第1章 見てしまった記事
七月の終わり、蝉の声が耳に張り付くように鳴き続けていた。アスファルトの照り返しが厳しく、窓を閉めた部屋の中も、まるで蒸し風呂のように息苦しい。
大学四年の夏休み、蒼太はバイトもサークルもなく、ただ無為に時間を潰していた。卒論の資料も読まず、エアコンの効いた部屋でYouTubeとまとめサイトを渡り歩く毎日。そんな自堕落な生活の中、ふと視界に引っかかるものがあった。
「【実話】行方不明者が毎年出る村──“水神様の井戸”の祟りとは?」
赤字のタイトルが目に飛び込んだ瞬間、どこか胸の奥がざわついた。オカルト? またよくある作り話だろう。蒼太はそう思いながらも、なぜかその記事にマウスを滑らせていた。
興味本位というよりも、どこか既視感のようなものがあった。記事は2013年に投稿されたもので、内容は古びた山村「水見村」で毎年一人ずつ失踪者が出ているという話だった。
村の名前に、蒼太の記憶が引っかかる。
「……水見村?」
検索してみたが、地図には出てこない。あるのは地元民が運営していると思われる観光ブログに、数年前まで“自然体験の村”として紹介されていた痕跡のみ。
記事を読み進めていくと、失踪者のリストの中に、ひとつだけ馴染みのある名前があった。
川原悠人──2018年、22歳、大学生、行方不明。
心臓が跳ねた。蒼太が一時期オカルトサークルに所属していた頃の同期だ。仲が良かったわけではないが、話をした記憶はある。確か、卒業旅行で一人旅に出ると言っていたが、その後消息を絶ったと風の噂で聞いた。
冗談のように言っていた。
「マジで水神様っているんじゃね?」
今思えば、あれはこの村のことだったのだろうか。
蒼太はもう一度、記事に目を通した。しかし、不意に「このページは削除されました」というエラーメッセージに変わる。リロードしても表示されない。サーバーエラーではない。何かの意図を感じさせる消され方だった。
奇妙な緊張が背中を這う。何かに触れてはいけないものに触れてしまったような……そんな感覚。
だが、呪いや祟りなんて、そんな非科学的な話を信じる性分ではない。オカルト好きな友人に付き合っていただけで、蒼太自身は常に冷静で現実的な目で世界を見ていた。これは単なる偶然だ。そう言い聞かせながらも、脳裏に焼き付いた“水見村”という名前が離れなかった。
数日後、蒼太は行動に出た。
地元の図書館、ネットアーカイブ、掲示板──手がかりは少なかったが、わずかに残っていた資料と一部のマニアックなフォーラムの投稿から、「水見村」が実在していたこと、そして現在は行政上“消滅集落”扱いになっていることを突き止めた。
それでも、まだ何かに呼ばれているような気がしていた。
数日後、蒼太は荷物をまとめて、電車とバスを乗り継ぎ、山奥へと向かっていた。
地元の路線バスの運転手に「水見村って知ってますか?」と尋ねると、運転手は一瞬目を逸らし、短く答えた。
「……ああ、あそこか。まだ行く人がいるんだな」
「え、知ってるんですか?」
「行けるのは途中までだよ。今はもう、地図にも載ってない。けど、近くまでなら送るよ」
それ以上は語ろうとしない口ぶりに、逆に興味が深まった。
バスを降りた場所から先は舗装もされていない山道だった。スマホの電波は圏外、Googleマップも役に立たない。
汗をかきながら、雑草に覆われた登山道を歩く。蝉の声すら聞こえなくなったとき、不意に視界が開けた。
そこにあったのは、深緑に沈んだような、静寂に包まれた集落──
水見村。
「呪いなんて信じない」。
それが蒼太の口癖だった。でも彼は知らなかった。
その村では“呪い”とは、“水に名前を呼ばれること”だったことを──。