【キャラは大事だ】
■アマチュアはストーリーを書き、プロはドラマを書く
「ストーリーは面白いがキャラは平凡」
「ストーリーは平凡だがキャラは魅力的」
10人中9人は後者を手に取る。これはみんな物語を読みたいのではなく、物語に出てくる登場人物の生き様を見たいからだ。
ストーリーとドラマの違いは何か? 人間が描けているかというのをよく聞くし、私もそう思う。
人間というか、心の揺らぎみたいなものだ。人間というのは矛盾の塊みたいなもので、普段偉そうに「そこはこうあるべきだ」なんて他人を批判している人が、いざ自分が当事者になったらグダグダになるなんていうのはよくある。
それは、他人事であるうちはドヤ顔で自分の考えを主張するだけで済むが、当事者になると、実行しなければならなくなる。そうすると、様々な障害が目の前に現れる。言うのは簡単。やるのは難しいというやつだ。
また、反対する人達も、言うだけならスルーしていたのが、実行するとなると本気で潰しにかかる。
それらに取り組むとなると。自分の行動で他人に影響を与えたり、結果を自分の責任として背負わなければならない。その現実の重圧に耐えきれなくなり、つぶれるのもいる。
そう思うと、ドラマというのは「登場人物達が思うように行かない現実をどう突破し、折り合いをつけるかの葛藤、試行錯誤を描いたもの」かもしれない。
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■魅力的なキャラを作り出せれば、(商業的には)8割成功したと同じ
読者、視聴者は何に金を落とすのか? いくら理想を語っても、作品が商品として利益をもたらさなければ制作者側が失業してしまう。だから送り手が作品を「売れるか」で見るのはやむを得ない。
では、売れる作品とは何か? キャラクターだ。このキャラのグッズが手に入るのならば金を出すのも惜しくない。そんなキャラを作り出し、そのグッズを出せるようになれば、制作者側は利益を手にすることが出来る。利益を出せる作品を邪険に扱う会社はない。
出版社は慈善事業としてあなたの作品を書籍化するのではない。自分たちが利益を得られると思うから書籍化するのである。
自作を書いたら考えてみよう。
この作品のキャラたちは、お金を出しても手にしたい/新作を見たいと思わせられるキャラなのか?
キャラは金ヅル、人気キャラは札束と思え(おい!)
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■ブロット通りにはいかないのが当たり前
プロット。物語の設計図みたいなもので、人によって大雑把な流れだけしか作らない人もいれば、字コンテと呼べるぐらい事細かに書く人もいる。私は字コンテ派である。
小説でも漫画でも、まず本作ではなくプロットを提出させ、OKが出たら執筆にかかる。
小説で1、2冊出して消えるという人のほとんどは、次が書けないのではなく、次用に提出した数十本のプロットが全て没になり、いつまで経っても本編を書かせてもらえず、ついに気力が尽きて筆を折るらしい。……私がそうだった。
さて、プロットで大雑把な流れを作り、いざ書き始めると……あれ、話がプロット通りに進まない。というのがよくある。
それは、プロットの時点では作者はまだそのキャラクターをよくつかめていないからだ。
「このような状況ならば、このキャラはこう動く」ではなく
「こんな話にしたいから、このキャラはこう動かそう」なのだ。
だから、書いているうちにキャラクターが解ってくると、肝心の場面でキャラが予定とは違うことをし始める。キャラが勝手に動くと呼ばれる現象だ。
人は誰だって初対面の人のことはわからない。作者だって、作ったばかりのキャラのことはよくわからないのだ。