第8話 王太子殿下は潜んでいる・前
「やっと、婚約者が決まったんですね!おめでとうございます、兄上」
満面に明るい笑顔を浮かべ、声からも嬉しさを隠していない。
そんな様子で、王太子であるマクシミリアンの執務室に入って来たのは、弟のパトリックだった。
「もちろん、ハンプシャー公爵のアレクシア嬢ですよね。あのように美しい義姉上が出来て、僕も幸せです」
マクシミリアンは、手にした書類を見たまま、淡々とした声で答えた。
「…美しいというなら、パトリック。お前がアレクシア嬢を婚約者にしてはどうだ?」
「とんでもない!兄上の婚約者を横取りするような、そんな真似はできません!」
「大丈夫だ、まだ婚約者じゃない」
事実を告げ顔を上げると、パトリックが笑顔のまま固まったのが見えた。
「兄上…?」
「めでたいな、パトリック。お前の婚約者が先に決まるとは」
早とちりしたことに気づいたパトリックは、あわてて態勢を立て直す。
物憂げな表情になり、城のメイド達から『まるで天使のよう』と熱い視線を送られる、艶のある金髪をかき上げた。
「嫌だなぁ、弟が兄を差し置いて、婚約者を決めるわけには行きませんよ」
「そんなことはない。お前が気に入った令嬢がいるなら全く問題ない、父上も母上も喜んでくださるよ」
笑顔を浮かべ冷たく告げると、パトリックはため息をついて、手近の椅子に腰を下ろした。
「…はぁ、ようやく決まったって聞いたのに」
「誰からだ?」
「侍従達が噂していたと、ナイジェルが」
ナイジェル・リビングストンは公爵家の三男で、パトリックの側近候補だ。
「侍従は噂など立てん。リビングストン公の差し金だろう」
「兄上の婚約者が決まったことに、何の得が?」
「お前に、婚約者を売り込めるだろう?」
パトリックは、ナイジェルのセリフを思い出した。
『兄上が婚約者を決められたのですから、次はパトリック様の番ですね』
始めの方しか聞いてなかったが、確かに何かは言っていた。だが…
「リビングストン公爵家に、女子はいませんよ」
「へリング侯爵家にいる。リビングストンの姉の嫁ぎ先だ」
そういえば、従妹を王宮のお茶会に連れてきていいか、聞かれたことがあった。
「ふーん、そういうことですか」
少し面白くなげに口元を歪めたが、すぐにパッと明るい顔になった。
「そんなふうに思われていたというのは…つまり、僕の婚約者は侯爵令嬢でいいんですね」
卑屈にも取れる言葉だが、声はあからさまに弾んでいる。
反対に、マクシミリアンは顔をしかめた。
「公爵令嬢でも、伯爵令嬢でも構わないぞ」
「僕らと年回りの合う公爵令嬢は、この国に一人しかいません。兄上に譲るのが筋というものでしょう?」
ニコニコと正論をほざく弟を、兄は軽くにらむ。
「兄上、もう十分じゃないですか。ハンプシャー公爵の後ろ盾は、次代の王にも必要でしょう?」
それは否定しないが…
「アレクシア嬢を、待たせ過ぎても気の毒ですよ?」
これには反論できる。マクシミリアンは口の端を上げた。
「それなんだがな、アレクシア嬢は、『王太子の婚約者』になることを望んでいないという情報が入った」
「はぁ…!?」
これには、パトリックも驚愕の表情を浮かべた。
最近では滅多に観ることができない、弟の素の表情に、マクシミリアンは内心でほくそ笑んだ。
「え、まさか…彼女、いつもあからさまに、これ以上ないほど兄上にアピールしていたではありませんか!?」
「その認識は少し古い。この頃では…いや今思えば1年前くらいから、アレクシア嬢は王城を避ける様になっていた」
王妃主催のお茶会でさえ、地味な装いで現れたかと思うと、端の席に座って、話しかけられてもボソボソ返すようになっていた彼女を、怪訝に思った周囲が密かに調べていた結果である。
「そんな…なんで…」
「さあな、理由までは分からん」
理由は分からないが、最近になってある令嬢が彼女と仲良くするようになったという報告が来た。
次代の国王、王太子であるマクシミリアンと、年齢は二つしか違いがないが、第二王子であるパトリックでは与えられる情報が違う。
マクシミリアンは手の中にある書類を握りしめた。
彼は、『あの令嬢』に関しての情報は、絶対に弟に渡すつもりはなかった。
「そういうことだ。まぁ、嫌われているなら仕方がない。公爵令嬢はお前に譲ることになりそうだ」
「ま、待ってください!きっと、何かの間違いですよ!」
「ほう、王室直属の諜報機関の能力を、お前は疑うのか?」
「そ、それは…」
王室直属の諜報機関は、『影』とも呼ばれる。
緩い調査結果を届けようものなら、物理的に首が飛ぶ部署だ。
第二王子にも、その辺は叩き込まれている。
「お前に、都合の良い情報を伝える子供と一緒にするな」
一刀両断して、マクシミリアンは話を終わらせた。
何かの間違い…マクシミリアンも最初はそう思った。
ハンプシャー公爵の令嬢アレクシアは、初めて会った7歳の時から、果敢に王太子にアタックしてきた。
もっともそれはアレクシアだけでなく、他の貴族令嬢達、ひいては貴婦人達まで、王太子である自分に媚を寄越していた。
むしろストレートに想いをぶつけてくるアレクシアによって、周囲に群がる女性が排除される場合もあったので、マクシミリアンも彼女を嫌ってはいなかった。
アレクシアは、年周り、身分、美貌全てを兼ね備えた令嬢として、王太子妃になるのは自分だと、全く疑ってなかった。
王宮では、殆ど誰もがそう思っていたが、別の令嬢の名を上げる者もいた。
「ルーリエ侯爵のお嬢様は、前カスケード帝国皇帝のお孫様。帝国との絆を確かなものにするのに、これ程のご縁はありません!」
そう力説していたのは宰相だが、部下にルーリエ侯爵の長男が入ってからは大人しくなってしまった。
王や王妃も、あまり何度も婚約を打診すると、娘を溺愛している侯爵や、『前皇帝の娘』である夫人の反発を買い、逆に帝国に悪印象を与えかねないので、強くは出られない――が。
本音を言えば『前皇帝の孫娘』を、是非とも王家に迎えたいと思っている。
「やはり、あの兄弟だな…一番の障害は」
一人になった部屋で、ポツリと王太子はつぶやく。
彼は冷静に、敵を見定めていた。
この時点で、
・マクシミリアン:11歳(王太子)
・ミルドレッド:10歳
・アレクシア:10歳
・パトリック:9歳(第二王子)
…な、感じです。
…何故、王太子がミルドレッドに執着することになったかは『後編』で。




