第八章:明日が楽しみで
第八章:明日が楽しみで
SIDE:MAXIMA
その日は、部室にいた。三年使った部屋も、今日で最後。もう入ることもしなくなる。ここに来て、篠田先生に入部届を出したときは、すごくキラキラしてずっといるような気がしていた。楽しかった三年が終わって、もうここには来れなくなる。とても寂しくて、青山さんと話したくなった。青山さんはできるだけたくさん時間を使ってくれたけど、進学に向けて塾に行きだしたから、あんまり遅くなれない。私はもうちょっとだけここにいると言って、一人で残っていた。
明日の卒業式は、あんまり人が来ないだろうってみんな言っている。あの日町の上で爆発したアドバルーンが、どこから来たのかみんな不思議がっていた。爆弾みたいに大きな炎が上がって、雲にぽっかり穴が空いて、屋根が壊れたり庭の木が折れたりした家がたくさんあって、みんなそれどころじゃない。私はもうここに来ないなんて信じられなくて、あんまり考えなかった。それより……。
爆発があった真下にいたアルマは、噴き出した光に飛ばされて倒れていた。近くにいたおまわりさんがすぐに救急車を呼んでくれたけど、いくら呼んでも返事をしてくれなかった。運ばれていったアルマがどこの病院にいるのか、私は知らない。もう来ないのかな。私は、もう一度来てほしいんだけど。
「どう思う?」
部室の片隅には、まだ人がいた。生徒じゃない。もちろん先生でもない。真っ黒な体で、顔に一個だけ大きな目が開いているその人に、私は聞いてみた。
SIDE:ARUMA
「よかった、アルマ君!意識がないと聞いたから心配で……」
うるさい、とミナカタを黙らせてあれからどうなったかを問いただした。どうやら数日気絶していたということだけはわかり、警察に助けられて病院に送られた。しかし公的機関のやることゆえ依頼元の息がかかっていて、誰も信用できない。動かない体に鞭を打って逃げ出し、日付すら把握していない。一日か二日寝ていたのかと思えばもう十日以上経っていて、いつ次の展開が合ってもおかしくない。オレが動けない間、誰が眼魔を追っていたのかと聞くとミナカタは答えづらそうだった。……依頼元は、眼魔討伐の依頼を打ち切ったという。常盤町上空で爆発した単眼を眼魔の本体と断定、これ以上の追跡は無用と判断した。あきれて物も言えねえ、あんなことで終わるものか。眼魔の力の根源である憎しみがより強い力によって消えることなどなく、あれはむしろ一時しのぎ。あんな撃退の仕方では次に復活したときはさらに力の最大値を上げ、そうなれば人間が眼魔に対抗するにはもはや神にすがるしかなくなる。そんなものに頼るからこうなったというのに、また繰り返そうというのだ。ここからは仕事ではない。ケリをつける。あれから十日経ったとすれば、いつまた活動し始めてもおかしくない。今度はどんな姿になっているかわからないが……もうオレにはそんなことはどうでもよかった。頭の上、夕暮れの空に星が光る。一番星、つまり金星。この空に火星が……凶星が輝く前に、なんとかしなければ。オレはわずかな残像を頼りに、眼魔を追った。向こうも消耗している。姿を隠しきれていない。どうやら、あの学校に向かったようだ。
SIDE:MAXIMA
「青山さんは帰してあげて。ダメ?」
その一つ目の人は、答えてくれなかった。たぶんみんな困っている。窓から見える校庭は、まっすぐに見えるけどぐねぐねに曲がって、みんな道に迷っている。グラウンドも出れずに、同じところをぐーるぐる。私は一度頼んだけど、それ以上お願いしなかった。怒ることじゃない気がして、一つ目の人と話した。
「三年って短い。すごく長いと思ってたのに、もう終わっちゃう。高校もそうで、その後もそうで、すぐに終わっちゃうのかなあ」
ちょびっとしかないから、楽しいことをしたいなあ。そう言ったら、一つ目の人は自分から話し始めた。
「人間の生命は百年続くことが稀だ。その百年を、全て苦しみ悶えることが、どんなことかわかるか?」
わかんない。つらいことは我慢できるけど、楽しくないのは無理。きっと悲しくて、泣いちゃうと思う。一つ目の人から、目玉のたくさんついたオバケが出てきて、また聞いた。
