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・兆候

・兆候


――もしくは、叶わない恋だった。


わたくしに恋をすることができない可憐で可愛くて可哀想な瞳たち。

「恋心抑制ワクチン」を打たれたことによって恋心を生きているあいだ永遠に封印されてしまった男の子たち。そして、女の子たち。


けれども、この世界においてその状態こそが正常であり、本来あるべき幸福な人生のかたちなのである。


「恋愛禁止条例」の施行から五十年経ち、人間は人工受精の技術と安全性を向上させ、「コクーンベイビー」という選択的遺伝子交配から誕生する赤子によって存続していく道を選んだ。


つまりはペリネイタル・ロス――母体が出産することに応じて生じる死亡事故を百パーセント防ぐという処置を取ったのだ。


人工受精によって巻き起こる諸問題を解決した末に選び取った道は、ノーリスク・ハイリターンという至極建設的で残酷な現実だった。


大変なリスクを伴う出産が全面的に禁止されたのも恋が病気として認定されたのと同時期で、人々は体外受精――ブランド化された人工出産――を当たり前の現実として受け入れている。


こうした現代の繁栄を残酷と言うのなら、その者はきっと優しくて思いやりのある人間なのだろう。


そうそして、その優しくて思いやりのある人間たちが、母子が受ける危難をもっとも回避できる最上の方法として、「コクーンベイビー」を選んだのだ。


二〇一八年より以前に産まれた人間たちは、わたくしが試験管もとい月のゆりかご《コクーン》から誕生したと聞いて、驚くかもしれない。


銀髪にして碧眼、今もなお日々育つバスト九十センチを超えるGカップの胸、くびれた腰回りとの黄金比率「7対10」をキープした少し大きなお尻と、それを彩る決して短過ぎない女子高生として普通のスカートをなんとも優美に着こなす、このわたくし。


――そう、このわたくし自身が、人工出産の賜物なのである。


わたくしは完璧美少女の遺伝子を持って、この世に生を受けた。


旧い時代に『デザインベイビー』という名称が広く認知されたことからもわかるように、わたくしは父と母にとっての理想の個体として生まれた。


髪の色や瞳の色、肌の色から体格まで、あらかじめ決められた遺伝子コードに基づき配合された人工人間とも呼べる一つの生物。


愛のない旧時代の人間は、そうした現代の「コクーンベイビー」――わたくしたちの有り様を俯瞰して、自分とは異なるというただ一点を理由に否定し、拒絶し、非難するであろう。


差別によって戦争を起こしてしまう人間という種族の中から、優しさと思いやりを持っている大切な人を見つけ出すのは難しい。


母体から産まれなかったという過去を持つ人間に、愛はないのだろうか。


遺伝子配合によって産まれたという過去を持つ人間に、優しさを期待することは無駄な行為なのだろうか。


月のゆりかごから誕生したという過去を持つ人間に、他者から思いやりのある感情を分け与えられることは不可能な現実なのだろうか。


――非道ひどいではないか。


花はどこで咲くのかを選べたのなら、幸せな人生を約束されるものなのだろうか。


もはや現代において、偏見によって人を判断して「自分と違う」ことを理由に「他人を否定」する人間は、もういない。


わたくしたちは自由になって良い。自由に羽ばたき、現代いまを生きて良い。だから――だからわたくしは、その男の子の瞳を見つめた。真心をもって。


「あっ……」


ともすればその吐息は、わたくしのものであったのかもしれない。

一つの消しゴムを拾おうとして重なった男の子の手は思いの外あたたかく、わたくしはびっくりして彼の様子を窺った。


するとまったく同じタイミングで彼のほうもわたくしに目を向け、たちまちわたくしたちは消しゴムからお互いの瞳を見つめることになってしまった。


しまった――という表現はわたくしの心のどこかに後ろめたいものがあった証拠のようにも思えて、そのことを自覚してさらに戸惑うことになった。


ざわざわとも、ぐるぐるとも、もにょもにょとも、よくわからないわたくしの気持ち。


ただ一つ言えることは、行動がシンクロした彼とわたくしの心は一瞬ながらも通い合ったということ。わたくしはすぐさま視線を逸らし、そしてまたひとときを待って、彼を眺めた。


――なんて格好良いのだろう。


ふと、そんなことを思ってしまうわたくしに気づき、自分の感情を取り繕わなければならない必然性に駆られた。


わたくしはどうして、今日出会ったばかりの男の子と目を合わせ続けておりますの?


その時間はとても短いものであったはずなのに、わたくしの胸中にはとてつもなく大きな疑問が芽生えつつあった。


そしてその感情を振り払うかのようにして彼から目を離し、消しゴムへと意識を傾ける。


しかしながら強引に掴み取った消しゴムは腕を持ち上げると同時力失く離れて、わたくしの手からあらぬ方向へ飛んでいった。


「あっ……」


この時も、わたくしと彼の言葉は共鳴していた。


一つの所作に対して同じ感情を抱き共有する。共感から生まれる二人の時間はわたくしの手から消しゴムが離れてしまったことにより終わりを迎え、いつもの日常風景が戻ってきた。


