第2話 お祖父様は『前』皇帝陛下
カスケード帝国皇城、奥の院。
便宜上『院』と呼んでいるが、広大な離宮のような佇まいである。
慌ただしく皇帝の座を退いた為、新たな地に隠居場所を建てるのが間に合わなかった、先帝と皇太后が住んでいる。
だが、それから9年たった今でも、彼らはここを離れていない。
新しい御座所を建設する予定は、皇太后の『無駄』の一言で潰えた。
それを聞いたミルドレッドは、
『ロイヤルの二世帯同居ね』
とつぶやいたが、皇帝夫妻の生活圏とこの院の間には、実に町一つ分あるので、ミルドレッドの考えるような嫁姑問題は起こっていない。
「では」
「うむ」
「お誕生日のプレゼントは、きちんと、貴方の分も持って行ってさしあげるわ」
「…うむ」
「送り主を知ったら、あの子に、遠ざけられてしまうかもしれませんけど」
「…う」
「ふふ、去年も愛らしかったけど、今年はまた一段と可愛らしくなっているでしょうね、ミルドレッドは」
「…」
「かわいい盛りの孫娘に会いに行ける幸せを、私…今、噛みしめてましてよ…」
もはや、応えはない。
おーほほほ!という勝ち誇った高笑いと共に、しなやかな動作で旅用のドレスの裾を捌き、帝国最強の貴婦人は立ち去った。
後ろに、顔を赤黒く染め打ち震えている、前の皇帝陛下を残して…
「ベルフォアは何をしている…」
うめくような声は届いていたが、側に控えた侍従は答えなかった。
ちなみに『ベルフォア』というのは、聖教会の大司教である。
「ミルドレッドを、私の孫娘を!この手に取り戻してみせると言い、多額の布施をふんだくったあの者はどこだ!」
取り戻すも何も、ミルドレッドが彼の手の内にあったことなどない。
空気がややヒートしてきたのを読み取って、皇帝時代から目の前の主に付き従ってきた侍従は、白くなってきた頭を下げて厳かに告げた。
「大司教様も、ロータスの別院に働きかけ、彼のご令嬢の、信用を勝ち得るための努力をしていると伺っております」
「聞き飽きたわ!」
「…恐れながら、その働きかけにより、ご令嬢の絵姿を、御手に入れることが出来たではありませんか?」
小宮殿ともいうべき贅を凝らしたこの屋敷の、一番格式の高い部屋に、幼女の肖像画は飾ってあった。
最初、持ち出す際の事情もあり、小サイズだったそれは、今では帝国の高い細密画の技術によって、超特大の、ほぼ歴代の皇帝の肖像画サイズになっている。
これには皇太后も呆れていたが、ミルドレッド本人が見たらドン引くことは間違いない。
「おぉ…見たか、あの愛くるしい顔立ち!我が娘エスタンシアと同じ、美しい金茶の髪、瞳の色は私と同じ緑色という奇跡の愛しい姿を!」
侍従は、恍惚の表情の主を、微笑ましそうに見ている。
ミルドレッドの父親であるところの、バイロン・ルーリエ侯爵の瞳も緑色であることを、侍従は口にしなかったし、これからも決して告げる事はないだろう。
前皇帝には子供が4人おり、長男は現在、皇帝の座についており、次男は宰相として国を支えている。
一番上の長女のアリーシアは、帝国傘下の国の女王となったが、残った次女のエスタンシアを、前皇帝は国外に出すつもりはなかった。
国内貴族に嫁がせ、手元に置くつもりであったが…
留学先のロータスから戻ったエスタンシアは、ひと際美しくなった姿で、無情に皇帝へ告げた。
『お父様、私、生涯をかけて愛すべき人を見つけました。あの方以外何もいりません』
『12も年上!しかも再婚!子持ち!のロータスの侯爵だとぉぉ…ふざけるのも大概にしろ!』
娘の想いを頭から拒絶し、以後妻や息子たちの訴えにも耳を貸さなかった結果、娘は言葉通り、すべてを捨てて隣国へ嫁いでしまった。
後悔しても時は遅く、前皇帝は愛しい娘にも、その娘が産んだかわいい孫娘にも、声をかけるどころか、姿を見ることすら出来なくなっていた。
「お誕生日の贈り物に、カードは添えられましたか?」
落ち着いた主に、侍従は香り高い茶を供しながら、さりげなく尋ねた。
「私からの物だと知らせるわけにはいかん…」
自分からの贈り物など、エスタンシアは捨ててしまうかもしれない、前皇帝は本気で思っていた。
弱々しい声に、侍従は苦笑を浮かべる。
「お手紙を書かれませ、姫様もそれを待っておりますよ」
侍従にとっては、いまでもエスタンシアは、主の『姫』だ。
生まれた時から知っている、彼の姫様は、意思が強く情が強い。
つまりは、良く似た親子なのだ。
主が許してほしい、と思っているなら、姫も思っている筈だと、侍従は知っている。
「…ふん」
だが、ここまで拗れてしまうと、素直になるのはとても難しい。
今年も、前皇帝は愛しい孫娘に、会えそうになかった。
…ちなみに、聖教会に寄付された、前皇帝の多額のお布施は、孤児の学業支援に大いなる力を発揮していた。
また、前皇帝夫妻の為の、新宮殿設立用の莫大な費用も、皇太后の意向により一部がこちらに流れており、密かに『ミルドレッド様基金』と呼ばれ、尊ばれている。
また、肖像画を巨大化した工房では、豊富な資金提供の元の研鑽により、技術が数段駆け上がった。
感謝感激した彼らは、そこそこの大きさのミルドレッドの肖像画(試作品利用)を壁に掛けると、その前に祭壇を設け、「今日も技術が精進しますように!』と毎日拝んでいる。
…お隣の帝国では、ミルドレッドが知ったら『やめてー!』と泣き叫ぶ案件が、幾つも発生しています。