「千五百年。悠久の時を生きる神々にはさほどのことではあるまい。だがオレは神ではなく、悪魔とも言えない。時間は重い。あまりにも。耐えがたいほど」
そうだね、と言ったら目玉のオバケは言った。わかるなら、もう邪魔をするな。お前が力を貸せ。黄色い石を私に差し出したけど、私は手に取らなかった。ごめん。もらいたいけど、いけないと思う。きっとそうじゃないと思う。そしたら、目玉のオバケは怒りだして、大きくなった。
SIDE:ARUMA
たどり着いた常盤第二中学は、あまりにも強烈な異変に包まれていた。肉眼でわかる屈折した空間は、校舎をねじ曲げて迷宮にしていた。まだ生徒が残っていたようだが、誰も出ることができない。当たり前だ、ここにはそもそも出口がない。わずかに通れるタイミングが見え隠れするが、霊感のない人間ではまず察知できない。察知したとして、一つ間違えば体がちぎれるような危険な開閉を繰り返している。近くにいた生徒は、学校を出た直後に校舎に異変が起き、あっという間にこうなったと教えてくれた。たしか、宮奈と木戸……槙島は?と聞くと、今日は一緒ではないという。最後に見たときは部室にいたと言っていた。ちくしょう!と叫んですぐ、出入り口が一瞬開いた。迷っている暇などない。オレは空間の歪みの隙間を無理やり通り抜けた。わずかにタイミングがずれて体には過度の負担がかかり、ガタガタ。ただでも無理してるってのに、余計なダメージだ。歪みの向こうの女子生徒たちにオレを追う手段はなく、オレは足を引きずって校舎に向かった。思ったよりもずっと体力が残っておらず、見つけたところでどうすることもできない。だからと言って、逃げることはできなかった。
SIDE:MAXIMA
目玉のオバケは大きくなって、私に怒った。でも、私には謝ることしかできない。手伝ってあげられない。だっていくら手伝っても……満足してくれないと思う。そうじゃないんだよ。助けてあげたいけど、手伝ってあげられない。ごめん。目玉のオバケは怒っていたけど、一つ目の人がキョロキョロしていた。目玉のオバケが何かに気がついて、私に言った。来たぞ。うん、少しだけわかる。でも、今はこっちが大事。アルマは強いから、私は手伝えばいい。
SIDE:ARUMA
……飛び交う目玉の攻撃をかわして撃ち落とし、校舎の奥を目指す。生徒たちではわからなくとも、空間の歪みには大きさがあり奥に行くほど大きく歪んでいる。おそらくその中心に、眼魔がいる。たどり着いた隅っこの空き部屋に、強烈な瘴気を感じた。もう止まることはできず、扉を開く。そこには驚くほど大きく強くなった、眼魔の分身。そして、真っ黒な男が、一つ目を開いている。……眼魔の本体は、もはやそれ自体が異次元の入り口のような、悪魔ですらない異形中の異形と化し、全ての感情を無に帰して突っ立っていた。そしてその目の前には。
「槙島!」
オレが呼びかけても槙島は振り向きもしない。駆け出そうとしたが、弾き飛ばされた。成長肥大した眼魔の分身は、もはやオレなど話にならないほど強い。本体がそれに比例するように強くなっているとすれば、その力はもう想像もしたくない。そんなヤツを相手に、槙島は言ったのだ。大丈夫だよ、と。
一つ目の眼魔は、震えた。力を成熟させさらなる変貌を遂げるか、あるいは……感情が高ぶったか。その理由は知る由もないが、危険なことに変わりはない。それがわからない槙島ではなかろうに、槙島は続けたのだ。
「大変だったよね。でももう帰ってきたの。慌てなくていいよ。泣いても大丈夫だよ」
「黙れ……」
一つ目の眼魔の体に、ひびが入った。流れ出す赤い体液は、最後の薄皮が剥がれる前兆だろうか。充血した目を見開き、眼魔は叫んだ。
「何がわかる!何を知っている!オレがなくした、オレが苦しんだ時間が、どれほどのものかわかるのか!」
「つらかったと思う、でも、もう終わりでいいんだよ」
「黙れ!」
眼魔の目に、赤い体液がたまり、流れ出した。眼魔は叫んだ。ならば、何だったというのだ?オレの苦しんだ何百年という時間は、いったい何だったと言うのだ?眼魔は、力の限り叫んだ。自分に向けられる優しさを、打ち消さんばかりに。しかし、それを消すことなど、できるはずもなく。槙島は眼魔の手を取った。あれだけ強大だった眼魔の分身はいつのまにか小さくなって、悶えていた。うなり声を上げてもたげられた眼魔の分身の触手を、オレはつかんだ。
