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薬師の行方  作者: きしの
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薬師BCE 02

 森を焼かれたのは町へ出ていた時だった。前回増産してくれと頼まれたポーションは、言われた通り量を増やしたにもかかわらずいつも以上に高く売れた。需要と供給のバランスが崩れ始めているらしい。言い値で買おうなどと言われる前に住居を移す必要がある。軟禁生活はごめんだ。果物を多めに買って、布地も選ぶ。用事も済ませてさあ帰ろうと言うときに誰かが叫ぶ。


 ――西の森から火の手が上がった!


 それだけならまだしも、炎は町のほうまで迫ってきているらしい。男衆が火消しに向かうも、森と町の境目から燃えるものを撤去、要は木々をなぎ倒して何軒かを破壊することは、さすがに不可能だったという。


 町の中心部に情報が届くころには町にも炎が迫っていた。住民全員が混乱の渦に巻き込まれ、避難は困難を極める。

 イーフィネイアは途方に暮れた。このまま東にある自分の森へ帰っても、きっとすぐに火の手は追ってくるだろう。大切なものはすべて家の中、炎の餌食だ。と言っても手元にロバがいたのは幸い。日頃荷を積むためにしか使っていないので足の速さには少々の不安がある。それでもイーフィネイアは炎から遠ざかるべくロバに乗った。自分で歩くよりは速いのだ。


 いつだったか冗談のように口にしたことが現実になり、背筋が震える。風変わりな森にいた彼女、クレメンシェトラは言った。自分の森は護られているから大丈夫なのだと。住むところが無くなれば自分のところに来ても良いのだと。言われたときにはその気はなかったが、いざ本当に家を失ってしまうと、少しの間厄介になってもいいだろうかという気持ちが芽生える。きっとあの子は歓迎してくれるのだろう。しかし彼女が住むのは西の森。今現在燃え盛っている方向だ。さすがの彼女も駄目かもしれない。


 どう考えてもこれは大災害ではないのだ。作為的に発生させられた山火事。ウェリデナが一般人もろとも術士を焼き尽くすための炎。そこまで乾燥していない時期に火がここまで広がるということは、本来あり得ないのだから。


 進路も退路も既に閉ざされている。ただ闇雲に、炎に侵食されていない場所を走る。


 その日からは野宿を余儀なくされた。見知らぬ緑の森は、しかし森独自の静謐さを感じさせない。やがてここも燃える。動物たちは本能で感じ取っているだろう。

 ロバに水をやりたかったが川は濁っていた。乾いていないということは干上がってはいないのだろうが、上流でなにかが起こっているようだ。ロバは気にしていないようだったが、イーフィネイアが泥水を飲むと腹を下すのは考えるまでもない。町で購入していた果物を服でこすってそのまま齧る。


 炎は三日三晩燃え盛り、やがて鎮火した。いざ町に戻ってみればそこには、何も残ってはいなかった。


 広大な焼け野原。一面に転がる瓦礫が、かつてそこに町があったことを静かに語る。

 イーフィネイアはロバから降り、手綱を引いて探索を始めた。焼け焦げた瓦礫はどれも真っ黒だ。長時間高温にさらされていたことが一目で分かる。ただひたすらに黒ずんだ煉瓦たちからは、生活感も何も感じない。建物が一軒残らず倒壊するほどの熱風あるいは炎の威力。ウェリデナの執念はやはり異常だった。


 若干の湿り気を含んだ空気が頬を撫ぜ、ふと顔を上げる。天と地の境界がくっきりと目に留まった。

 イーフィネイアが地平線を見たのは、これが初めてのことだった。木々や建物に隠されていたそれがいま、暴かれている。イーフィネイアと地平線の間を遮るものは何もなく、呼吸によって僅かに空気が振動するのみだった。


 きっと広大な草原であれば感動しただろうが、更地になったかつての住処を見ても感慨を覚えることはない。沸々とこみ上げる怒りは、すべてを奪い去ったウェリデナに向けられたものである。


 消えた町に術士が住んでいたのか、イーフィネイアには分からない。術士を排除するのだと謳っておきながら結局は無差別殺傷ときた。一般人に関してはもとより言及されていなかったが、術士排除に疑問を示す一般人もいる中でこのようなことをするのはどうかしている。術士の何がそんなにもウェリデナ王の気に触れるのかは分からない。イーフィネイアの知る彼らは驕ることなく、実に慎ましく暮らしている。皆で手を取り合って暮らすこと。これのどこに問題があるというのか。


 術士を抹殺すると言うのならば、すべての人は職業ごとに異なる国に住むべきだ。ユノスは術士以外も受け入れているが、腹の底では何を考えているかは知れない。すべての国が決断を迫られていることだろう。ウェリデナ寄りか、ユノス寄りか、はたまた術士に無関心、すなわち中立の姿勢を貫くか。


