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謝罪は、魔法の言葉じゃないんです。

作者: ぽんぽこ狸



 リディアがすでに裏を取ってあること、彼が連れ立っていった友人の数名からも証言を得ていることを話すと彼は向かい合ったソファの上で深く頭を下げてこう言った。


「本っ当にすまなかった!! リディア! 本当に悪いと思ってるんだ、申し訳ないことをした!」


 リディアの目の前には、婚約者エイベルの金髪の頭が深々と下げられていて、彼は続ける。


「すまない! すまなかった! これで俺はまた君を酷く不安にさせたのだと思う! 分かってる!」

「……わかって、いるんですか」

「もちろんだ! きちんと心の奥底でちゃんと理解している、だからこそこうして謝ってる! 本当にすまなかった」


 彼はぐっと拳を握って、深く頭を下げたまま顔をあげない。

 

 けれどもリディアはその言葉を聞いてもまったくもって溜飲が下がらない気持ちだった。


 そしてそのまま問いかけた。


「……何度目か、覚えていますか」

「五回目! 五回目だってことも覚えてる! 俺はどうしようもない人間だ、いくら反省しても同じことを繰り返してしまう! でも今回は本当の本当に反省してる!」

「……」

「友人たちにも、今回で最後だという話をしたし! ほんの魔が差して今回だけならと思ってしまっただけなんだ! リディア!」


 彼はリディアにその気持ちが伝わるように、とても情熱的に言葉を紡ぐ。


 ……五回目……そう、五回目なんですよ。そう言われても。


 リディアは苦い気持ちが広がってそう考える。


 エイベルとは婚約者としてそれなりに長い付き合いのつもりだ。


 いい部分も悪い部分もお互いに見えてきて、真剣に向き合わなければならない時期に差し掛かってきているのも重々承知している。


 なによりリディアは、土地を持つ貴族の跡取りでありながら、自分に合ったことをしたいと願って仕事もしている。


 将来は彼の支えを受けて、伯爵の地位を継ぐのだ。


 だからこそ独りよがりにならずに、二人が協力し合うことが何より大切だと思っている。


 ……でも……それでも、エイベルは一般的に考えても私に酷い仕打ちをしているんではないですか?


 そう思ってしまうのは、彼の不貞行為がずいぶんと悪質だったからだ。


「わかってるんだ! 全部! 俺が彼らを連れ立って娼館に行って、彼らに良い思いをさせてやれたのは、ウォートン伯爵家が、俺の実家に支援をしてくれているからだ!」

「……」

「安心して領地経営について学んで、伝手を作れるのだって、リディアのおかげだ! 分かってる! 全部俺が悪い!」


 彼は言い募る。


 そしてその言葉は事実だ。


 彼の実家であるソーンヒル子爵家は、収入が不安定なところがある。そしてそれを気にしないでいいような貯蓄があるわけではない。


 だからこそ領地を持ちながらも実務をしていて、安定した収入がある我がウォートン伯爵家からそれなりの額を融資していた。


 その理由は彼が言った通り。


 女性継承者であるリディアを支えるために申し分ない男性を育てるため。


 父の優しさにはとても感謝している。


 けれど、リディア自身も自分でこなせるように、それこそ暇がないほど領地経営について学んできたし、実際に仕事と勉強で時間がない。


 それを彼に押し付けるわけではないが、彼がどこそこで遊んでいたという話を聞くたびに、どうにも苦しい思いになるのだ。


 それが、大抵、大盤振る舞いで、女性とかお酒とかを楽しんで日が明けるまでどんちゃん騒ぎをしていたという話なので、どうしても呑み込めない。


 実際に外聞も悪いし、なにも言わないわけにもいかない。


「わかってるんだ! 反省してる! どうしようもないくらい後悔してる!」

「……」

「許してくれ! 頼む、リディア、許してほしい! 申し訳なかった!」

 

 そしてまた彼は謝罪を繰り返す。


 リディアは”許してくれ”その言葉が、謝罪のどの言葉よりも胸に残って、怒りとも軽蔑とも同情とも取れないような変な顔をして、彼の頭を見つめた。


「……」

「この通り! もう二度としない! 絶対に! だから、許してほしい! 俺のためを思って、今回だけでいい!」


 彼はこの言葉を前回も言っていたと思う。

 

