・兆候2
美少女の放課後は忙しい。
五、六時間目の授業が終わり帰りのホームルームも終わると、転校生のフレディ・ロックハートくんもどうにか新しいクラスのみんなの雰囲気に慣れてきたみたい。
……まったく。彼にわたくしと一緒のクラスになることがどれだけ幸せか、地球上のあらゆる事象の中で最上位から何番目に位置するのか、それを懇切丁寧に教えてあげたい衝動に駆られたが、今日はやめておいた。
わたくしをお節介な女だと思われては心外だし、実際のところ完璧美少女と隣の席になったことで彼自身、そのすばらしさにすでに気づいているだろうから。
そのためオークションに掛ければ億でも兆でも足りないほどの額を積まなければ手に入らない、世界で最も幸福な席の所有権を見事に獲得したフレディ・ロックハートくんに賞賛を送ることにして、今日はおとなしく帰るとしよう。
――なぜなら、今日は待ちに待ったオーダーメイドのドレスが届く日だからだ!
わたくしはクラスメイトに笑顔を向けあいさつを交わしていくと、早速靴を履き替え、校門を抜けた。
「藤井、例のドレスは届いているかしら?」
「お車に乗せて準備してございます」
……やった! わたくしは月草学園の校門前で待機していた高級車に乗り込み、人が一人立ち上がってもまだ頭が付かない天井を見据えて、さらに奥へ行った場所に掛けられた純白色のドレスを目にした。
「わあ! これが特注したドレスですわね!」
ドレスと一口に言っても実に数多くの種類があるが、わたくしが少し前に特注で頼んでおいた一品は、ワンピースにも近いカジュアル用の服だった。
ワンピースとは異なり短いフリルなど装飾が多めだが、決してこれを着て街を出歩けないほどではない。
わたくしは藤井が運転席へ行ったのを確かめると、制服のブレザーを脱ぎ、黒ストッキングも脱ぎ、少し暑苦しかった学園指定のYシャツやスカートも脱ぎ捨てた。
実のところ、わたくしはあまりブラジャーというものを身に付けない。
だって自分に合ったサイズの物はあまりにも種類が少ないし、たとえお気に入りのそれを見つけても、胸の成長からすぐに着られなくなってしまうんですもの。その寂しさといったら……。
そのため、わたくしは下着を身に付ける代わりに、ニップレスを貼っている。
ニップレスとは主にシリコン製の絆創膏で、バストトップを隠してくれる役割を持つ。
普段学校へ行く時にはそれだけでは心許ないので、腰元まで届くロングタイプのノンストレスブラを着用して登校している。
ホックもワイヤーもないこれはバストの下垂や型崩れを防いでくれる代物で、嫌な締め付け感が無いにも関わらずバストラインも美しく保ってくれるのでとても重宝している、今ではわたくしの相棒だ。
さて、わたくしは少し蒸れてきた感じもするので一度下着を脱ぎ、ぴろっ、とニップレスを一つずつ剥がしていく。
もしもこのシリコン製ばんそうこうを男子たちに見せたのなら、いったいどんな反応をしてくれるのだろう。
わたくしは変態ではないので決してそう易々と自身の秘密を開示したりはしないけれど、ちょっと気になってしまうのであった。
もう一度ノンストレスブラを着用し、車内にハンガーとともに掛けられたドレス兼真っ白なワンピースに袖を通していく。
そうして用意してあった姿見に自身のすばらしい肢体を写すと、やはりそこには一点の欠点もない完璧な美少女が一人いるのだった。
もはや童話『白雪姫』に登場する鏡のように、「世界で一番美しいのは誰か」と問い掛ける必要もない。――それは、わたくしだ。問い掛けるまでもない。
わたくしは白いドレスのサイズがぴったりと合っていることを確認し、つい口が本音を呟いてしまっていることに数瞬遅れて気がついた。
「やっぱり、可愛いわあ……」
自分自身でもそう思ってしまうのだから、果たせるかな、わたくしは罪な女なのだ。
それから逸る気持ちで更衣を済ませたわたくしは、銃弾でも貫けないマジックミラーを通して外から学園を眺めた。
するとちょうどそこに、これから帰宅するであろうロックハートくんの姿が確認でき、わたくしは興味心と好奇心を押さえ切れずに見つめ続けた。
「ロックハートくんって、どういう男の子なのかしら?」
わたくしの頭の中は消しゴムを拾ってあげようとして手が触れてしまったロックハートくんのことでいっぱいで、どうにかしてあのとき自分が感じた心の変化とその正体について、もっと情報を得たいと思っていた。
「藤井、あの男子生徒を追い掛けなさい」
わたくしは運転席のほうまで行き、藤井が正しく彼のことを認識できるよう、人差し指でターゲットを伝えた。
「あの男の子をですか? お嬢様」
「そうよ」
藤井はわたくしがまっすぐ家に向かうものだと思っていた様子で、わずかに言葉を詰まらせた。
「しかしながらお嬢様、彼を尾行するにはこの車は目立ち過ぎます。何たって縦に六メートルもあるのですから!」
わたくしはいつも自身の世話の一端を担う執事に、声を荒らげながら言う。
すたすたと遠ざかって行ってしまう彼を、早いところ追い掛けなきゃと思ったのだ。
「いいから追いかけて! ……ああッ、藤井がためらっているからあの人狭い路地に入って行っちゃったじゃない! ……もういい!」
「お嬢様お待ちください! お嬢様ぁ――――!」
わたくしは初老を迎えた執事を運転席に残して、ただただ見た目だけ立派で肝心な時に利便性に乏しい高級車を降りた。
「こうなったら、わたくし自身で追い掛けますわ!」
お友達作戦決行! 先輩や後輩や同輩も含めてわたくしはすでに百人以上のお友達がいますけれど、それでも自分の支持者、もとい仲間は一人でも多いほうが良いですもの。
ロックハートくんも完璧美少女たるわたくしの友達の一人に差し上げなくては!