 情勢は目まぐるしく変化する。果たしてクレメンシェトラは生きているのだろうか。不思議な森に住み不思議な力を持っているので、今回のことは事前に察知して乗り切ったと信じたい。それでも目の前の光景は、一抹の希望でさえ蹂躙するかのようだった。


 現実というのは残酷で、いつまでも干渉には浸らせてくれない。空っぽの胃をなでおろして、イーフィネイアはひとつ、溜息をついた。これからの生活はかなり厳しくなるだろう。一文無し同然になった人間のできることというのは限られている。住所不定無職その日暮らしのなんと心細いことか。しかし手に職や知識があればその限りではない。幸いにもイーフィネイアには薬草に関する知識があった。伊達に薬師を名乗ってはいない。


 薬師。彼らは術士にも連なる人々だ。薬師にも術士の真似事をする者はいるが、薬師の真似事を術士がすることはできない。薬師は体内の魔力を周囲の環境と同じ濃度にすることができるのだ。それによって自然とほぼ一体化する。あまりに(むら)がないと周囲は薬師の姿を認識することができない。そうして人々の目を欺いてきた。術士と薬師の区別もつかない愚かな人間、高品質な薬を独占するために薬師を支配しようとする傲慢な人間。薬師は何物にも囚われないというのに。


 彼らの能力は遺伝しないため、自ら弟子を見つけて後継者を育てる必要がある。浸透圧の要領で魔力の濃度を変えることはある種の才能なのだ。しかし薬師の名称は一般人には知られていないため、理解を得るのも一苦労。それでも薬師は人類存続のために、己の技術を繋いでいく義務と責任がある。謙虚に、誠実に生きなさい。彼らの師は皆、口をそろえて言った。隣人を愛する必要はありません。しかしすべての人を平等に扱いなさい。驕ってはいけない。そのほかにもいくつか決まりがあった。


 師にも各々の師がいた。伝え方に差異こそあれど中身は同じ。彼らは薬師のすべてを師より受け、弟子に継ぐ。そのまた弟子もいつか師となり継いでゆく。血の繋がりよりも尊いものがそこにあった。


 もちろんイーフィネイアにも師がいた。彼はなかなか弟子を取ることができず、イーフィネイアが弟子となった頃には若干認知に問題を抱えていた。


『薬師なしに人々は魔物と戦えない。真のポーションを製作できるのは薬師だけで、他の人々が作るものは、ポーションと同じ味をした気休めの飲み物に過ぎない』


 彼女の師はポーションに関しては余すことなく知識を授けた。それ以外は彼の家に積まれた書物から読み取るほかなかった。同じ教えのみを受ける日々。ゆえにイーフィネイアは薬師として不完全である。それでも幸運にかイーフィネイアは驕ることなく誇りを持って生きていたし、薬師であることは秘匿すべきだと認識していた。事実それは正しい。薬師は常に中立の立場に移動し続けなくてはならない。薬師の恩恵を受けられるものが限定されていはいけない。


 そういうことで、イーフィネイアはひとまずどこかの町に移動する道すがら、採取をすることにした。使える草とそうでない草、知識の伝授も薬師の義務だ。一見雑草でも薬師の目には宝に映ることだってあるだろう。手元にある金で道具を買いそろえてポーションを作れば、当面の生活には困らない。意外と間に合わせの道具でもポーションは作れるものだ。


 住むところが整えば他にも道具を揃えて。そうして以前のような暮らしを取り戻す。今度はクレメンシェトラの気さえ進めば一緒に暮らせばいい。彼女は目立つ外見をしていてなおかつ薬師だ。自分が持てる知識を時間の許す限り与えたし、本人の資質も素晴らしい。あまり言いたくないことだが顔だけでも食べていける部類の娘。珍しい少女の噂は離れた町にも届くだろう。


 あるいはやがてあの土地も誰か生き残った人々が戻ってきて、以前のような活気を取り戻すかもしれない。そうすれば風の噂で聞きつけて、彼女は自ら戻ってくるのではないだろうか。しかし浮世離れした彼女があの町の名前を知っていた保証はない。ともかくクレメンシェトラと再会できたときに、今度は自分が菓子を振舞うのだ。目標が決まればあとは早い。イーフィネイアは荒れ地の向こうを目指して歩を進める。全財産は自身の知識とロバ、そして生活費に充てるために得た少々の金子。


 人生はまだまだこれからなのだ。手元に残ったものを活かすも殺すも自分次第。イーフィネイアは唐突に与えられた試練に奮えた。

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