 けれど、立派な成人男性の彼にこんなふうにされて、もうしないと言って誠心誠意謝っている人に対して、リディアは選択肢が一つしかなかった。


 だから嫌なのだ、だから彼とこの話をするのは気が重かった。


 こんなふうになることがわかっていたから、もう指摘したくない、ぐらいだった。


 けれど問題を見て見ぬふりをするわけにはいかない。


 しかし一つしか返答を許されていない、これは苦汁をなめるだけの時間でしかない。


 それが嫌で、眉間にしわを寄せて長いこと沈黙する。


 そして許してくれ、悪かった、もうしない、言葉のエンドレスループを延々聞いた後、やっと滲んだ声で言った。


「わかりました……許します」

「ありがとう! リディア! 俺、改心する! もうこんなことはしないから!」


 顔をあげて表情を明るくして彼は言う、リディアの表情はまるで見えていないようだった。







 どんなに思い悩んでいても、時間というものは答えが出ないままでも過ぎるものであり、いつもの通りリディアは魔獣の討伐業務に向かった。


 同じ魔法使いの先輩と今日の討伐の目標を確認し、いつも通りの日常を過ごして危険な森の中へと入っていった。


「……」


 そしてペアを組んでいるブルースがいつもよりも静かなことを見ても、自分もあまり気分がいい日ではないから、と無意識化のうちにスルーしてしまっていたような気もする。


 そんな二人の隙をつくように、魔法が放たれた。


「っ……ブルースさん!」

「あっ」


 魔獣の放った炎の魔法に対して、やや乱暴に杖を振りながら、リディアは彼に呼びかける。


 普段は茂みの中に潜んでいても魔獣を見逃すことがない彼だったが、今日ばかりは反応が遅れて、追撃がやってくる。


「ごめんっ」

「いいえっ」


 短く返しながら、更に杖を振った。


 彼は風の魔法を纏った剣をすぐに魔獣に構えて向かっていく。


 しかし、彼をかばって前に出たせいで、水の魔法では相殺しきれなかった炎の魔法の残りがリディアの肩にぶつかる。


「ぅ……」


 すぐに消えるがやはり魔法の炎は威力が強く、肩にじんとした痛みが広がって、杖を持っていない方の手で、傷口を押さえる。


 ブルースは魔獣を仕留めてすぐに魔石を回収し、身を翻してリディアの方へとやってきた。


「リディア! ……傷がっ、ともかくすぐに、拠点に戻ろう、炎の魔法だから下手に治さないで」

「はい……大丈夫です、わかっていますから」


 彼はとても初歩的なことをわざわざ口にした。


 水魔法の使い手が怪我して驚き、荒っぽく治してしまい後々跡が残ったりするのはよくあることで学園時代に習う初歩的なことだ。


 パニックになってそうならないようにという配慮だろう。


 彼は言いつつ警戒して、リディアの手を取る。


 先ほどまでとは違って、ぼんやりとしている様子はなく、いつもの彼だと思った。




 王都から少し離れた森近くの魔法使いの支部に戻る。


 リディアは女性ということで心配されて多少大袈裟な治療を受けてから、しばらく安静にするように言われて休んでいるとブルースがやってきた。


 彼は部屋に入ってきてからすぐに入り口付近で「気分は悪くない?」と確認するように聞いた。


 それに、大した傷ではないし大丈夫だと返すと、やっとリディアのそばに来た。


 ベッドのそばの椅子に座って、それから落ち込んだ表情をしてリディアは少し胸がじくっと痛んだ。


 理由は単純で、彼が謝罪すると思ったから先日のエイベルとの出来事を思い出してつい身構えたのだった。


