新人騎士、退団する
辺境伯領の騎士団の新人だった俺が密かに退団を覚悟したのは、入団してわずか半年後のことだ。
別にいじめにあったとか、待遇が不満だったとか、そんなことは全くない。
孤児院育ちの俺にとって、辺境領の騎士団は厳しいけれども高給優遇。
文句を言ったら罰が当たる。
辺境伯領は当然、王国の端っこにある。
そして王国は一部、隣国に接していなかった。
何に接しているかと言うと、魔物が跋扈する地である。
国の内部にまで魔物が入り込まないよう、この辺境の領で防いでいるわけである。
魔物にもさまざまな種類があり、武力だけではままならない。
魔法の力も借りねばならず、特に人間にしかない聖なる魔力の効果は絶大だった。
聖なる魔力は女性にしか発現せず、特に強い聖魔力を持つ者は聖女と呼ばれる。
なんとなく、教会の中で穏やかに微笑んでいるのを想像するかもしれないが、ここの聖女はそれとは違う。
「貴様ら、追撃が遅いぞ!
そんな調子では、私の渾身の祈りでせっかく弱らせた獲物が、復活してしまう!」
初めて聖女と共に前線に出た俺は、度肝を抜かれた。
さすが聖女、綺麗なお姉さんだな~と思っていた女性は現場で豹変。
周りを見れば、先輩たちは淡々と対応している。
どうやら、これが普通のようだ。
なるほど、聖女とは、共に命懸けで戦う仲間なのだと肝に銘じた。
さて、入団して三か月が経ち、俺は小隊の飲み会に連れて行ってもらった。
入団後すぐでは逃げ出す輩もいるので、もうよさそうだという頃合いを見計らってから歓迎会をするのだそうだ。
場所は騎士団御用達の居酒屋。
常に有事の辺境領では、待機を含む一週間の連勤の直後だけが飲み会チャンス。
はっちゃけようが深酒しようが自由なのである。
この一週間の勤務中は三日間ほど魔物の対処にかかりきりで、なかなかに大変だった。
その慰労のためにと、今夜は小隊長のおごりだ。
後から教えてもらったが、騎士団御用達の居酒屋は食べ盛りの若い騎士どもの胃袋を予算内で満たすノウハウが凄いのだそうだ。
酔って舌が馬鹿になって来るとともに、だんだんとアルコール度数が下がる酒、どんどんと肉が減りイモとマメが増える料理。
きっと二日酔いも軽く、健康にも良い。
ついでに財布にも優しいと、至れり尽くせり。
そんな宴もたけなわの頃。
俺は、離れた場所で一人黙々と酒を飲む女性に気付いた。
テーブルの上には、この店にしては高級そうな酒瓶が並び、空になった料理の皿が積み上げられている。
これは相当な酒豪で健啖家だなと思いつつ、よく見直せば知っている顔である。
「……聖女様」
つい声に出すと、すぐに彼女は気付いたらしい。
おいでおいでと手招きをされた。
小隊長を見れば頷いたので、彼女のテーブルに移る。
「聖女様、この度は、お世話になりました」
今回の任務中、魔物対処時に共に戦ったのは目の前にいる、この女性だ。
現場に出る度に違う聖女様が同行してくれたのだが、この人は聖なる魔力も一番だが、口調の厳しさも最上級だった。
「こちらこそ。
君は新人にしては動きに無駄が無い。
反応が早くて、非常に楽だった」
「お褒め頂き恐縮です、聖女様」
「君は固いな。私のことはイルメラと。
君、名前は?」
「ヤンと申します」
「そうか、ヤン、一杯飲みなさい」
「ありがとうございます」
「君は酒に強いようだな」
小隊のテーブルを見れば、半分ほどが潰れている。
「いや、さすがに新人なので、歓迎会と言われても、そうそう緊張感を緩められなくて。
聖女様も、連勤明けですか?」
「ああ、こんな時しか深酒も出来ないからな。
だが、いくら飲んでも酔えない。つまらん酒だ」
「俺でよければ、お相伴しましょうか?」
「……いいのか? こんな年増相手に飲んでも楽しくなかろう」
「正直、年上の女性の方が好みです。こんな小僧っ子では相手に不足かもしれませんが」
「いや、嬉しいよ」
俺たちはポツポツと世間話をしながら酒を飲んだ。
聖女様は自分のことを年増だなどと言うが、たいして年上でもないのだ。
