夢見る魔法使い
新月の夜更けに空を舞う影がふたつ。
夜の闇を自在に飛び回るのは、それぞれ魔法杖に腰かけた、漆黒のローブを被る少女と少年。
彼らは今、猛スピードで空を翔け、どちらが速いかを競っていた。
スピードはほぼ互角、しかしゴール地点となる山の頂上にタッチの差で到着したのは少年の方だった。
「残念だったな、エメラ。俺の勝ちだ」
誇らしげに言い放つ姿に少女は歯噛みした。
「……何よ、ちょっとの差で勝った気になるのは百年早いってのよっ。大魔女エメラ=ミュゼフォットを怒らせたことを世紀末まで後悔させてあげるわ!」
「いいぜ、大魔導士のサルファー様が相手しよう。遠慮は無用だ」
「覚悟しなさい!」
月明かりのない闇の中でエメラは杖を構えた。そして、複雑な詠唱を淀みなく言い放つ。
少女の紫苑色の髪がふわりと浮かぶのを合図に、頭上に大きな魔方陣が展開した。
その中から現れたのは、エメラの髪色と同じ、紫の蝶の群れ。光を帯びた蝶たちは幻影を見せる中級魔法のひとつ。
少年の姿はあっという間に覆い尽くされ、その光景にエメラは満足そうに微笑む。
「ふふふ、まだこんなのは序の口よ!」
言うや否や、今度は杖をくるりと回転させ、新しい魔方陣を三つ同時に展開していく。
ローブの中に忍ばせていた瓶を取り出し、蓋に軽く口付ける。琥珀色の液体を魔方陣の中に数滴垂らしていくと、淡い光がちかちかと点滅した。
「――――」
短い呪文を唱えると、エメラの周囲を囲むように大きな光の柱が突如出現する。
パチン、と指を高らかに鳴らすと、光は頭上で集結して形を変えていく。世界で数人にしかできない高等召喚魔法は、いよいよ最後の局面に差しかかる。
だが、それを阻むように突如、轟音が鳴り響く。
紫の蝶たちが一瞬にして消え失せ、代わりに水の結界がサルファーを包み込んでいた。間髪を容れず、水の中から飛び出した氷の刃がエメラを襲う。しかし、氷の切っ先が喉元に突き刺さる直前で、魔法障壁が行く手を塞ぐ。
間一髪のところで窮地を脱し、ふわふわと安定しない様子で魔法杖に乗ったエメラはすーっと息を吸い込んだ。そして、闇夜に怒りに満ちた声が響いた。
「ちょっっと危ないじゃないの!!」
サルファーはおもむろに舌打ちした。
「……ちっ、避けやがって。お返しは当然、倍以上でいいんだよなぁ?」
答えを待たず、杖の先に嵌めてある瑠璃色の宝石に手を当て、古代魔術の術式を唱え始めた。サルファーの翡翠色の瞳が金色へと変わり、少年の体を白い光が包み込む。
風向きが変わり、ローブの裾が大きく翻る。どこからか漂ってきた冷気が辺りに広がっていく。
月の光の代わりに青白い光が空から差し込んだかと思うと、金色の花びらが暗闇をくるくると舞っていた。
花びらの数は徐々に増え、エメラの周囲を覆い尽くすように光の花畑ができていた。
「げっ、やば……!」
気づけば取り囲まれた状態に、エメラは早口で簡易結界の呪文を唱える。けれども、花びらから放つ光がそれを即座に遮断した。
昔読んだ文献の記憶が正しければ、この術式は呪文を封じ込めるだけでなく魔力や生気すらを吸い取る禁術のはずだ。
一体どこでこんなものを覚えたのよ……! と憤っていると、それを遮るようにキィーンと耳鳴りがし、頭痛に襲われて片目をつぶる。
サルファーが両手をこちらに突き出す姿が見えたが、魔法が使えない今はなす術はない。空間が歪んでいくのを感じながらエメラは、いよいよダメかもしれないと両目を閉じた。
☆☆☆
ここは魔術と魔法の世界。未来の自分を夢見ながら日々、試験に明け暮れる若き魔法使いの学び舎である。
魔法学校の一室で対峙する二人組もお互いをライバルとし、常に競う関係だった。
数時間前に行われた模擬練習では呆気なく少年が勝ち、口惜しそうに地団駄を踏む少女の光景があった。
少女は紫苑色の長い髪をたなびかせ、いきなり熱く語り出すこと数分あまり。
「……っていう夢を見たの! 今朝!」
「なるほどな。お前の想像力の逞しさは分かったが、現実は俺たちは未だに見習いのままだが? まぁ、今回も夢の通りに俺の勝ちだったわけだし」
「うぐっ。今は……そうだけどっ、この中級試験もすぐに突破してあんたを追い越すのはこの私だからね! それに前回勝ったのは私だし!」
「あれは偶然の産物だろ。というより、初歩の魔法しか使えないお前なんか怖くねーけど」
腕を組みながら真顔で断言するサルファーに、エメラは勢いよく噛み付いた。
「い、言ったわね!? 次の夢では、あんたをこれでもかってぐらい、コテンパンにしてあげるんだからっ。泣き喚くことになったって知らないわよ!」
「……夢でかよ」
そして、呆れたサルファーのため息が今日も教室にこぼれたのだった。