第9話 王太子殿下は潜んでいる・後
忘れもしない、ルーリエ侯爵令嬢が初めて王宮に上がる日…の前日。
ルーリエ侯爵の二人の令息が、マクシミリアンとパトリックが庭で遊んでいる所にやってきた。
二人の侯爵令息は非常に賢く、有能だった。
兄のライナスは王城への出仕、弟のハウルはまだ貴族学園の生徒だったが、卒業後騎士団に所属が決まっていた。
また、容姿がとても優れていたので、王城内は大概どこでも(文字通り)顔パスだった。
今日も彼らは、頬を染めた王妃の侍女(お堅いので有名)に案内されていた。
この日までは、マクシミリアンも、純粋にこの兄弟に憧れていた。
二人は、王子達の前に膝を付くと、その美しい顔に笑みを浮かべ、以下のようなことを静かに告げた。
『明日、こちらに伺う予定の僕らの妹は、とても繊細な姿と心の持ち主です』
『少しでも、あの子を怖がらせたり、悲しませたりしたら、たとえ殿下であろうと、容赦はしません』
傍目には、子供二人の前に、目線を合わせて話してくれる優しい貴公子達で、周囲にいた侍従もメイドも、その光景を微笑ましく見ていた。
もちろん声は届いてない。
まだ8歳と6歳の王子達を、『脅迫』しているとは夢にも思わないだろう。
子供心にも、マクシミリアンは、二人が冗談を言っている訳ではないのが分かった。
パトリックは、二人の圧に押されて声も出ない様子だった。
『では、明日はよろしくお願いいたします』
にこやかな挨拶と共に、二人が離れた途端、緊張の糸が切れたパトリックが泣き出した。
慌てて周りの大人がやってきたが、理由が分からず、『大好きなお兄さん達が行ってしまった』からだろうと、真逆の解釈をしていた。
美しいというのは怖い事だと、王太子はこの時、初めて知った。
翌日、ルーリエ侯爵の連れてきた令嬢は、かわいらしい子だった。
母親が違うせいか、兄二人の面影はまるでなかった。
だが、前日の恐怖が残っていたマクシミリアンは上手く笑えず、パトリックに至っては直視するのも怖がっていた。
失礼なことをしてしまった自覚はあった。
帰り際、悲しそうにうつむいていた令嬢の姿を思い出すだけで、王太子は深い後悔の念にかられた。
だから、何度も挽回の機会を求めたが、おそらく嫌われたのだろう。彼女の参加する席へ、同席できたことはなかった。
一年たち、諦めかけた頃に、令嬢が定期的に聖教会へ参拝しているという話が入ってきた。
王家の魔術師に、髪と目と肌の色を変えてもらい、マクシミリアンはおしのびで聖教会に行った。
彼女に近しい司祭に事情を話し、もう絶対に傷つけないと誓って、初めて話したミルドレッドは、快活で聡明な少女だった。
教会に来ているのも、慈善活動で、自身の余った服飾品を売った代金を寄付しに来ているということだった。
王妃が率先して行っている慈善活動を、貴族令嬢が真似するのは珍しいことではない。
だが大抵形だけで、家から寄付金を出すくらいが普通だ。
司祭見習いとして近づいたマクシミリアンが、『なぜ服を売るのか』聞いてみると、あっさりとした答えが返ってきた。
『だって、一度も着ない服がたっくさんあるのよ?勿体なさすぎるわ!』
マクシミリアンは、軽く衝撃を受けた。
『それに、ドレスや帽子もそうだけど、付いてるレースや小さい宝石の価値が分かるのが、とっても面白いのよ!』
心底、そう思っているのだろう。
ミルドレッドの緑色の瞳は、キラキラと輝いていた。
今までの決して浅くない経験から、女性はドレスや宝石に深く執着するものと信じていたマクシミリアンに、ミルドレッドは新鮮過ぎた。
本当は、ここで身分を明かして、謝罪の言葉を口にして、許されなくともそれで終わるものだと思っていたが…
『…実は僕も、物の値段や動きに興味があるんです』
『そうなの? あぁ、だから司祭様が貴方を付けてくれたのね!』
仲間ができたと嬉しそうに笑う――ミルドレッドは、この司祭見習いは商家の出とか、そんなところだろうで納得し、王太子は、しばらくはこの姿のまま、仲を深めていこうと決意した。
いつか本当の姿で、彼女の横に立てる日が来るまで…
生まれてからそれまで、『王太子らしくあること』だけを指針にして来た彼が、初めて『マクシミリアン』として持った希望だった。
ほどなく二人の関係は、諜報機関から王と王妃、司祭からミルドレッドの二人の兄にと、報告された。
経過観察の後、しばらくは傍観という形で、とりあえず落ち着いた。
それぞれの思惑は、まるで違っていたが。
そして、マクシミリアンがミルドレッドと再会した数日後…
「兄上!僕、あのルーリエ侯爵令嬢と話したんです!ミルドレッド嬢、さっぱりしていてとても話しやすくて、ちょっと助けてもらっちゃた」
てへっと笑う弟へ、どんな顔をすればよいか迷っていると、
「それで、僕考えたんですが…ルーリエ侯爵令嬢って、帝国の皇帝の血を引いているんですよね?」
パトリックは、内緒話を打ち明ける様に、心もち声を潜めてきた。
マクシミリアンは、非常に嫌な気分になってきた。
「だから、僕とあの子が結婚すれば、帝国とつながりができるし、王家の為にもなりますよね!」
僕、あの子と結婚してもいいですよ!と無邪気に言い切る弟に、笑顔を浮かべ、殺意を覚えることになるマクシミリアンだった。
…それぞれの思惑は、
・王→『ワンチャンあるかも…』
・王妃→『いけいけGOGO!』
・ライナス→『…あの子が楽しいなら』
・ハウル→『でも、騙している落とし前はつけるよ?』
な、感じです。
…兄二人が王子ズに会いに行ったのは、単に釘差しです。
…パトリックは兄ズの怖さをさほど覚えてません。
(怖すぎて忘れた)