だが、若いながらも経験値が高いのは間違いない。
騎士が現場で使い物になるまでは、けっこう時間がかかる。
現場に慣れるよう戦場に連れていかれても、慣れる前に死なれてはたまらない。
それなりに先輩たちが気を遣い、育ててくれる。
けれど聖女は、そもそも適性のある女性の数が少ない。
人数に余裕が無いため、厳しい訓練の後、速やかに前線に引っ張り出される。
直接、闘うわけではないにしろ、聖女が振るわなければ全滅する可能性がある。
その辛さ、厳しさに打ち勝って、生き残った者の一人が、目の前の女性なのだ。
「あ、イルメラさん、お疲れ様です!」
「ヤン、非番か?」
飲み会からしばらく後の休日。
街中でバッタリとイルメラさんに出くわした。
「はい。今日は、部屋に置いてる常備食料の買い出しに来たんです」
「つまり暇なんだな」
「いえ、買い物……」
「昼飯でもどうだ? 奢ろう」
「是非、付き合わせてください」
現金な俺が大人しくついていくと、辺境の街にしては、わりとお洒落なカフェの方向に向かう。
ああ、やっぱり女性だなと思っていたら、カフェはスルーして裏道へ。
そして小汚い定食屋の前で足を止めた。
「あ、いかにも旨そうな店構えですね」
「わかるか?」
「はい」
外面に構っていられないほど流行っている食堂は、小汚いものだ。
そのくせ、お客は常に出入りしている。
店内に入れば、ランチタイムが過ぎているのに七割ほど席が埋まっていた。
そして、次々に運ばれる香ばしい湯気の立った料理たち。
「お勧めは何ですか?」
「ここは何でも旨い。私は今日のランチだな」
「じゃあ、俺も一緒ので」
「君は若いんだ、追加で何でも頼んでいいぞ」
「いや、さっき屋台でイモの揚げたのを食べたばっかですから」
「ついでに、お茶でも飲みませんか? 今度は俺が奢ります」
「いいのか?」
回転の良い店に長居もできず、さっさと食べて店を出た。
「俺でよければ、話相手ぐらいできますよ」
「……そうか」
とはいえ、俺はまだ街中に明るくも無い。
お茶が飲める落ち着いた店を、イルメラさんに教えてもらった。
「君は、私のような聖女を見て幻滅しなかったのか?」
「あー、幻滅する人もいるんですかね?
おとぎ話の聖女様みたいに、穏やかで優しくないと駄目とか?」
そりゃ、神殿の奥で幾重にも護られて、皆に傅かれているとかならば、そういうのを期待するかもしれないけれど。
「いきなり前線で怒鳴られて、驚いて涙目になる新人もいたがな」
「いやいや、聖女様の言葉は少々乱暴に聞こえるかもしれませんけど『みんな生き延びろ!』って意味じゃないですか」
「そうだな。うん、そういう意味合いが強いな」
「頑張れ、お前なら出来る、生きて帰るんだぞって言われて、コレジャナイって思う奴の気が知れませんね」
「皆がそのように、肯定的に捉えてくれればいいんだがな」
「俺なんか、もう励まされまくりでしたよ。
おっかさん、俺、生きて帰るから、ってな感じで」
「……君はマザコンか?」
「俺、孤児なので母の顔は知らないんですが、まあ結構、育ての親のシスターたちにはベッタリ甘えて来たので、マザコンみたいなものかもしれません」
「年上が好きと言うのは、気を遣ってくれたのかと思ったが、案外本気だったんだな」
「あはは、そうなんですよ」
ついでに言えば、イルメラさんのような、少し目元がきつい美女ならもっと好きだ。
「どこかにいないものかな。
君のように年増の愚痴を優しく聞いてくれる男は……」
「話を聞くだけでいいんですか?」
「君のように、明るくて素直で、ちょっと嬉しい気遣いがあると最高だな。
どこかに、もう十歳ほど歳をくった君が落ちていればいいんだが」
イルメラさんは笑うが、それって……
「じゃあ、俺でいいじゃないですか」
「え?」
「俺でいいなら、年齢には目をつぶって、俺にしといてください」
「君、本気か?」
「少なくとも、俺はもっと貴女の話を聞きたいと思ってます」
「私は……実は自分の子供が産みたいんだ。
