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第7章 水の外の世界

蝉の声が、また耳に戻ってきた。

 炎天下、アスファルトの照り返し。自販機の前に立つ蒼太の影は、地面の上で細長く伸びていた。


 ──村を出て、もう二日が経っていた。


 自分が“どのように”戻ってきたのか、明確な記憶はなかった。ただ、神社の境内で目を覚まし、そのまま山道を引き返し、バスが通る旧道にたどり着いた。スマホのGPSは正常に作動していたし、道案内も現実のものとして機能していた。


 だが、地図アプリには「水見村」の表示はもうなかった。

 検索してもヒットせず、過去の投稿記事や掲示板の記録も、すべて削除されたかのように消えていた。


 スマホのカメラロールには、写真も動画も何も残っていない。唯一あったはずの、あの古い集合写真も。


 まるで“最初から存在しなかった”かのように。



 東京に戻った蒼太は、普段通りの生活に身を置こうとした。


 だが、どこかがおかしかった。


 電車の中、隣の人がポタポタと濡れていた。

 オフィス街の交差点、道路に水たまりができていたのに、空は晴れていた。

 帰宅途中、誰もいない道で、耳元にそっと水音が響いた。


ちゃぷ……ちゃぷ……


 幻聴。……そう思いたかった。


 それでも、確実に“何か”がついてきている感覚はあった。



 ある夜、蒼太のもとに一通のメールが届いた。

 差出人は匿名、件名は空白。添付された画像ファイルのタイトルは、


『mizumi-no-kakera.jpg』


 恐る恐る開いたその画像には──


 水見村の井戸が写っていた。


 朽ちかけた屋根、崩れた手すり。だが、中央の井戸の穴だけが、異様に黒く、深く、空を飲み込んでいるように見えた。


 写真の片隅には、小さく誰かの姿も映っていた。


 ──ミオ。


 彼女は、確かに消えたはずだった。

 願いの連鎖が終わり、村が“沈黙”したはずだった。


 けれど、もしこれが“現実”の現在に撮られたものだとしたら──


 水見村は、まだ完全には終わっていなかった。



 その翌日、大学の友人から連絡があった。


 「なあ、変なこと言うけどさ……お前、川原悠人って覚えてるか?」


 蒼太の心臓が跳ねた。


 「……どうして、その名前を?」


 「いや、昨日さ……インスタでさ。なんか知らないアカウントからタグ付けされてて……それ見たら、昔の集合写真みたいなのがあったんだけど、そこに悠人いたんだよ。お前も。……でも、それ、日付が“昨日”になってたんだよ」


 現実が歪んでいる。

 願いの記憶は、形を変えて世界に“染み出して”きている。


 もしかしたら──


 蒼太が“選んだ”方法は、記録を削除したのではなく、“封じ込めた”だけだったのかもしれない。


 水はまだ、静かに、確実に、どこかで“誰か”を呼び続けている。



 夜。

 蒼太はもう一度、井戸の夢を見た。


 水面に揺れる、自分の影。


 その背後に、誰かの声がした。


「ねぇ、願いって……まだ、叶うのかな?」


 振り向くと、そこには見知らぬ少女が立っていた。

 制服姿の、無表情な少女。目だけが深い井戸のように暗く、濡れていた。


 彼女は手を伸ばし、微笑んだ。


「もしも、そうなら──もう一度、行ってみようよ。水の底に」

願いは終わっていなかった。

水は、形を変え、現実世界に“浸食”し始めていた。


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