第5話 婚約者候補は帝国貴族
帝国の第二皇子は、優雅なソファセットに腰かけていたが、圧迫面接の真っ最中だった。
面接官は、とても美しい二人の青年だ。
穏やかに微笑めば、幼女から老女まで顔を赤らめない女性はいないし、一部の男性も以下同文である。
だが今は、誰であろう目にした瞬間、回れ右をする禍々しい気配に満ちていた。
「クラウス皇子、僕らは君を信用して、あの子と二人でいるのを許していたんだよ?」
「…帝国の皇子である君が、あの子を、『大事な従妹』って言ってくれたからね」
(怖い)
帝国にも恐ろしい人間は、何人もいる。
歴史ある大国の宮廷は、軽く魑魅魍魎の巣だ。
クラウスも幼い時から、笑顔の下で、刃を隠し持っている連中と渡りあってきたのだ。
なのに、今感じるのは、これまでにない恐怖だ。
(これはダメだ)
開始早々に、彼は悟った。
相手は、討伐するのに100人規模の部隊を必要とする『魔物』を、おそらく一人で倒した化け物である。
もう一人も、この国始まって以来、誰も到達することのなかった階位に20歳で到達したチート魔術師だ。
勝ち目のない争いに身を投じるのは、王の役目ではないと教育されている皇子は、がばっと頭を下げた。
「すまない!貴殿らの大事な妹を、不用意に興奮させてしまった」
「殿下!?」
驚いたのは、隣に座らせられていた公爵令息である。
彼の知る、自国の第二皇子は、傲岸不遜、大胆無敵な少年である。
誰を相手にしても、父親である皇帝にさえ、言いたいことは言い、何故か許されてしまう強運の持ち主でもある。
それが格下の、まだ爵位もない侯爵家子息に、頭を下げ謝罪したのだ。
「どうされたのですか、殿下!仮にもカスケードの第二皇子が、軽々しく頭を下げるなど…」
「黙れアロイス。ここはカスケードではない」
頼むから本当に黙っててくれ、とクラウスは心の底から願っていたが、歴代の帝国の忠臣の血を引く子息は黙っていなかった。
「場所はどこでも、帝国の威光に陰りはありません。先ほど、ミルドレッド嬢は、公爵令息の自分にさえ、気を使っていたではありませんか!」
(あ、こいつ死んだな…)
――クラウスは静かに思った。
部屋の空気が一段と、いや三段くらい重くなっていた。
「…ふうん」
(聖教会の云う、地獄から響く鐘というのは、こんな音がするのかもしれない)
さすがにアロイスにも、目の前の男の声は、不気味に響いたのだろう。
体がビクッと震えた。
もう一人の兄の、突き刺すような視線のせいかもしれないが…
クラウスは死んだような目で、口を固く閉ざし、成り行きを見守った。
「ミルドレッドはね、僕らの妹は、自分の価値を軽く見る癖があるんだよ」
「…至高の存在なのにね。困った子だ」
「だがその慎み深ささえ、尊い」
一言一言が、(明らかな妄言なのに)重い…
「アロイス・フーバー公爵令息」
「は、はい!」
名を呼ばれ、皇子の従者(臨時)はあわてて立ち上がった。
「…お父上から、連絡はもらってるよ」
「え?」
「君を、ミルドレッドの婚約者候補にしてくれと」
これは、クラウスも知らなかった。
「…そのためなら、どんな条件も飲むとね」
クラウスは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
フーバー公爵は悪くない、多分。
婚姻に条件を付けるなんて、当然だと思っているのだろう。
金か地位か…普通は、そんなもんだからである。
(フーバーもまさか、自分の息子の命を賭けたとは思ってないだろうなー)
アロイスもそろそろ、自分が何を相手にしているのか分かって来たのか、端正な顔に汗が流れている。
「僕らは、ミルドレッドへの絶対服従を条件にしたかったが、父上に止められた」
良かった。侯爵は正気だ。
――残念ながら、そう思えた時間は短かった。
「…なら、ミルドレッドに、あの子の心身に少しでも害を加えられたら、僕らの好きに処罰でいいか?って聞いたら、それなら仕方ない、って認めてくれたよ」
侯爵ーーーー!
