悲しき誕生日
君塚は渚の誕生日を前に本部長の田川に当日の張込みを増員する様要請した。
『西脇梓は甲府のスナックを出て、行く当てがないかもしれません。週刊衆文を読んで、娘の事が気掛かりなら西口に現れる可能性は大きいと思います。』
『なるほど。前回の汚名は晴らしてくれよ。』
君塚は痛いところを付かれたが、今度こそ梓を逮捕する気満々である。
その時、本部の電話が鳴った。
『本部長、西脇晃一さんから電話です。』
『はい、代わりました。……お世話になります。……そうなんですか?……分かりました。うちも今君塚から明日の捜査員を増やす様に言われて全力で当たるつもりです。……え?週刊衆文の記者が?……はい。』
田川が電話を切った。
『衆文の記者がどうしたんですか?』
『渚ちゃんの友だちの親がこのあいだの記事を書いたんだそうだ。晃一さんから西脇梓を逮捕する時に取材の許可を求められて了承したが、悪かったかな?』
『ほう、面白くなりましたね。もしかすると記事を見て他のマスコミも張るかもしれないので衆文以外は排除させましょう。』
当日、晃一・彩子夫妻と武司は渚と美里を連れ、西口地下交番にやって来た。
『どうもお世話になります。』
渚の赤いロリータ服に合わせて、美里も生まれて初めてのロリータ服とコートを着ている。
『渚ちゃん、寒くない?』
渚はここに来るまではコートを着て来たが、案内板の前に立つ時はコートを脱いでワンピース姿になったが、身体中には複数のカイロを忍ばせている。
『大丈夫。』
クリスマスが近い事もあり、周囲は赤い装飾が多く、渚の赤いロリータ服はそれに溶け込んで普段より目立たない気がする。
『なぎちゃん、お友だちも一緒にちょっと来て。』
時間前、まつりが渚を交番の奥の部屋に手招きし、渚は美里と一緒に入ると、小さなケーキが用意されていた。
『誕生日おめでとう。お腹が空くから今のうちに2人で食べてね。』
春彦とまつりからのお祝いを受けて、渚は美里と共に案内板の前に立つ。
案の定、姿を見せた渚を捉えようとするマスコミが何社か見受けられるが、配備された捜査員が捜査の邪魔になると排除した。
カメラを構える武司の前にも千波が再び寄ってきて、武司は逃げようとする。
『和田さん、待って下さい。和田さんはずっといて下さって結構です。』
前回は追いかけられたが今日は様子が違う。
『先日は失礼しました。西脇晃一さんからの要請も聞いています。今日はこの場所で一部始終を取材戴いて大丈夫です。』
『これで西脇梓が来てくれたら、あんたお手柄だよ。警察からは何も出ないがな。』
まさに雨降って地固まるである。
武司は一時は娘に嫌われてしまったが、刑事に感謝されるまで復権した。
張込んでいる捜査員は梓が現れたら連絡をするが、張り込みに気付いて逃げた時以外は渚の見える位置に来るまで手を出さない事になっている。
1時を過ぎたが、まだ梓は現れてはいない。
『渚ちゃん、いつもここでママを待っていたんだね。』
渚と同じ視線で見ている美里は、渚が今までどんなに寂しい気持ちで母を待ちわびていたのかが少し分かる様な気がした。
『課長、現れました!』
午後1時38分、遂に梓は渚のもとにやって来た。
『よし。そのまま引き寄せろ!逃げる気配があったら確保しろ。』
君塚の指示で、張込みをしている捜査員たちに緊張が走る。
渚は耳は美里の話を聞きながら、目は真っ直ぐ前だけを向いていた。
『ママだ!』
『え?』
渚と梓の間は直線距離150メートル。
最初に千波が指摘した場所だ。
君塚と千波は梓に向かってそれぞれ左右斜め後ろから近寄る。
『西脇梓さんですね。』
JRや私鉄の改札口に向かう方角や前方の渚がいるまでの柱に隠れていた捜査員が回りを固め、袋の鼠状態になった。
『敷田啓吾さん殺害の容疑であなたを逮捕します。』
千波が伝えると、梓は抵抗をしないで両手を差し出した。
『13時46分、容疑者確保。』
君塚が無線で連絡し、一気に捜査員たちの緊張が緩む。
『今までご迷惑をお掛けしました。』
『渚ちゃんに会いますか?』
渚からは150メートル先で梓が逮捕された瞬間が見えたが、渚はその場所から全く動かない。
『いえ。』
梓は一言だけ返事をして、地下ロータリーに停めてあった覆面パトカーに連行された。
『渚ちゃん……。』
案内板の前で梓を見送った後、美里が渚を見ると渚の目からは大粒の涙が溢れ、次第に嗚咽に変わる。
まつりと彩子が交番の中に入る様促したが、パトカーが見えなくなるまで渚はその場所から動かなかった。
5人は電車の中ではほとんど喋らず、重い足取りで帰宅した。
『お帰りなさい!ケーキもあるし、いっぱいお料理作ったわよ。早く入って!』
律子は暗いムードを払拭する様にわざと明るく出迎えた。
『渚ちゃん、おばさん言ったよね。困った事があったらおばさんに言いなさいって。ママが帰って来るまでおばさんの事をママだと思って良いからね。』
そんな律子の明るさだけが渚にとって救いだった。