羨望の的
※注意:人によっては物語の展開や結末にストレスを感じる描写があるかもしれません。
上記それでもおっけーという方、ぜひ読んでみていただけると嬉しいです。
「おはよー」
「うーす」
「はよ」
朝の教室は、登校してきたばかりの生徒たちの声で賑やかだ。
ともすれば騒がしくも思えるその喧騒の中に、高坂夏生は、気持ち早足で入っていこうとした。
「ちょっと待って夏生」
集まっている友人たちの元へ行こうとして、しかし呼びかけられた夏生は、そこで立ち止まらざるを得なかった。
無視などできるはずもない。夏生はその声に背を向けたまま、一度その場で笑顔をつくり、それから普段通りの自分を心がけて振り向いた。
「どうしたの? 冴」
「制服の襟が変になってる。こっちきて、直してあげるから」
そう言って手招きしているのは、今一緒に登校してきた、夏生の幼馴染だった。
胸まで伸びた長めの黒髪は、毛先の方だけがブロンドに染められていて、おしゃれへのこだわりが感じられる。
切れ長で鋭さを感じさせる目つきと、男子と比べても見劣りしない長身が、彼女の大人らしさを際立たせている。
ともすれば年上のようにも見えてしまうのは、細めの体型の割に目立っている立派な胸の膨らみと、右目の下にある泣き黒子が、艶めかしい女性の魅力を発揮しているからだろうか。
男なら誰もが目を奪われてもおかしくない、派手で人目を惹きつける要素が満載のその少女こそ、夏生の幼馴染、黒川冴である。
「え、襟? どのあたり?」
「やってあげるから、こっちきなよ」
二度目の催促。夏生は自分で直すことを諦め、素直に冴の元へ向かった。
目の前に立つと、背の低い夏生は冴を軽く見上げることになる。
見下ろしてくる冴は、一度満足そうに頷くと。まるで正面から抱きしめるかのように密着してきた。そのまま夏生の首に腕をまわし、必要以上にゆっくりと、時間をかけて丁寧に襟を直していく。
抱き合っているかのようなその行為を通して、これは自分の所有物であると、そう意図的にクラス中に見せつけるかのように。
その間、夏生は直立不動のままで、微動だにできなかった。
冴との身長差的に、すぐ目の前には冴の胸があり、少しでも動けば、顔が触れてしまいそうだったから。
「はい、これでいいかな」
「ごめん冴、ありがとね」
「夏生ってば、あたしが見ててあげないとホントダメね」
「う、うん。いつもごめんね」
「なぁに気にしてんの? 冗談に決まってるじゃん」
「そか、えっと、じゃあもういいかな?」
「いいって、なにが?」
「いや、直し終わったなら、もう離れてもいいかなって」
こうして会話をしている間も、夏生は首に手を回されたままで、むしろ少し体重をかけて寄りかかってくる冴に、本当に抱きしめられる形になっていた。
ただでさえ関心の的だったのに、夏生はクラスメイトたちの真ん前で、これ以上注目を集めるようなことはしたくなかったのだ。
けれど冴は、一瞬だけ首をかしげ、すぐに悪い笑顔になる。ニヤリという擬音でも聞こえてきそうな微笑みを向けられて、夏生は嫌な予感しかしなかった。
「夏生、あたしのこと嫌なの?」
絶対にわざとだろう。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた冴が、その肉体を押し付けるように寄りかかってくる。
頬に柔らかな胸の感触を感じ、夏生はさすがに身を引いた。
「ちょ、ちょっと冴!」
「ッ…クッ……アハハ! なつきぃ、アンタ今、顔真っ赤だよ!」
「はぁ、あんまり揶揄わないでよ冴」
「ごめんって、ほら、もういいよ」
揶揄って満足したのだろう。じゅうぶんに楽しんだらしい冴は、夏生から離れて自らの友人たちの元へ歩いて行く。
やっと解放された夏生は、その背中を見送って、ようやく一息ついたのだった。
「おぅ夏生、朝から羨ましいなぁおい!」
「さっき黒川の胸当たってたろ? 柔らかかった?」
「ていうか黒川さんと毎朝一緒に登校とか、幼馴染ってズリィよなぁ」
一息ついたばかりの夏生だったが、ゆっくりするような時間もなく、すぐに友人たちから囲まれてしまった。
羨望のまなざしと、軽い嫉妬がのった言葉の数々。みんながみんな、先ほどの冴とのやり取りをみて、心底羨ましいと思っているらしい。
そんな感情を向けられた夏生は、ただ曖昧な笑いしか返すことができない。
年頃の男なら、美人の幼馴染と毎朝一緒に登校していることを自慢に思うものだろう。
魅力的な異性の幼馴染がいることで、自身の立場が恵まれていると神に感謝するかもしれない。
人前でもためらいなくスキンシップを取ってくれる女の子がいて、幸せを感じることだっておかしくはない。
けれど夏生の感情は、そのどれもに当てはまらない。
「黒川さんと付き合ってるわけじゃないんだよな?」
「うん」
「はぁ羨ましいよなぁ。夏生ってほとんど黒川と一緒にいるやんけ、ずっと構われてるよな?」
「あはは、そう、かな」
「ぶっちゃけさ、あんなん毎日されてたら好きになっちゃうんじゃねぇの?」
「……いやぁ、冴は昔からあんなだから」
夏生の返答を聞いて、みんなは納得できないように不満をもらす。
絶対好きになっちゃうだろ!
幸せな立場を自覚しろ!
そのうち誰からに取られて泣いても慰めてやらないからな!
口々に揶揄うようなことを言う友人たち。みなの声を聞きながら、夏生は笑顔でいることに必死だった。
もう限界だ。
解放されたい。
楽にしてほしい。
そんなこと、口が裂けても言えはしない。この教室には冴もいるのだから。
もし本音を漏らして、それを冴に聞かれてしまったら、そう考えるだけで、夏生は身体が震えそうになる。
夏生は冴が怖いから。
それにもし言えたとしても、夏生の想いは、誰にも理解されることはないだろう。
みなは、冴の表の姿しか知らないのだから。
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