1.白くて寂しい景色
私は、真っ白い景色がきらいだ。
雪みたいで冷たさを感じるし、何より白は寂しい色だと思ってしまう。
何色にでもなれたはずなのに、そのまんまであるのがどうしても嫌だ。
ぼんやりとした意識の中、そう思う。
規則正しい音と、管理された呼吸には、もう慣れたと思っていたのに。
私を取り囲む大人たちに視線を向けていたら、なんだか変なことを考えてしまった。
本当は、この場所が嫌なだけ。
だって何の変化もないんだもの。
いつも同じ音を聞いて、同じようなセリフを聞いて、そしてこの部屋から出られない。
動くことすら出来なくなった病人は、ただ周りが哀れむ声を聞いて眠るだけ。
真っ白な部屋で、白い入院着を纏って、これまた真っ白なベッドに身体を預ける。
現代の日本では治療不可能だと判断され、私はただ緩やかに死へと向かった。
そして先月15歳を迎えた私は、今日その命を終える。
私を看取ろうと、大人が病室に揃っていた。
『どうして、うちの子がこんなにも辛い目にあわないといけなかったの』
お母さんが泣き崩れた。
『この子もたくさん頑張ったんだよ、せめて笑って送ってやろう』
お父さん、涙声が隠せていないや。
『こんなに若いのに……』
看護師さんたちの辛そうな声も聞こえる。
辛かったねと哀れんでくれて、出来ないことを助けてくれるのは、素直に嬉しかった。
でも、私とみんなは根本的に違う。
みんなは外の世界を知っているけれど、病室から出られない私は外をほぼ知らない。
退院することが出来ない私を気遣ってか、両親もお医者さんもあまり外のことを話さなかったから。
私は、あまり憧れがないんだと思う。
外の世界を知らずに死んでしまうのが可哀想と思われても、私はそれを知らないのだから悲しいとも思わない。
けれど、ただ一つだけ後悔がある。
また周りを見て、やはり後悔を強くした。
[友達が欲しかった]
大好きな両親が側にいる。
看取ってくれるお医者さんも、悲しんでくれる看護師さんもいる。
けれど、友達と呼べる存在はいなかった。
友達とは、互いに好きなものを共有して、時にはすれ違って喧嘩もするらしい。
くだらないことで笑い合ったり、相手のために泣いたりもする。
お母さんが贈ってくれる本にはいつも、そんな風に友達と過ごす主人公が居た。
初めて羨ましいと思ったもので、友達という存在に会いたいと思った。
あーあ、逢いたかったな。
最期の力ない笑みを、お母さんたちはどう思ってくれただろう。
──ふつり、唐突に全てが暗転した。
───────────────
暗くなった世界に、また白が差した。
私はまだ、死んでいないの……?
ゆっくり目を開けても、白は消えない。
病室の広さではなく、ただひたすらに白いだけの空間。
天国みたいなところだろうか。
前後不覚に陥りそうなのをなんとか堪えて、一歩踏み出す。
すると、ポンッと目の前に白い吹き出しが現れた。
……なんで識別出来たんだろう。
浮かんだ疑問をそのままにさせないとでも言うように、黒い文字が書かれていく。
『きみ、こんな白い空間でよく歩けるね』
褒められてる……のかな?
疑問符だけを浮かべて立ち止まれば、吹き出しの横に黒い人間が現れた。
いや、人間じゃなさそう。
角のようなものも見えるし、立派な4枚の翼みたいなのも背中にある。
ただ、シルエットみたいに塗り潰されてそれ以上が分からないのだ。
とりあえず、影と呼ぶことにしよう。
少し肩を震わせたのを見る限り、たぶん笑っているのだと思われる。
『こんにちは、哀れな人間さん』
『何がなんだか分からなさそうだから、簡潔に説明するね』
『君は今から転生します! いえーい!』
ポンポンと文字が踊る。
うん、どういうこと?