「いったい何をしているのですか? はい、どちらの落とし物なの?」


女性教師が国語の教科書を携えて教室の床に落ちた消しゴムを拾うと、わたくしはいましばらく自身を取り巻いていた不思議な感覚から立ち戻り、現実を見つめた。


「ありがとうございます、先生。その消しゴムは彼の物です」


わたくしがフレディ・ロックハートくんに平手を向けて誰の持ち物かを答えると、先生は呆れながらも怒ることなく彼の机の上に消しゴムを置き、授業を再開させた。


それにしても、何とも不思議な感覚でしたわ……。


わたくしはそんなことを思い、もう一度彼と目を合わせないよう気遣いながらも、ロックハートくんのほうを見た。


彼は何とも思っていない様子だった。


昼休み。


わたくしたちは授業の堅苦しさから少しのあいだ解放され、束の間の自由時間を楽しんでいた。


女子たちと朝の会話の続きをしていると、わたくしはまたしても彼の様子が気になってしまっていた。


「お昼、食べないんですの?」


何気ない問いであったがしかし、彼にとっては重大事のようで、


「実は俺、お弁当忘れて来ちゃってさ……」


と実に困った表情で言うのだった。


「なんだ、そんなことですの!」


わたくしがそう言うと彼はきょとんとしてこちらを見つめ、美少女の言葉を待っていた。わたくしはパチンッ、と指を鳴らし、いつものごとく食事の手配を任せた。


一年生の時から同じクラスだった生徒たちはもはや見慣れた光景のようで、わたくしは教室後ろの扉から男女が退き、そこからレッドカーペットがくるくると転がってくる様子に目を向けもしなかった。


「お嬢様、お食事の用意をいたします」


「よろしくね」


さて、今日はいったい学校のどこに潜んでいたのやら。わたくしの屋敷に勤める執事のトップ、藤井が真ん中一番後ろの席に目掛けて赤絨毯を敷き終えると、廊下のほうより続々とシェフたちが料理を携えてやってくる。


白い調理服に身を包んだシェフが銀のトレーから保温用の蓋を取り去り今日の料理が露わになると、教室中から歓喜の声が聞こえてきた。

学校の机の大きさに準じて少し小さめに作られた食器がわたくしの目の前に置かれると、黒の執事服に身を包んだ藤井がメニューを紹介した。


「お昼休みの時間を考慮し、メインディッシュから失礼いたします。本日は以前お嬢様からリクエストのあったとおり、オマール海老のパスタとスープでございます。もちろんご学友のみなさまの分もご用意しておりますので、お昼休み終了のチャイムが鳴るまでのしばしのお時間、ごゆっくりとお食事をお楽しみください」


「そう。ではクラスメイトのみなさんと、あとこちらの方にもお願いできるかしら?」


「はっ、かしこまりました」


今日のお昼ご飯であるフランス料理が机の上に並べられたのを見て、わたくしは自身のお弁当を忘れてしまったと言うロックハートくんにも同じものをお出しするよう、藤井にお願いした。


「失礼いたします」


今しがた机の位置を向かい合わせにしたわたくしたち。


彼の顔を正面に見据えてほんの少しのあいだ待っていると、ロックハートくんの机の上にもわたくしと同じフレンチが並べられた。


彼はといえば「え……エビ、海老、蝦……」などと表情を固くして同じ台詞を連呼していた。


クラスメイトのみなさんがわたくしのお弁当――もといシェフが丹精込めて作ってくださった料理を見て、驚きの声を上げる姿はもう見飽きていますけれど、こうして転校生に料理を振る舞うのも悪くはないですわね。


わたくしは「本当に食べて良いのか……?」と何度も確認するロックハートくんに可笑しくなって、頬を緩めた。


「ふふっ。お弁当を忘れたのなら、わたくしがいつでもご用意して差し上げますわ。そんなに恐縮せずともよろしくてよ? どうぞ好きなだけ食べてくださいな」


二年A組のクラスメイトたちにも希望制で食事が配られ、みんな美味しそうに食べてくれた。


……そうですわ。わたくしはあなたたちの笑顔が見たくて、今こうしているのですもの。やっぱりみなさん笑ってくださると、わたくしも嬉しいですわ。


しかし他の生徒たちとは違い、ロックハートくんだけはなかなかパスタに手を付けようとはしなかった。


「どうしたんですの? もしかしてエビはお嫌いですか? それともアレルギーでしょうか? そうしましたらわたくしはなんて失礼な振る舞いをしてしまったのでしょうか! すぐにお取り換えして別の料理を持って来させますわね。お好きなものは何でしょうか?」


そう言うとロックハートくんはわたくしに向けて目を見開き、ぶんぶんとこれでもかと首を振った。


「……あ、ありがとう! エビ好きだよエビ! 世界で一番好きなくらいだ! 心配かけてごめんね? じゃあ、いいいただきます!」


彼は震えた声でそう言うと、用意されたフォークを持ち、黙々と食事を摂り始めた。


わたくしはロックハートくんのそのおこないに、ほっとため息を吐き、自分の不手際で彼を困らせてしまったのではないかという懸念に心を痛めずに済み安心した。


「ごちそうさま!」


わたくしのお皿の半分が無くなるよりも先に彼のそんな声が聞こえたので、わたくしは彼の食事のあまりの早さに目を丸くした。


「おかわりと、食後のデザートもありますわよ」


お腹が満たされ気分が良くなったのか、彼はわたくしに何度も「ありがとう!」と言葉を発つと、最初こそ遠慮していたもののあっという間に三皿ものパスタを食べ終えてしまった。


わたくしはそんなロックハートくんの食べっぷりに思わず笑ってしまい、その口元に付いた赤いソースを拭ってあげたのだった。


「明日は、何が食べたいですか?」


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