第2章 水見村
重たい湿気が肌にまとわりつく。山道を抜けた先、静寂が支配する集落が広がっていた。
──水見村。
蒼太が立っていたのは、苔むした石の鳥居の前だった。横にはひび割れた木の看板があり、かろうじて「水見村」と読める文字が刻まれている。人の気配はない。鳥居をくぐった瞬間、温度がわずかに下がったような気がした。
古い日本家屋が数軒、川沿いに点在している。だが、窓には板が打ち付けられ、庭先は雑草に覆われ、まるで何年も放置されたようだった。風もないのに、どこからか風鈴の音が聞こえる。チリン、チリン、と──。
蒼太はゆっくりと村の奥へ足を進めた。
「……誰か、いませんか?」
返事はない。だが、誰かに見られているような感覚だけが、背後から付きまとってくる。
ふと、古びた家の縁側に一人の少女が座っていた。
長い黒髪に、白いワンピース。年齢は十六、七だろうか。こちらをまっすぐに見ていた。無表情でもなければ、笑っているわけでもない。ただ、観察するように静かに目を細めている。
「……あの、こんにちは。ここ、水見村で合ってますか?」
少女は少し首を傾げてから、ようやく口を開いた。
「めずらしいね、こんなとこまで来るなんて。……観光?」
「いや、ちょっと調べ物というか……昔のことを調べてて。ここに来た人たちが……行方不明になってるって話を、聞いて……」
少女はすっと立ち上がると、歩き出した。
「こっち。案内する」
蒼太は一瞬ためらったが、他に頼れる人もいない。彼女の後を追った。
村の中心には、ぽっかりと空いた広場のような場所があり、その中央に──井戸があった。
深く、黒い穴。木製の屋根が朽ちかけていて、手すりには注連縄が巻かれている。そこだけ、時間の流れが止まっているようだった。
「これが、“水神様の井戸”ってやつ?」
少女はうなずいたが、目は井戸を見ていなかった。
「ここに願うとね、叶うんだって。誰かがいなくなっても、村では“神様が連れてった”って言うだけ。警察も来ない。来ても、なにもできない。だって……誰も、祟りを疑わないから」
その言い方に、蒼太は違和感を覚えた。
「それ、信じてるの? 祟りとか呪いとか」
少女は静かに笑った。けれど、それは冗談の笑みではなかった。
「私は信じてない。でも、妹が……ここで願ったあと、いなくなったの。だから、知ってる。信じてなくても、“水”は選ぶんだよ」
彼女の言葉が、胸に重く沈んだ。
──妹が、いなくなった?
「名前、教えてもらってもいい?」
「……ミオ。水守ミオっていうの」
「水守……?」
その姓に、蒼太の脳裏で何かが引っかかったが、思い出せなかった。
「……村の人たちは?」
「隠れてるだけ。外の人を怖がってるの。よそ者が“井戸”に近づくと、村に“呪い”が戻ってくるって。だから、気をつけて。今夜は、あんまりうろつかない方がいいよ」
そう言うと、ミオはふいに振り返った。
「……でも、来てくれてよかった。もしかしたら、あなたが──誰かを“戻せる”かもしれないから」
蒼太は言葉を失った。彼女の目は真剣だった。
まるで、どこか遠い未来を見ているかのような、諦めと希望が混ざったような眼差しで。
村に足を踏み入れた蒼太は、謎の少女ミオと出会い、封じられた“井戸”の存在を知る。
呪いを否定していたはずの彼が、徐々に“水”の気配に呑まれていく。
次章では、蒼太のまわりで異変が起き始め、失踪した人々の影が見え始めます。
第3章『見えない水』へ──。