母の味
『どうしました?』
両親と別れて、梓は寂しさを隠せない。
『……出来れば一緒に八王子に帰って渚に会いたかった。』
『お気持ちは充分分かりますが、やはり梓さんが八王子に行くと目立って余計な噂が流れると思います。本当は卒業式もどうかと思いますが、晃一さんたちの希望もありますし、学校とは連絡を取り合って細心の注意を払いますから少しだけ我慢して下さい。』
このみはハンドルを握りながら梓を諭した。
『ただいま戻りました。』
『お帰りなさい。』
工房には全員がそれぞれの仕事をしていたが、萌絵以外はみんな手を止めた。
『みなさん、紹介します。来週からうちで働いてくれる西脇梓さん、渚ちゃんのお母さんです。』
『……西脇です。宜しくお願いします……。』
みんな歓迎をしてくれたが萌絵だけは後ろを向いたまま手を休めない。
『萌絵さん!』
やはり受け入れてもらえないのかと梓はたじろぐ。
『すみません。八木萌絵さんは職人気質っていうか、いつもあんな感じなんです。肩書きは専務なんですけど……。』
『もともと喋らない人だけど、根は悪くないから気にしないで。慣れるまでは私が[通訳]するから。私は菊地奈々。萌絵の伴侶。』
『伴侶……ですか?』
奈々の言葉に梓は目が点になる。
『同性パートナーってやつなの。腐れ縁とも言うわ。宜しくね。』
『奈々さんと萌絵さんがデザイナーなんです。この二人は高木健介さんと知香さんの同級生で私の先輩です。』
今の話だけでLGBTがこのみを含めて4人もいるとは刑務所よりカオスな関係だと梓は思った。
『なぎちゃんももう二人に懐いているし、大丈夫ですよ。』
このみはそう言って、他のスタッフを紹介する。
『あ、このみちゃん。お母さん来てるわよ。』
『え?こっちは良いって言っているのに。』
実家には今日梓が出所する話はしていたが、まさか母が来るとはこのみも思っていなかった。
『お母さま!』
『お帰りなさい。冷蔵庫に何があるか分からなかったから、トンキでいっぱい買って来ちゃった。』
康子にとってはここが実家で、忙しいこのみのためにたまに料理を作りに来る。
『もう!』
『聞いた話だと、刑務所の食事って薄味だから、突然濃い味の料理を食べたら良くないみたい。今夜は少しだけ濃くしておくから。こうちゃんたちには薄いでしょうけど我慢してね。』
『……あの、西脇梓です。この度はお世話になります。……私もお手伝いさせて戴けませんか?』
さすがに梓も何もしない訳にはいかない。
『疲れたでしょうから今日はお部屋で休んでいて下さい。私は明日までいますから。』
康子も引き下がらないので、梓は甘える事にした。
『じゃあ、お部屋を案内します。』
このみはエレベーターで梓を2階に案内する。
『右側がなぎちゃんの部屋、左が梓さんの部屋になります。』
『渚の……。』
梓は何もない自分の部屋ではなく、渚の部屋に入ってみた。
『渚の……匂い……。』
月に1・2度とはいえ、だいぶ私物が運び込まれた部屋は渚の温もりを感じる。
『なぎちゃん、お母さんが来たら見せてってアルバムを預かってます。見てあげて下さい。』
刑務所には手紙と共に渚の写真も送られて成長の度合いは分かっていたが、友だちや他人が一緒に写っている写真はなかったので、友だちやクラスメイトたちとの写真を見るとほっとする。
(苛められたりしていない様で良かった。)
梓が殺人の罪で服役中という事が学校中に知られているというのは彩子から聞かされているが、渚からの手紙を読んでも友だちと仲良くやっているというのを渚が梓を心配させないための嘘ではないかと半信半疑だったのだ。
『私は学校でのなぎちゃんの様子を直接見てはいませんが、大丈夫の様ですよ。』
渚の明るさを見ていると、学校で苛めを受けたりしてはいないとこのみは確信している。
『この子、楓ちゃん……。』
ページを捲ると渚と楓のツーショット写真が何枚も出てきた。
『知香さんと健介さんのお子さんです。里子なんですけど、似ているでしょう?』
確かに高木夫妻に似た感じはあるが、睦月にもよく似ている。
(やはり睦月ちゃんの子……。)
楓が睦月の実の母親と確信をしたところでインターホンが鳴り、康子から食事の準備が出来たと言われた。
『梓さん、行きましょう。』
食堂は全員が座ると少し狭いが、このみは出来るだけみんなで食事を摂ろうと決めていて、家庭がある陶子は帰宅していたが、ひよりと五月、星花は残っている。
放っておくと萌絵あたりはいつまでも仕事の手を休めないからだ。
『萌絵~、ごはん~!』
奈々が叫んでようやく萌絵が来た。
『いただきます。』
『ごめんなさいね。いつもより薄味だけど。』
康子が大皿をテーブルに出しながら謝る。
若い星花は少し物足りない様だが、文句は言わない。
『このみちゃんなんか、たまに塩ぶちまけちゃって凄く塩っぱい時があるけどね。』
普段の食事はこのみかひよりが作っている。
『一回だけじゃない。中蓋が取れちゃったの。』
梓は食事がこんなに楽しいものだと感じたのはいつ以来だろうと思っていた。