「ごめん。私のミスだ。君に怪我をさせてしまった。先輩である私が君のことを守る立場でありながら、庇わせてしまったね」

「い、いえ」

「跡が残ったりは……」

「してないです」

「そっか……でも、本当に申し開きもないよ。自分が情けない」


 真剣に目を見て、表情をこわばらせる彼に、リディアはなんだか拍子抜けして少しぽかんとしていた。


 なぜなら、まったくエイベルの時とは違っていて、すんなりと言葉が出てきたからだ。


 むしろ、彼が普段から警戒を怠らないことも、真面目に人一倍訓練をしていることも知っていたので、どうしてこうなってしまったのか、それが気になった。


「……気にしないでください。ミスは誰にでもあります」

「しかし……」

「謝ってくれたのだから許します。それ以上でも以下でもありませんよ。それにむしろ、どうして今日そうなってしまったかお聞きしたいです」

「……」

「なにか心配事でもあったのですか」


 そう続けた。


 ここ最近、言うたびに心がつぶれそうだった、許すという言葉も簡単に口にできてその後、どうしてこうなったのかという理由に対する前向きな言及もすぐにできる。


 それは明確な違いだった。


「……そうだね。君が言い訳を聞いてくれるのなら、話をするよ。私が勝手に抱え込んでいてこんな目に合わせたのだから、当然だ」

「それで、どうしたのですか」


 促すように問いかける。


 リディアはなにも謝罪を受けるのが嫌いになったわけではないのだなと自分自身のことを少し分析した。


「うん……ただ俺が悪いことなんだ。ある提案をしたくて、少し根を詰めすぎた。疲れがたまっていたのかもしれない」

「提案……ですか」

「そうなんだ。……学生時代からの友人が、思いつめているみたいでね。それは結婚に関することで、私はその友人が思いつめるまでもなく相手が悪いと思う」


 学生時代からというと、きっと魔法学園の同級の人間だろう。


 今でも同じ職場に勤めている彼と同期の先輩が、結婚に関することで困っていて、彼から見ると相手が悪いという状況だと想像できた。


「ただ、単にそんな人はやめておけ、もっといい人がいるというだけでは、あまりに無責任だと感じていて……。自分がその代わりなるならどうかと提案したいんだ。最近、また悪い話を聞いて、つい焦った」

「……なるほど」


 彼の言葉は明確に誰とはいわなくて少しぼかされていてわかりにくかった。


 けれど、つまり彼なりにその友人の結婚相手に期待されている技能なり役割なりを自分が代替になれる様な力を持ちたかった。


 それが、お金か将又別のものなのかわからないが、そこまでするのならばよほど大切な人なのだろう。


 結婚する相手の代わりになるということは、人生をかけるということだ。


「でも付け焼き刃では意味がないからね。自分にとっても、友人にとっても無駄なものになる……だから、もう迷ってはいられない。実は私はこの仕事を諦めようと思っているんだ。そのための準備もあって、こういうことになってしまった」

「!」

「今まではその友人と同じ立場にいることによって守っている気になっていたけれど、本当はそれがいらないくらい強い人なんだ」


 そしてブルースは退職を考えていることを告白した。

 

 今の話を聞けば当然の流れだとは思うが、それでも驚いて咄嗟に寂しさがこみ上げる。


「……」

「その人が本当に必要としている手助けは同じ立場に立つ人よりも、友人が強くあるためにどうしても必要な土台を支える人なのだと思う。だから……そんなことを考えていて、注意が散漫だった。本当にすまなかった、リディア」

