張込み
晃一は早稲田署に設けられた捜査本部に電話を入れた。
『ああ、西脇さん、娘さんから何かありました?……は?お孫さんを西口地下に?なんすかそれ?』
電話を受けた刑事には状況が掴めていない様で、捜査本部長の田川順之助がその電話を奪い取る。
『西脇さん、失礼しました。本部長の田川です。渚ちゃんはお母さんは約束を破らないから絶対来ると言ってるんですね?分かりました。西口交番にも連絡して私たちも全面的に協力致します。』
電話を切った田川は、千波を呼んだ。
『中田くん。渚ちゃんがママと約束したからと言って明日から新宿駅の地下で西脇容疑者を待つそうだ。君も行ってくれないか?』
『渚ちゃんを囮にするんですか?』
『いや、これは渚ちゃんから言ってきた話なんだ。西脇さんたちも、娘を早く逮捕してほしいと言っておられるし、便乗するだけだ。』
警察側から囮になってくれと言うのは問題だが、容疑者の家族からの申し出なら言い訳が立つ。
『これで梓容疑者が現れてくれれば思う壺ではないか?』
『……分かりました。明日の11時からですね。』
千波は完全に納得はしていないが、田川の命令に従った。
『一緒に君塚くんも行くから宜しく頼む。』
所轄の千波とは違い、君塚は警視庁の捜査一課である。
刑事としてはまだひよっ子の千波にとっては神様の様な人物のはずだが……。
『早稲田署の中田千波です。今日は宜しくお願いします!』
『なかちゃんね、頑張って。』
『……なかちゃん?』
翌朝千波が挨拶に行くと如何にも他人任せといった塩梅だ。
『ま、のこのこ出てくる様なら最初から逃げねぇだろうから気楽にやんべぇ。』
『……そうかもしれませんが、万一現れたら?!』
『そんときゃ捕まえれば良いだけだろ?』
捕まえるといっても乗降客世界一の駅である。
雑踏の中を追いかけるにはかなりハードだ。
『なかちゃんさ、頭を使いなさいよ。俺がどうして刑事になりたいと思ったか分かるか?』
『い……いえ。』
君塚が刑事を志した動機なんて知る訳がない。
『ほれ。』
君塚は千波に紙袋を投げた。
『これって……。』
中には銀座に本店がある老舗店のあんぱんと牛乳が入っている。
『俺はあんぱんを食べながら張込みがしたかったの。なかちゃんもテレビで見た事あんだろ?』
『あの……張込みといったってテレビの刑事ドラマの話ですよね。実際にあんぱん食べながら張込みしたなんて先輩から聞いた事ありませんよ。』
『ばかやろ。俺は形から入るの。気分が乗ると見えないものも見えるんだよ。』
千波には君塚の言葉が理解出来ない。
『いいか、ホシは娘に直接会わないまでもきっと戻ってくる。』
『ホントですかぁ~?』
のこのこ出て来ないって言ったのに、必ず来るって一体どっちなのかと千波はツッこみたくなった。
『ここはどこだ?』
『新宿駅です。』
『なんで西脇梓は娘に真っ赤な……。』
『ロリータ服ですか?』
『そう、そのロリータ服だ。なんであんな目立つ服を着せたか分かるか?』
『渚ちゃん、取り調べの時一番好きな色と服だって言ってましたけど……。』
『違う!』
なんでこんな禅問答みたいな事をして怒られなければならないのか?
千波はますます君塚の事が分からなくなった。
『良いか、この雑踏の中で目立つ格好をすれば遠くからでも確認出来るだろ?直接会う事が出来なくても遠くから見て娘の成長を確認したい……そのためにこの新宿駅を選んだとは思わないか?』
『あ。』
(ばかかと思ったけど、やっぱりこの人捜査一課の刑事なんだ!)
千波は今まで君塚を疑って見ていた事を反省する。
『なかちゃんが西脇梓だったら、どこに行く?』
西口の地下は柱が多く、開けた場所は意外に少ない。
『ここですね。』
千波が見付けたのは、イベントコーナーの右斜めの柱隣で、渚の立つ位置から150メートル先の真っ正面の場所である。
『そうだ。ここならJR、京王、小田急、都営地下鉄の何れの改札も遠くなく、階段を上がればバスロータリーにつながる道路にも出られる。女性の足でも人混みに紛れて逃げるのは容易だ。』
『じゃあ、ここで張ってればという事ですね!』
『まあ、そうそう網に引っ掛かりはしないだろう。』
(だからどっちなの?)
『なかちゃんさ、今はパソコンで解析したり捜査もデジタル化しているけどさ、俺たちおっさんは昔ながらの足で稼ぐのが刑事の仕事だと思っているんだよ。西脇梓は娘を溺愛して暴力を振るう愛人の敷田から娘を守った。逃げていても娘の事は気掛かりで仕方ないと思わないか?』
『は……はい。』
『何ヵ月先か、何年先か分からないが絶対西脇はここに来る。だからお前は娘がずっと待っていられる様廻りを固めろ。』
渚が待っていればいつかは梓が現れるかもしれないが、肝心の渚が諦めては意味がない。
『君塚さんってご家族がいないって聞きましたけど、よく親子の気持ちとか分かりますよね。』
『ああ、カミさんと子どもには愛想を付かれて逃げられちまったけどな。』
千波は君塚のその言葉で納得した。