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薬師の行方  作者: きしの
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薬師の棲む森01

 この森に棲む少女と知り合ってから、早いものでもう三年が過ぎた。

 ここはいつ来ても鬱蒼としていて、けれどもほのかに明るい。生い茂る木の葉の隙間を縫って降り注ぐ光だけではないだろう。この森そのものが薄く光っている気がする。

 絨毯よりも柔らかな苔、人間の背丈ほどもあるきのこ、ぐにゃりと曲がった不思議な木。ぽむぽむ跳ねる真っ白い毛玉に、青や赤や黄色の極彩色をまとった小鳥もそろそろ見慣れた。


 風変わりなこの森で、彼女はひとりひっそりと暮らしている。商人が通ることもない、神秘に包まれた未開の森。

 一歩進むたびに柔らかな地面に足が沈み込む。雑草も何も生えていない、しかし一切踏み固められていない腐葉土。振り返ると道は私が進むたびに閉ざされていく。私のためだけの獣道。

 くるぶしほどの丈の細いきのこが、道の脇に綺麗に整列しているのを眺める。淡く白く発光して、風もないのにふよふよと左右に揺れる。可愛い。

 ふと目をやった先の細い木にはグミの実にも似た、宝石のような果実が生っている。あれは食べたことがある。口の中でみずみずしく弾けてねっとりと甘い至極の味。

 ここでしか見られない生き物たちを目で追いながら歩みを進めれば、目的地なんてあっという間だ。


 森でひときわ立派な巨木の上に、彼女の家はある。しかし用があるのはこちらではない。すぐ近くを流れる川のすぐそばの水車小屋。あの子の作業場だ。

 蔦に覆われ屋根に苔やきのこの生えたその小屋は、しかし今にも朽ち果てそうな外見に反して中は清潔で快適である。軽くノックして戸を開けた。

 彼女は作業台に様々な葉っぱを広げて、選り分けていた。かなり集中していてこちらには気が付きそうにもない。


「久しぶり」

「……うん」


 私の声に顔を上げると、クレメンシェトラは目の間をもみほぐす。表情の変化が乏しいせいで、相も変わらず何を考えているのかよくわからない。少なくとも歓迎されていないわけではないことは確かだ。彼女はいつもこうなのだから。


「そういうのは採取の段階で分けるべきね」

「そうかもしれない」


 クレメンシェトラはおもむろに立ち上がって、備え付けの戸棚のほうに行った。柔らかい光を反射してきらめくガラスの入れ物は、いつ見ても綺麗だ。奥の部屋から響くからからという音を聞きながら、少し不安定なスツールに座って待った。

 机の上に残された葉を摘んでみれば、何やら甘い不思議な香りがする。この森独自のハーブのたぐいなのだろうか。乾燥させてポプリに、もしくは菓子の香り付けとして売り出せば、きっとすぐに在庫がなくなるだろう。蒸留なり圧搾なり、適した抽出法を調べて香水を作るのもありだ。


 再びこちらに戻ってきたクレメンシェトラは香草を袋に詰めて片付けた。机に皿と器が並び、クレメンシェトラが私の正面、元居たところに腰掛ける。それを見計らって私はどんぐりのような見た目の、さくさくした木の実を一つ口に運んだ。


 彼女が私に振る舞うものは、決まっている。砂糖とはちみつで漬け込んだ不思議な果物に、特別大粒の珍しい木の実。紫にピンクにオレンジ。あの小鳥のような原色の果物は、その毒々しい見た目に反して爽やかな味がする。とても美味しい。果物を漬けたシロップは希釈してジュースに。

 明らかに保存食だ。私にだなんて勿体無いと断るけれど、いつも必ず出してくれる。材料を貰ったことがあるけれど、同じ味にはならなかった。ここに来た時のささやかな楽しみとなっている。もちろん貰ってばかりではない。忘れないうちに私からの品も出す。


「果物?」

「そ。皮とその中の白いところは苦いからね」

「ありがとう。楽しみ」


 今日持ってきたのは数種類のマーマレードと未加工のレモン。鬱蒼としたこの森では柑橘類は育たないだろう。乾燥地帯からもたらされる果物は、きっとクレメンシェトラを楽しませるに違いない。俗世から離れて暮らす私のお金の使い道など、その程度だった。


「そんなことより今日も道作っといてくれてありがと。助かったわ」

「迎えに行くのは面倒だもの」


 もはや慣れたものだ。


 初めてここへ来た日のことを思い出す。あの時私は、とあるきのこを探していた。私の師もかつてそれを求めて、ありとあらゆる森に潜ったと言っていた。何に使うのかは聞いていないそれを唐突に思い出して、どうしても欲しくなってしまったのだ。