「…………いいえ」


 これでも彼とはそこそこ距離が近い友人のつもりでいたし、仕事で組むことも多く、彼は良くリディアのことを気にかけてくれていた。


 だからこそリディアも彼のことを頼ったし、彼のサポートに回れることには多くの喜びがあった。


 しかしそれでも彼には彼の人生があって、大切な人がいる。


 そしてその人のために、誠意を尽くそうとしている彼のことをリディアは責めたくないし、それはとても美しいことだと思う。


 応援したい。


 でも応援したい気持ちとその寂しさと比べると拮抗してしまうリディアだったが、それでもリディアは小さく頭を振った。


「本当に大したことではありませんし、そんな人生の岐路に立っていてのミスならばなおさらです。私はそういう人に許さないなんて言いたくありません、ブルースさん」

「うん」

「具体的なことはわかりませんが……頑張ってくださいね。そのご友人もきっとどういう判断を下すのであれ、あなたの努力や決断を嬉しく思うと思います」


 リディアは彼に、本音ではない言葉を言った。


 けれども、そういうふうでありたいと思って、そう見えるように言った言葉だったので悲しいながらも誇らしい気持ちだった。


 リディアの言葉にブルースは「ありがとう」と少し切なげに笑った。


 そしてとても仲の良い先輩が同じ立場でなくなり、道を別つということを知ったのと同時に、とてもはっきりとした決意が芽生えた。


 それはエイベルのことであり、自分もブルースのようにしっかりとしなくてはと思う。


 このままでは良くないこともわかっていて、それでもリディアがずっと彼に対してなぁなぁにしてしまっていたのには原因があった。それが分かったのだ。


 その原因とは、ブルースが謝るときには、リディアが許す以外の行動をとることを言外に拒絶していたからに他ならない。


 そしてリディアもそれを感じ取っていた、だからいつも必死になって呑み込もうとしていた。


 対立することを無意識下で拒絶して、気持ちを押し殺してしまっていた。

 

 本来の謝罪というものは彼がしたように、申し訳ないという気持ちを伝えるためのものだ。


 決して許しを乞うための道具でも魔法でもない。


 それをまったくもって理解せずに、謝罪を盾に許しをもぎ取っていった彼は、間違いなくまた同じことを繰り返すだろう。


 そうなれば、リディアは今度こそ毅然とした態度で臨もう。


 そう思って準備を始めたのだった。






 二度あることは三度あるということわざがあるぐらいなので、五度あったことが六度目に起きることなどもはや当然と言ってよかった。


「すまなかった! 魔が差しただけなんだ! 本当に今回だけはいろいろなことが重なってこうなっただけなんだ!」


 リディアの前にはやっぱり金髪のエイベルの頭があって、以前と同じような言葉を吐く彼に、リディアはとても落ち着いていた。


 きっちりと腿の上で手を組んで、彼を見下ろしていた。


「許してくれ! 今回だけ、温情をくれないか! リディア、本当の本当にもう二度とこんな思いは君にさせないと誓う!」

「……」

「頼む、反省する、だから……今回だけ! 許してはくれないか!」


 許してくれ、彼のその言葉はとても傲慢なもので、もうリディアの気持ちを苦いものにさせるだけではない。


 けれど実はいざこうなった時に、気持ちが揺れないか、少しだけ心配ではあった。


 でも実際にこうしてみて、とても気持ちが凪いでいて、ほっとして「顔をあげてください」と静かに言った。


 そろりとこちらに視線を向ける彼と目が合う。


 リディアがいつも通りの優しい表情をしていたからか、彼はきらりと瞳を輝かせて希望を持った表情をしていた。


「リディア!」


 歓喜に満ちた声で彼はリディアのことを呼んだ。


 許しを確信した彼に向かって、リディアはなんの変哲もない声で言った。


「許しません」


 いつもの、許します、とまったく同じような声音で、けれども決意は固く言い放つ。


 エイベルはうっすら笑みを浮かべたまま、小さく小首をかしげて、状況を理解できていないようだった。


「エイベル、私はあなたのことを許しません」


 きちんと理解できるように再度きっぱりと口にする。


「…………」

「今までも、ずっと許したくありませんでした。けれどあなたが許してくれと頭を下げて感情的になって、今回だけ魔が差したと主張するので、許すために自分をないがしろにして、あなたの許してくれという要望を吞んできました」

「……」

「でも、もう許しません。あなたの行動は何度言っても変わらない。改善の余地もない最悪の行いです。そんな人をずっと許し続けるなんて、私はそんな人生を歩みたいとは思いません」

「……」

「苦労をしてでも、自らの手で、持っている仕事も、領主としての役目もまっとうしたい。欲張りかもしれませんが、そうしたいんです、エイベル」


 重たく苦しい気持ちだけで言っていた許すという偽りの言葉を捨てて、リディアはやっと心からの気持ちを吐き出した。


「謝罪は、許しを得るための魔法の言葉ではないんですよ。謝れば何をしてもいいわけではないんです。やったことは必ずあなたの身を苦しめる、やられた私のことではなく、あなたを、苦しめる」