「やめとけ。わかってるだろ」
それだけ言うともう何もできず、二人して膝をついた。くだらねえ喧嘩だ。お互い何の力も出ねえ。オレはもう相手に手をかけるのが精一杯、その手に伝わる眼魔の力は、それよりもっと弱かった。眼魔の本体はうつむいて、何も言わずに震えていた。槙島はその眼魔に、一言だけつぶやいた。
「もう、大丈夫だよ」
オレの目の前に閃光が輝いて、何も見えなくなった。時同じくして、学校を包んでいた空間の壁のような何かが、粉々に砕け散っていたという。
※※※
SIDE:MAXIMA
……私が手を取った一つ目の人は光って消えてしまった。目玉のオバケも、グラウンドのぐにゃぐにゃも全部なくなって、どこかに行ってしまった。フラフラのアルマが、どうなったのか教えてくれた。
「帰っていったんだよ。……帰れなかった場所に」
たぶんもう来ないだろう、ってアルマが言っていた。優しくしてくれた人の顔に、泥は塗らないだろうって。私はアルマと一緒に学校を出た。まだみんなが騒いでいる間にこそこそ校門から出て、見つかったら逆に怪しいだろうってアルマが言っていた。私は舌を出して、アルマを送っていった。私は、一つだけアルマにお願いした。わがまま言わないから。これだけだから。……アルマは、お願いを聞いてくれた。次の日私は、卒業証書を持って公園に向かった。
SIDE:ARUMA
……すでに打ち切られていた眼魔討伐の依頼に追加の報告を義務の分だけ済ませて、オレは一息ついた。ミナカタ曰く、依頼元は可能な限り秘密裏に済ませようとしていて、ゴギョウが現地で大もめしているらしい。まああいつだってしがらみの中にいる。たぶん黙らされて、
明日からも世界が続いていく。いつも通りで、どうかしてやがる。
思いのほかいい天気に恵まれ、公園でICレコーダー相手にここ数日の出来事を記録していた。書類にすりゃいいのに、形式張った書き方は苦手だった。形式張っていない書き物は全部蹴り返されるので、仕事がないのはこういうところがいけないのだろう。オレはICレコーダーをしまう前に、気まぐれに一言つぶやいた。
「記録。神は悪魔を滅ぼす。だが、人はその限りではない」
アルマ!と声をかけられて、振り向いた。卒業証書の筒を持った槙島がいて、えへへ、と笑っていた。こいつの最後の頼みは、もう一日だけこの町にいてほしいなんてくだらないことだった。断る理由もなく、公園で待っていた。槙島曰く、オレは少しだけ微笑んでいたらしい。
「おめでとう」
SIDE:MAXIMA
おめでとう、と言ってアルマは私の頭をなでようとして……途中でやめた。子どもじゃないもんな、ってアルマが言ってたのが、私は少しだけ寂しくて、とても嬉しかった。私とアルマは、何もしゃべることがなくて、ゆっくり駅まで歩いていった。次の仕事があって、あんまり長くいれないらしい。たぶん本当はいちゃいけないんだと思う。私は文句を言えなかった。公園から駅までの道は、どんなにゆっくり歩いてもとても短くて、私は寂しかった。
なあ、ってアルマが言った。私は嬉しいのを我慢して、何?って聞き返した。アルマは私を見ずに、小さな声で言った。
「お前さあ……見どころあるかもな」
……え?本当?そう聞いたらアルマは、もしかしたらな、って言っていた。私はお願いした。教えてよ、がんばるから!すごい人になるよ!そう言うとアルマは、ポケットを探って何かを探していた。
「まあ、三年だな」
そう言って私に名刺を渡した。アルマの名刺じゃなくて、スピリチュアルカウンセラーの、ミナ……アルマの知り合いらしい。
「三年経って、まだしたいなら電話しろ。たぶんつながるだろ」
……いいの?本当?絶対するよ!アルマは、無理しなくていいぞって言って改札を通った。もっと見送りたかったけど、どこかで別れないといけないから、改札で手を振った。アルマは初めて、私に手を振ってくれた。その日からアルマは、この町には来なくなった。
それから三週間。私は、電車で三つ離れた堂丸高校に通い始めた。初めての通学路はとてもキラキラしていて、足取りが弾む。私は今日も、明日が来るのが楽しみで仕方がなかった。