「ねぇ、君。ミルドレッドに気を使わせたって…?」
いーち、にー、さーん…
地獄のような沈黙が流れる中、クラウスは無言で数を数え続けた。
アロイスは、『5』で体を、鋭い角度で折り曲げた。
「申し訳ありませんでした!」
「…何が?」
「ミルドレッド嬢の御心を知らず、つい己の身分を笠に着るような挨拶をしてしまった事を、心から反省しています!」
「そうなんだ」
「はい!」
再び、しばしの沈黙が流れ、やがて、
「…まぁ、いいか」
との声が聞こえて来た。
帝国の主従は、胸の内でほーっと息をはいた。
「まだ、婚約者候補でもないしね」
助かったなアロイス…とクラウスが気を抜いた瞬間、その当事者が口を開いた。
「その事ですが…私を、ミルドレッド嬢の婚約者候補と認めていただくには、どうすればよいでしょうか?」
皇子は自分の幼馴染が、存外に打たれ強いことを知った。
「…何? まだ懲りてないの?」
「次はないよ?」
「もう、決して、ミルドレッド嬢の、御心を乱すような事は致しません!」
一言一句はっきりと、アロイスが発言した。
「私は帝国にて、ご令嬢の絵姿を見る機会に恵まれました。また、高貴な身であるにもかかわらず、孤児の子供を救っているというお話を聞き、ひそかに憧れておりました」
帝国の『ミルドレッド様基金』の出所は皇太后だが…クラウスは、余計なことは言わなかった。
「このたび、実際にお会いすることが出来…私にはこの方しかいない、との思いが募りました。結果、先走り、非礼を働いてしまいましたが、この気持ちに偽りはありません」
(一応、嘘には聞こえなかったが…)
クラウスには、どうしてここまでアロイスが、ミルドレッド(10歳)に熱い思いを寄せてるのかが、分からなかった。
ミルドレッドは、とりたてて美少女という訳ではない。
もちろん、不細工ではないが、普通に『かわいい』という言葉が似合う少女だ。
成長しても、母親のエスタンシア元皇女のように、絶世の美女と呼ばれることはないだろう。
クラウスは、彼女の容姿より、中身を買っていた。
同年代の誰より、話していて楽しいし、賢く、先見の明もある。
そんなミルドレッドの、中身を知る機会もなかっただろう相手に、『この方しかいない』などと言われるのは、あまり面白くはなかった。
「…考えておくよ」
「あくまで『候補』だけどね」
二人の兄の、ほぼ赦しとも取れる言葉に、アロイスの顔が輝く。
「有難うございます!」
クラウスは、面白くなかった。
アロイスを先に立ち去らせた後で、クラウスは二人に尋ねた。
「…ミルドレッドを、帝国にくれるというのか?」
「あの子の気持ち次第だね」
「意外だな」
どこか非難するようなクラウスの声に、長兄は少し笑った。
「…僕らは、あの子の望みを何よりも尊重するよ」
条件付きだろうな、とクラウスは思ったが、勿論口には出さない。
「そうだねぇ…欲しいというなら、帝国の王妃の座だって、あの子の物だ」
次兄は、意味ありげにつぶいた。
不意をつかれて、クラウスの頬がカッと赤く染まる。
「その言葉、忘れないでくれよ…」
誤魔化すようにクラウスが言い捨てると、予想を超える答えが返って来た。
「…ただし僕らもついて行くよ」
「え!?」
「当然じゃないか、あの子が心配で夜も眠れなくなる」
本当か冗談か、彼らの美しい顔からは判断できなかった。
ミルドレッドは欲しい。
しかしこの二人を兄と呼ぶのは…非常に危険な賭けだと彼は悟った。
…帝国は実力主義なので、必ずしも長男が皇帝位に就くとは限りません。