「……え?」

「そうでなくては、筋が通りません。私が苦しむ謂れはない。あなたは謝罪をするだけのことをした責任を取ってください」

「……」

「婚約破棄の手続きを取っています。争うことになっても、今までの証拠が私の味方になってくれることでしょう」


 彼はリディアの言葉を本当に理解できていないみたいな顔をして聞いていた。


 キョトンとしていて、まるで幼子のようにも見える。


 しかし彼はれっきとした成人で一人の大人だ。


 自分で自分の行動を制御できる。そしておこなった行動の責任を持つのもまた義務だ。


「あなたはもう私にとって、なんでもありません。将来を見据えて共にやっていく婚約者ではなく、何度もチャンスがあったにも関わらず、人の気持ちを顧みずに裏切り続けた最低の男でしかありません」

「……」

「温情など与えないし、話し合う余地もない、許すなんてもってのほかです。許す理由は何処にもない」


 理解させるように、今まで喉の奥に引っかかっていた言葉をぶつけていく。


 彼は頬を引きつらせて、リディアを理解できないもので見ているかのような目で見つめていた。


「ほ、本気で言っているのか?」


 絞り出したような声で、エイベルは問いかけた。


 その言葉に、リディアはただ見つめて言葉を返さなかった。


「お、俺たち婚約者だろ。なのになんだ。なんでそんな冷たいことを……」

「……」

「許さないから、婚約破棄だと? ……ば、馬鹿じゃないのか? おかしいんじゃないのか? 君」


 そして許さないと言ったリディアに対して、彼は怒りを向ける。


 その様子を見て、リディアはやっぱり彼は、リディアが許さないことなど許すつもりがなかったのだと思う。


 許されないと言わせるつもりなどなく、形式的に謝ってリディアに文句を言わせなかっただけ。


 それが正解だとわかって、その感情がリディアの気持ちに火をつけた。


 ぶわっと燃え広がって、心臓の奥深くから炎が噴き出し、前のめりになって言った。


「馬鹿でおかしいですって? あなたこそ、あんなに謝っておいて、謝らなくてはいけないことをしておいて、許さないと言われたらその態度……結局反省する気持ちなんてまったくなかったのでしょう?」

「っ……」


 普段から常に温厚で、よっぽどのことがあっても視線を伏せるだけで済ませてきたリディアが、目を見開いて糾弾する様子に、彼は驚いて身を引く。


「その謝罪に毎度付き合わされて、許しますという言葉を言わせられる苦しみが、屈辱が、あなたにわかりますか!」

「い、いやっ━━━━」

「あなたがそんなふうに思って謝っていることを感じながら、軽視されながらも、気持ちを呑み込む私のことなど、あなたはなにも考えてなどいなかった!」

「そ、そういうわけ━━━━」

「否定はできませんよ。自分で言ったのではないですか、許さない私をおかしい呼ばわりした。それがなによりの証拠ではないですか! なにが違うというんですか! 言えるものなら言ってみなさい!」

 

 彼に厳しい言葉を浴びせると彼は途端に黙って、それから「だって、いや、俺は……別に」と呟くように意味のない言葉を羅列する。


「否定できないでしょう、あなたはそういうことを私にしていたんです。私は構いませんよ。いくらでも話をしましょう、あなたの行動について、謝罪について、時間はいくらでもあります。あなたが納得できるまで何時間でも付き合います!」

「……」

「むしろそうしたいぐらいです! ずっと堪えてきたんです、あなたの態度について私が思っていたこともすべて話をしましょう! エイベル!」


 リディアにはその覚悟があるし、絶対に自分は間違っていないという根拠があった。


 彼は、リディアの熱量に負けて、少し縮こまっていた。


 けれども、リディアの言葉にあとから苛立ちが追い付いたようで、納得がいかないような顔をした。


「だから……悪かったって言っただろ!」

「ですから、悪かったなんて言う言葉は、必ず許しを得られる言葉ではないんです。なにがどう悪かったんですか? 悪かったことをしてどんな責任を取ればいいと思いますか? そういう言葉や配慮があなたにはまるでない!」