だが、今の状況からして、私が引退するわけにはいかない。
出来れば、出産後は前線に復帰したいんだが、それを許してくれる夫でないとな」
「それなら、俺が打って付けかもしれませんよ。
まだ半分は見習いの騎士だから、子育てのために引退しても戦線への影響は少ないし、孤児院育ちだから子供の扱いもまあまあ慣れてますし」
「君は子供のために、苦労してなった騎士を辞められるのか?」
「苦労というより、給料が良かったから頑張ったくらいなものですから。
この辺りには小さい子を預けられるところは無さそうだし、自分で育てればいいと思います」
「……そうなると、子育て中は私の給料で養われる身になるが、君のプライドを傷つけないか?」
「養ってもらえるの最高じゃないですか。
家事一切もわりと得意ですから、旨い飯を作って家で待ってますよ」
「……条件が良すぎる」
「そうですか?」
「そもそも、君の顔は私の好みだ」
「もしかして、それで飲み会の時に声をかけてもらえたんでしょうか?」
「もちろんだ」
「それは、嬉しいな。この顔で良かった」
「本当にいいのか?」
「本当にいいですよ。
あ、でも、子供が欲しいってのが前提なんですから、でき婚にしませんか?」
「でき婚?」
「子供が出来てから結婚するってことです」
「も、もし、子供が出来なかったら?」
「その時は、引退した時に結婚しましょう。それまで、ずっと恋人同士です。
それでいいですか?」
「ずっと……恋…人…同士……」
絶句して真っ赤になったイルメラさんは、コクリと頷いた。
戦場では格好いいのに、こんな初心な可愛さを見せられた俺もギャップに当てられてノックアウトである。
そうして俺たちは、真面目に大人の付き合いをした。
待望の子供が授かったのは、二年後のことだ。
「どうも、短い間でしたけど、お世話になりました」
「おう、元気でな。しかし、あの筆頭聖女様がお前となあ。
縁とは異なものなんだなあ」
小隊長がしみじみと言う。
それもそのはずで、筆頭聖女であるイルメラさんは貴族家の出。
それが、同じ仕事場で働くとはいえ、孤児院育ちの平民の俺と結婚するのだ。
しかも、出来ちゃった挙句の結婚である。
「聖女様のご実家からは何か言われたか?」
「いえ、温かい祝福のお手紙を頂きましたよ」
前線なので、祝いのために訪ねることは出来ないが、という謝意と真心がこもった手紙をもらった。
イルメラさんの話では、事の初めからの成り行きを、一応、ご家族に説明したそうだ。
『私を大切にしてくれる男性を見つけた、とちゃんと書いておいたぞ』
言いながらまた、顔を赤らめた彼女がとても可愛らしかった。
彼女の産休に合わせて、俺も退団した。
予定より少し早めに生まれた子供は、女の子と男の子の双子。
おかげさまで、母子ともに健康だ。
我が子を抱いて微笑む彼女は、まさしく聖女の慈愛に溢れていて見ているとありがたい気持ちになる。
だが、その口調は相変わらずだ。
「産後は腹が減るものなのだな。済まんが、今夜も大盛りで頼む」
「喜んで!」
妻は聖女で聖母で、なんとなく女王様だが、間違いなく俺の最愛である。
・・おまけ・・・・・・・・・・♪
小隊長から出産祝いが届いたので、礼を言いに行くとぼやかれた。
「俺はお前が少し羨ましいよ。
騎士の道を志した時に、結婚は諦めたからな」
「小隊長は好きな方がいるんですか?」
「いや、今はいない。
辺境のこの辺りじゃ、知り合おうにも独身女性も珍しいし」
確かに、現状、身近にいるのは小隊長と年齢のつり合いがとれない女性が多い。
更に、ほとんどが婚活をしようと思って無いっぽい。
「託児所でも作って、子持ちバツイチの聖女様を募集したらどうですか?」
冗談半分で俺がそう言うと、小隊長は食いついた。
「お前、天才か?」
小隊長が、コネを総動員して託児所設置をやり遂げ、運命の相手を見つけたのは五年後。
その出会いの前に、俺は託児所の初代所長としてスカウトされ、子連れで働ける最高の職場を得たのである。