣き止んで椅子に座り、環も柊の隣に戻ると、柊が静かに聞いた。
「環、大丈夫か?」
「はい……大丈夫です。
楓さん、落ち着いたみたいでよかった……」
「環さん。ごめん!」
「環さん。ごめんね」
涼平と湊が頭を下げると、環は慌てて首を振った。
「あ、いえ……わたしは大丈夫ですから……」
「柊先輩、モテますからね〜。恋愛ポンコツだけど……」
「は? ポンコツはよけいだろ……」
「いや〜それな〜。確かにあるよな! それ!」
「うん! ある! ある!
でも僕が知ってる中では環さんだけでしたけど……
他にもいたんですか?」
「いや……俺も……環さんしか知らないな〜。
柊が好きなのに声かけられないって人は……」
「え? なにそれ……柊くんって奥手なの?」
「そうなんだよ」
「そうそう! そうなんですよ〜。ね〜柊先輩!」
「もうその話はやめろよ〜」
「ふふふ……柊……またイジられてる……」
柊は環に抱きつき、顔をうずめるようにする。
「環〜、言うなよな〜」
環は柊の背中をトントンしながら、
「よしよし……」
と、やさしく返した。
「あ〜でたでた! 2人のナチュラルイチャイチャ」
「ははは……こんな柊 見るとさ〜、なんであんなに声かけられなかったのか不思議になるよな」
「ホント、それ〜」
みんなの会話を黙って聞いていた楓は、柊の環に対する自然な行動を目の当たりにして、2人の空気の中に自分が入り込めるはずはないのだと痛感した。
(ああ……私が入り込むことなんて、できなかったんだな……)
帰り道、環はほとんど何も話さなかった。
けれど、柊の手はずっと離れなかった。
◇◇◇
[ぽかぽか邸・柊と環の寝室/夜]
眠い目をこすりながら、凪は自分の部屋に入っていった。
柊と環の寝室では、オレンジ色のルームライトの灯が、やわらかく2人を照らしていた。
「環……」
柊は環を引き寄せ、ぎゅっと包み込んだ。
「……柊……どうしたんですか?」
「環、今日、ずっと不安そうな顔してただろ?」
「え? そうですか?」
「ああ、してた」
環は黙って柊の胸に顔をうずめる。
「……柊……ごめんなさい。
わたし、わたしの知らない柊がいるんだなって思うと、きゅっとするんです。
わたしの知らない過去の柊がいてもおかしくないのに……わかってるのに……
どうしてもきゅってなってしまって……」
「環、謝らなくていい。それは俺も同じだよ」
「え? 柊も?」
「うん。そう、俺も同じ。
俺の知らない環がいると思うと……|環のきゅっと同じだ」
「そうなんですね……わたし……わたしだけかと思ってました……
わたし、あまり感情がよくわからないから……そうなるんだって思ってて……」
「そうか……でも、環。
俺はその知らない環のことも、今ここにいる環のことも、全部好きだよ」
「……柊……」
「それと……」
環は黙って柊の言葉を待った。
「……俺は昔も今も、環以外好きになった人はいない……」
環は声にならない声で、少し驚いたように柊の顔を見る。
「え?」
「……だから、元カノなんていないんだよ……」
「……そうなんですか?」
「うん……そうだ……」
「好きになった人も?」
「ああ……そういう人はいない……」
環は目を瞬かせ、それから少し笑って言った。
「……ふふ……そうなんですね……
わたし、柊はカッコイイし、やさしいし、何人もお付き合いした人がいるんだろうな〜なんて勝手に考えてました……」
「え?」
「凪くんも、柊はモテるからってよく言うし…… なんか勝手に想像してたんですね……ふふ……おかしい……わたし……」
「環……」
柊は環をもう一度、ぎゅっと抱きしめた。
「柊? わたしも柊だけです。好きになった人。
それと……柊と会うまで、お付き合いした人とかいないんです……」
「そうか……」
「わたし、柊が好きです」
「俺も、環が好きだよ」
環は柊の胸に顔をうずめ、柊は環を抱きしめた。
確かな温もりを感じながら、
2人だけのやさしい空間。
やわらかいオレンジ色の灯に包まれ、
静かに呼吸が重なり合う。
——その温もりは、何も変わらず、ここにあった。
知らない過去は、きっと誰にでもあって。
わかっているはずなのに、
ふとした瞬間に、胸がきゅっとしてしまうこともあります。
でもその気持ちは、
きっと「大切に思っている」からこそ生まれるものなのだと思います。
そっと寄り添ってくれる手や、
やさしくかけられる言葉があるだけで、
そのきゅっとした気持ちは、少しずつほどけていく。
このお話の中にある、
小さな温もりが、
読んでくださった方の心にも、やわらかく残りますように。