 彼の謝罪を否定すれば彼は、咄嗟になにか言葉を返そうとするけれど、反論は出てこない様子で、それからおもむろに立ち上がった。


「し、知るか!」


 そう言って、ずんずんと歩いて、応接室を出ていく。


 許されず、責められて、最後に彼がしたことは放棄だった。


 そうなればもう、なにも与えられる余地はない。

 

 後は、過失に伴った罰が否応なしに下されるだけである。







 リディアはとても冷静な気持ちで手紙を読んでいた。


 それはエイベルから送られてきた本気の謝罪が含まれているものであり、許しを乞うているわけではないので、日記のように少し淡々としていた。


 リディアが許さないことにしてから婚約破棄を申し立てると彼とは争うことになった。


 一時期は仕事に勉強にその対応にと忙しくしていたが、父の協力もあり、リディアは自由の身となった。


 それと同時に、ソーンヒル子爵家への融資の更新はもちろん打ち切りなり、準備もしていたので慰謝料も多少の金額をもらった。


 ソーンヒル子爵家が大きく傾いたことは言うまでもなく、しばらくしてから手紙が届くようになった。


 最初のうちはそれこそ、腹を立てていたり、罵ったり、悲しんだり実に多彩な感情を見せていた彼だが、最終的には、今読んでいる謝罪と後悔を告げて手紙が届きぱたりと止まった。


 そのころにソーンヒル子爵家は貴族としての体裁を保つことが難しくなり、爵位を返上することが決まった。


 彼がどこで何をしているのか今は知らない。


 それは一ヶ月ぐらい前のことで、この手紙を読み返すのはあれ以来だった。


 何故そんなことをしているかというと、衝撃的な事実が明らかになったので気持ちをどうにか落ち着けるためだった。


 父は、エイベルとの婚約破棄について非常に肯定的だった。


 リディアは否定される覚悟で挑んだが、あっさりと承諾され協力すらしてもらった。


 その理由は新しい人についてのめどが立っていて、その人の方が何度も外聞の悪いことをしでかす彼よりもリディアにふさわしいと考えているからということだった。


 そしてそれは婚約破棄の騒動が終わってから、今から換算して丁度、一週間前に聞いた。


 それから、新しい相手との両家の顔合わせの日程が決められ、お見合いなどはないのかと確認したのが、五日前。


 その時は、必要ないだろうと当たり前のように言われた。


 リディアはそれを、それほどまでに良い人かもしくは、ほかに選択肢はないと考えているからかと流した。


 そして今日になって、来訪者の名前を聞いたのが一時間前。


 その正体は、リディアのかつての先輩で退職した、ブルースだった。


 退職して以来、会っていなかった。


 けれど彼は友人を助けるためにそうしたはずであり、リディアには意味がわからなかった。


 それでも嬉しいという気持ちが芽生えてしまって、冷静になるために手紙を読んでいたというわけだ。


 目論見通り冷静にはなれた。


 父とともに彼のご両親を迎えて、もてなし、リディアもブルースも何食わぬ顔で婚約のことを喜んで、若い二人は庭園で散歩でも楽しんでくるように言われて外に出た。


 彼はリディアを振り返って手を伸ばす。


「お手をどうぞ」

「っ」


 その優しい笑みはあまり以前と変わっていなくて、けれどもリディアは手を取るだけではなく、手を取って彼の腕をつかんで見上げて聞いた。


「う、うまくいかなかったんですか?」

「?」

「ですから、父やあなたのご両親の手前、もちろん私もあなたが嫌などというつもりもないですし、何食わぬ顔で喜んでいましたが、違ったはずです!」


 彼は意外そうな顔をして、静かな瞳でリディアのことを見下ろしていた。


「ご友人を助けるために、仕事を辞めてまでやっていたことがあったはずです。それは私の婚約者となるためのものなんかではなかったはずです。……うまく、いかなかったんですか?」


 そうして再度説明して問いかけた。

 