 きのこ類は大抵保存が効く。そうでなくても新しい薬の研究材料にするため、私は一つ町を挟んだ隣の森の奥を散策していた。


 春の柔らかな日差しも深い森には届かない。薄暗い中、きのこの生育条件に当てはまりそうな場所を目指してひたすら歩く。師はそのきのこをどこで見つけたと言っていただろうか。師は本当に見つけたのだったか。足元ばかり見ていて、少々注意力散漫だったことは否めない。急にあたりが明るくなったと思えばそこは、未知の生き物で溢れた空間だった。


 ささやかにきらめく川を泳ぐ魚も、木々の隙間から私を窺う動物たちも、私が知っているそれらとは随分かけ離れた見た目をしていた。木々にも花々にも、この森にあまねく満ちるすべてのいのちあるものに総じて言える。

 いくら肝が据わっている人間でも、不可思議な生き物を見て冷静には居られまい。若干の好奇心と、それと同じだけの恐怖心。私はすぐに森から出ることにした。けれども通ったはずの場所を辿っても出ることができず、途方に暮れたところに現れたのが彼女だ。


「貴女は魔物ではないのに、どうしてここにいるの」


 空気が震えて彼女の声が私の耳に届く。巻かれた布地を広げるように。水面が波紋を描くように。捉えどころのない静かな声が、私に。


「迷子になってしまったみたいで」

「この森は人間が過ごすには向いてない。案内するからすぐに出て行って」


 なるほど、たしかにここは大気中の魔素の濃度が高い。きっと普通の人は圧迫感を覚えることだろう。

 しかし私は薬師。体内の魔力の濃度を変えれば息苦しさからはすぐに解放される。それでも森の一部だけ魔力が不自然に濃いのは、依然として不気味だ。人間が過ごすのに向いていない森にいるのならば、只者ではない。興味の対象を目前にして引き下がれる私でもなく、好奇心に負けてしまった。


「あなた、薬師なの?」


 私は同業者に出会ったことがない。本来薬師は師を通じて縦横の繋がりを得るものだが、私の師は私にすべてを教えることなく天に召された。もし彼女が薬師ならば、私は欠けている知識を確認することができる。薬師の情報網に加わって、世界の情勢をいち早く把握できる。

 私は若干の期待を込めて彼女を見た。


「……薬師」


 私の言葉を復唱して少女は首を傾げる。その拍子にさらりと白銀の髪が流れる。白髪でも銀糸でもない不思議な髪。プラチナブロンドと呼ぶには輝かしい色合いだ。ビスクドールのごとき白さと滑らかさを備えた肌にとてもよく合っている。それでいて人間のような仕草を取るので、等身大の人形劇を見ているようだった。


「それなら……ねえ、もしよかったら私の弟子にならない?」

「私が、貴女の弟子に」

「そうよ。あなたには素質があると思うの」


 なりたくてもなれないのが薬師だ。私たちに必要なものは多すぎる。天賦の才とたゆまぬ努力、不屈の心に向上心、エトセトラ、エトセトラ。ゆえにいつだって人材不足だ。


「薬の調合を覚えてみない? 水薬(ポーション)でも粉薬(パウダー)でも丸薬(タブレット)でも、何でも」


 私たちは弟子を取って技術を継承していく。そして影で人々の営みを支えてきた。薬師であることは私の誇りであり、生きがいである。


 私は絶好の機会を逃したくない。弟子を取ることも薬師の義務だ。薬師たちが歴史の裏で粛々と受け継いできたことを、一滴残さず継承するには師弟が共に過ごす時間は多い方がいい。

 こうして話しているあいだにも私の命は削られている。いつか迎える終わりの日までに私は弟子にすべてを教える義務がある。それが明日か、十日後か、はたまた三十年後かは分からない。

 だから私は勧誘する。薬師としての義務感よりも、薬師としての誇りから彼女を勧誘する。


「薬を作って、売る。たまに相談にも乗る。症状に合わせた薬を作れるのが一番いいけど、まあ概ねそんな感じなのが薬師……どう?」


 頭痛、吐き気、不眠、倦怠感、その他あらゆる不調。薬師は本来町に住居を構えて、そういった人々に薬を与える。私は町に住むのに向いていなかった。一般的な慣習に囚われて生きるのは窮屈だ。私は信仰を持たないし、女だてらに文字の読み書きだってする。

 少女はしばらく考え込んで、それから静かに呟いた。それは風のささやきにも似ていた。


「……私は薬師にはなれない」

「そっか」

「ここを長く離れることはできないから」


 でも少し話は聞きたいかもしれない。そう言って彼女は私をこの小屋に招いた。

 隠された森の管理人。本来ならば彼女が客人を向かえることはない。私は極めて異例の存在だった。

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