06:ノブレスオブリージュ
肉を切り刻むための包丁は家庭科調理室にあった。骨を引き裂くためのノコギリは技術工作室にあった。作業のためのブルーシートの養生は体育の用具倉庫に、血と匂いを吸わせるための白線引きの消石灰も大袋で。学校のなかだけでも人間を解体するのに十分なだけの道具があるものだ。
黒板の前、教卓のうえに腰掛け玉座の代わりとし、一段高いところから教室を睥睨する。
ブルーシートの上で同級生の解体作業を始めた2人の男女を、残る生徒たちが様々な感情の目でみつめていた。
「岡田くん、やっぱり私には、無理・・・」と姫宮ひなのが泣き言を口にする。
「なら、代わりの人を見つけようか? もちろん、姫宮さんを貴族に任命する話はなかったことにして」と岡田王子が応える。
「口を動かしてないで手を動かせよ。それとも、やっぱりやめるか? 女の子にはキツイ仕事だし、俺はべつに構わないぜ?」と猫なで声をあげたのは工藤邦明だ。
彼がノコギリを動かす理由はとてもシンプルだ。誰かに命令されたくない。命令する立場になりたい。その代償として、同級生の死体を切り刻むくらいのことは、粗暴を生きる彼にとっては安いものだったのだろう。
真神聖人は、王国実験を希望者だけの強制参加ではないと説明した。だが、参加しない生徒が、役職があたえられなかった生徒が、自動的に家畜に分類されることは説明しなかった。性格が、悪いんじゃあないか?
岡田王子がそのことに気が付いたのは、道具の用意があまりにも順調に行き過ぎたからだった。1人や2人、それこそ目のまえで骨をノコギリの刃で削ろうとする工藤邦明こそ、こういうことからはまっさきに逃げてサボってしまう生徒のはずだった。
ものごとは、順調すぎると逆に違和感を覚えるものだ。
クラスで人気者というわけでもない自分の言葉に、なぜ、こうも簡単に従う?
教卓のうえで指先をくるくると回しながら言った。
「みんな、服を脱ぐんだ。下着も含めて、すべてを脱いで、その場に立て」
いくら異常な状況であろうと、こんな指示に従うはずがない。とくに女子は。
制服のシャツを留めるボタンのひとつひとつを指先が外し始めたとき、誰もが困惑の表情を浮かべた。スカートを留める金具とジッパーは腰の左側にあって、カチャリ、ジジジと音をたて、あとは重力にひかれるまま、ストンと落ちた。
むき出しになった下着は色それぞれで、上下がセットになっていないことのほうが多いんだな、と無関係の感想を抱く。
下着の色が見え始めた時点で、男子の無遠慮な視線が舐めるように肌のうえをなぞった時点で、彼女たちの羞恥は表情いっぱいに現れていたが、命令された指先は止まることがない。ブラジャーのホックに手がかかり、外れる。肩紐をずらせば、乳房を隠す布地も教室の床に落ちた。
下着のパンツに手が伸びて、岡田王子は少しだけ笑ってしまった。こんな状況だというのに、男子ときたら。隆々と硬くなったものが天井を指して、とても脱ぎにくそうだ。邪魔するものがないからか、女子のほうがするりと素直に脱げてしまった。
「ふぅん」と岡田王子。
隠すな、とは命令していなかったから、両腕を目一杯につかって乳房と股間を隠そうとするが、その面積は全然に足りていない。隠すべき肌色が見え放題だ。その点、男子は楽なものだった。両手があれば、それですむ。イチジクの葉が一枚あれば、大きくても二枚あれば事足りるだろう。
「おい、これは、どういうことだよ?」と言った工藤邦明の声には、喜びの色が隠しきれていなかった。屈辱的な命令を与えたはずなのだが、よりいっそうの屈辱を味わう彼女たちをまえにして、自分自身のことは忘れてしまったらしい。・・・それから、すこしは隠しなよ。
「真神先生の力だろうね。どうやらボクは王様で、みんなは家畜みたいだ。王様、貴族、騎士、平民、奴隷、そのどれでもない生徒は自動的に家畜扱いになる。プリントにはそう書いてあったし、結果は見てのとおりだ。みんなはボクの命令に逆らえない。・・・だろう?」
説明のプリントを真面目に読んでいなかった生徒のほうが大半だったらしい。家畜と言われてもピンとこない表情ばかりだ。
「それで、岡田くんはこれからどうするの?」
姫宮ひなのの声には怯えがあった。
衣服を脱がされ全裸にされた。男と女が裸になって、つぎにすることは大体が決まっている。そこまで想像力が足りない彼女でもなかった。
「そうだね・・・貴族を2人、決めたいと思う。貴族には、王国のために手を汚す覚悟がある人間が相応しいと思う。ひらたく言うなら、相田さんを包丁とノコギリでバラバラにしてくれる人。文字通りに手を汚してくれる人だ。立候補で誰か・・・工藤くん、手を挙げるの早すぎじゃない?」
工藤邦明のつぎに手を挙げたのが、姫宮ひなのだった。
彼が姫宮ひなのに恋心と呼ぶにはいささか過激、動物的な感情を抱いていることは、公然の秘密だった。捕食者の目をして彼女の裸体を嘗め回していたのも彼だ。彼が貴族になってしまえば、命令の権利を得てしまえば、彼女の未来は想像に難くない。
積極的に伸びた手と消極的に伸びた手が二本。
「ほかにいないかな? 立候補は先着順ってわけじゃあないよ?」という岡田王子の声に、工藤邦明が周囲を目で威嚇して回る。権力の座を譲る気は、かけらも無いらしい。
岡田王子の目は、成瀬鳴海のことを見ていた。
いまこそ、キミの出番なんじゃあないのかい、と。
だが、知っていた。彼には潔癖症の気があることを。缶ジュースの回し飲みさえできないことを。人間の身体をバラバラにするなんて、とてもとても。
結局、彼は最後まで手を挙げなかった。
こうして相田亜衣の解体作業は始まったのだった。