 嬉しい気持ちはどうしてもあるけれど、それは彼の感情を無視して前に出すべきものではない。


 彼は今悲しみのどん底にいるかもしれないのだ。


 人生をかけて救おうとした人を救い損ねて、こうしてタイミングがあったリディアの元に流れ着いたのかもしれない。


 だとしたら、リディアができることは話を聞いて彼の気持ちを大切にすることだ。


 だから聞く必要があった。


 しかし彼は、合点がいった様子で、それから少し首をかしげて考える。


「……」

「……」


 しばらく沈黙が続いて二人の間をさらりとした心地のいい風が吹いた。


 リディアの髪をさらって、少しなびかせた。


 ブルースは静かに口を開いた。


「うまくはいったよ。少し想定と違ったけれど、やっぱり君は強い人だから、こうなるかもしれないとは予測してた」

「……」

「でも目的は果たせたんだ。だからできるなら……一緒に喜んでくれると嬉しい、リディア」


 彼は目を細めて、少し頬を染めた。


 しかし、リディアはまったくもって意味が分からなかったので、ぐっと眉間にしわを寄せて「どういう意味ですか?」ととても真面目に聞いた。


「……そうだね。私は友人が少ない方だし、先輩後輩の関係でも友人と呼ぶタイプで、つまり君に私は、君を傷つける人など捨てて別の人を探してほしいと言いたかった」


 そうして彼は、とても分かりやすく説明した。


「だから替わりになれるだけの技能を手に入れたくて、以前から色々としていたし、実際に行動に移した。つまり……君のことを心底大切に思っていて、できたら幸福になってほしいし、したいなと思っていて」

「……」

「重い感情かもしれないけれど、嫌がられるほど嫌われているとも思っていなかったし、だからこうして君の前にいる……というだけだよ」


 彼は、とても当たり前のことのように言う。


 それから、リディアの力の抜けた手をそっと両手でつなぎ直して「君が好きなんだ、友人としても人としても、女性としても」と言った。


 その言葉を聞いて、リディアはやっと彼の言葉の意味を理解した。


 それはとても衝撃的な事実だったけれど、考えてみれば単純明快でわかりやすい事実だった。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……リディア?」

「……」

「驚かせてしまったかな……」


 しかし頭の整理が追いつかずにリディアは、瞬きをしながら呆けて変な方向を見ていた。


 問いかけに何と答えたらいいのかわからず、言葉が出てこない。


「……」

「嫌だった?」


 けれども、その言葉にだけは、言葉が出ないながらも必死になって頭を振る。


 全然まったくそんなことはない。


 ……むしろ、どうしようもないぐらい。


 どうしたらいいのかわからないくらい嬉しい。


 嬉しくて、嬉しすぎて、つらいぐらいだった。


 恥ずかしいのもある、耳がじわぁっと熱くなってやっぱり言葉が出ない。


 しかし、彼の手は握って離さなかった。


 あまりに嬉しいから、彼に去って行かれるようなことがあってはいけないとぎゅっと握って、彼を見つめる。


「そう、なら良かったね」

「……は、はい」

「気晴らしに、散歩しよう。そしたら少しは気分も落ち着くよ」

「……はい」


 言われて、片方の手を離して、引かれながら庭園を歩く。


 下手に言及されることもなく、優しいだけの彼にまた胸がときめいてしまう。


 この人が、以前よりももっとそばにいてくれるのかと思うと、どんなに悲しいことが起こってもリディアはきっと幸せだろうと思った。


「こうしていると今更、実感がわいてすごく嬉しいな。改めて、よろしくね」

「はい」


 彼がしみじみという言葉に、リディアはきちんと返事をした。


 まだ、彼と同じだけの愛の言葉をささやけるほど、整理はついていなかったがそれでも彼を強く思う気持ちは胸の中にあったのだった。







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― 新着の感想 ―
ブルーノも問題ありそう。。 勘違いですれ違うのが可愛いのは若いうちの恋までで、誰が(主語)誰に対して(相手)どういう思いを持って(理由)どうするのか(行動)をはっきり説明するか、たとえはっきり言えない…
婚約破棄から一月で貴族の体裁が取れなくて爵位返上とはもうすでに死に体だったのでしょう…遅かれ早かれ没落の憂き目になってたんでしょうね(合掌)
某カ◯ジの某会長も言ってたな… 借金した人間のできる最大限の誠意は借金を期限までに返すこと返せないから謝罪なんて何の価値もない 誠意とは責任を果たすことよね…
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