先ほどお節介を焼かないと決めたわたくしはどこへやら。わたくしの思考は取り留めもなくころころと変わり、ついにはクラスメイトの中でただ一人お友達になっていない彼の尾行まで始めていた。
「それでも、わたくしは変態ではないはずですわよね?」
いったい誰に問い掛けているのか、わたくしはあまりに目立つ純白のドレスを着たままロックハートくんの背中を追った。
多くの目がわたくしに向けられている気もしますが、この際もうどうでもいいですわ。ともかく彼のことが気になって仕方ないのですから。
ロックハートくんがとある文房具店に入って行ったところを見ると、彼は転校生として必要となる物品をそこで購入したのだろうと推測できる。
「……そういえば国語の教科書をお持ちでなかったでしたわね」
となるとその教科書を買うためにここへ……? 数分して彼が店から出て来ると、わたくしも男の子の後を追い一つの娯楽施設を訪れていた。
「映画館……?」
文房具店を出たあと彼が放課後向かった先は、映画館。わたくしはもう居ても立ってもいられず、彼に話し掛けに行くことにした。
やっぱりこそこそと隠れているだなんて、わたくしらしくありませんわ。もっと積極的にならなくては!
「こんにちはロックハートくん? 奇遇ですわね。あなたも映画鑑賞をしに来たんですの?」
わたくしはわざとらしくないよう心掛けながらたった今偶然、思いも寄らず、運命的に彼と出会ったのだという演技をした。
「い、祝井さんこんにちは! 祝井さんも映画に?」
「そうですわ。ロックハートくんは何を観る予定ですの?」
わたくしとロックハートくんは劇場公開作の一覧がずらっと並んだ液晶画面に目を向け、さまざまなジャンルについて議論した。
「うーん。実はただ気が向いてふらっと寄ってみただけなんですよね。だから何を観るかまでは決めてないんだ。アクションも良いしコメディーも良い。ホラーやサスペンスも好きだしアニメもおもしろそう。さーて、どれにしようか」
わたくしは思い悩むロックハートくんの顔を横目に眺めると、一つの映画が紹介されている画面を指差して提案した。
「あれなんてどうですの?」
「あれ?」
それは現代ではほとんど見なくなってしまった「恋愛」ジャンルの映画。改め、犯罪を題材にした映画だった。
二人の男女が友達としてはありえないような変な空気を終始漂わせ、観客は吐き気を催す。
人間の惨殺シーンや血が流れる描写を苦手とする人が多いように、男女が指と指を絡ませ、唇を近づけ、あまつさえそれを合わせた時には、観客から大ブーイングを受けること間違いなし。
総じて現代の恋愛映画のレビューには最低評価が付けられることがほとんどで、このことからもいかに嫌悪感を示す人間が数多く存在するかがわかるだろう。
そしてわたくしが提案した映画は、果敢にも不人気なジャンルを取り扱い、現代では異常として認識されるようになった五十年前までの恋愛模様を視覚化した意欲作であった。
人工出産が主流となるまでの時代に、人はどのように存続と繁栄を続けるため、恋愛をしてきたのか。その心理に切り込むベテラン監督の遺作となる作品だった。
「そっか……この映画の監督、先月亡くなったんだよな」
「ええ」
五十年前といえば十七歳のわたくしたちにはぴんときませんが、かつての時代では恋愛というものをしていた人間も多かったのだとか。
「恋心抑制薬」の登場によってすっかり忘れ去られたその行為も、現代における定年退職をなされたおじいさまおばあさま方には懐かしいことなのかもしれません。
「じゃあこれにしようかな!」
ロックハートくんがわたくしの思いつきで勧めてみた映画を見てみる気になってくれたようだったので、わたくしはもう一つの提案を、彼にする。
「それでは、わたくしもご一緒して構いませんか?」
「え!」
すると素っ頓狂な声を上げるロックハートくん。わたくしもそれには驚き、つい彼の顔色を窺ってしまう。そののち、
「駄目じゃないだめじゃない、全然駄目じゃないむしろ大歓迎だよ祝井さん!」
と言ってくれた。
「変な人ね。ロックハートくんは」
わたくしが彼の様子を見て微笑むと、彼も笑顔を見せてくれた。
「ははっ! じゃ……じゃあチケット買いに行こうか!」
「そうしましょう」