文字を見ても実感が湧かないし、なんと声を出して良いかも分からない。
取り敢えず首を傾げれば、影は爪先を2回とんとんと動かし、足元の白を取り除いた。
跡地には、場面を切り取ったような絵が浮かんでいる。
広がる緑と、少しの青と、ぽつりぽつりと点在するいくつかの白いかたまり。
まるで一つの世界を俯瞰しているようだ。
しかし、これが何なのか全く分からない。
また肩を揺らした影が、もう一度爪先を鳴らす。
景色がズームされ、一つの街を写した。
立派な城と広がる街並み、その白さがかたまりとして見えていたらしい。
『最初に見せたのが、君の行く“パラディアス”という世界の全体』
『そしてこれが、君の転生する国ね』
『ここは“ラフィアンジュ王国”、パラディアスにおいて最も栄えている場所だ』
『あとの地理は……うん、あっちで頑張って覚えてね』
変わらず、ぽんぽんと文字が踊る。
いや、おい、最後投げやりすぎるでしょ。
百歩譲って、この世界に私が行く事を飲み込んだとしてもだ。
「わたしは、そこで何をすれば……?」
『わお、喋った』
「良いから答えてください」
大げさに身を仰け反らせた影は、しばらく考え込んだあとで静かにこちらを見た。
そしてまた、文字が踊る。
『なにもしなくていい』
「…………はい?」
『この世界で生きて、その目で確かめて。
どんな風に生きたいか、何を遂げたいか』
影の顔は相変わらず分からないけれど、私には真剣な表情をしているように思えた。
今度は長く、影の言葉が文字として踊る。
『私はずっと、この白に閉じ込められている。
外の世界を見るには、誰かの視界を借りるしかない。
見返りに、君には膨大な力を与える。
だから私の代わりとして、君がパラディアスを知ってほしい。
人がどのように歩んでいくのか、私は見守りたい。
それが、私の願いなのだ。
君にも、代えがたい願いとやらは無いか?
私が出来うる限り叶えてやろう』
契約書とでも言うように浮かび続ける文字の横で、影は私に手を差し出した。
願いを言ってその手を握れば、契約完了ということだろう。
確かに悪い話じゃない、見知らぬ世界で取り敢えず安全が保証されそうだし。
なにより、断る理由もない。
どうせ転生するなら楽しんでしまえ、とすら思っていたりする。
問題は……私の願い。
決まってはいるけれど、でも、本当に良いのかなって。
健康になりたいとか、強くなりたいとか、そんなんじゃないから躊躇われる。
たっぷり悩んで、おずおずと手を差し出して影の手を握る。
意外にも暖かさを感じて、すんなりと迷いが溶けていく。
「……友達が、欲しいです」
『………………ともだち?』
「はい」
真剣な目をして、影を見つめる。
私が悩んでいた時間よりも長く影は固まり、そして体を前へくの字に折った。
と思えば仰け反って、明らかに悶えた。
これは…………大爆笑されている。
何も流れてない目元付近を片手で拭いながら、影はまた吹き出しに言葉を踊らせた。
『な、何を言うかと思ったら……友達?
え、友達でいいの? 本当に?
本当にそんな事でいいのか?
私がなにをせずとも叶うぞ、友達作りなど』
「え?」
『私の与える力は、他者を強くするための力だ。
あの世界では、“授ケル者”と呼ばれる存在が扱う力。
アルスは、“授カル者”に自身の力を分け与える。
すると当然、両者には関係が生まれる。
君の求める友情とやらも芽生えることだろうさ』
「つまり……私は転生したら、相棒とか友達みたいな存在を獲得できるってこと……?」
『簡単に言えば、そうなるね。
一人のアルスには、たった一人のディロが寄り添う。 それを見つけるのも、何とするのも、君の選択と勇気次第だ』
「私次第……」
オウム返しに呟けば、影はゆっくり頷いて、握ったままの手に力を込めた。
『ついでだ。 諸々の知識を、困らない程度に贈っておこう。 それでも困難を感じるかもしれないが、どうか君が乗り越えてくれることを祈るよ』
「ありがとう、ございます」
『うむ。 願わくば、君が唯一無二の友を得て、困難の果てへ辿り着かんことを』
そうして影は初めて、姿の一部を見せた。
肌色を取り戻した口元は、にこりと弧を描いて私を見送っていた。
またお礼を言おうとしたけれど。
──ふつり、また唐突に全てが暗転した。