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香港映画の黄金時代は夢まぼろしと消え果てた、 もう二度と戻らないあの隆盛。  映画レビュー

作者: 舜風人

戦前や1970年代以前はしばらく置いといて、、


私がここで取り上げるのは1970年代以降の香港映画の隆盛と衰退についてである。

そのころもちろん香港はイギリス領であって、中国大陸の共産主義独裁化での検閲や統制もなく

表現の自由があった、

この自由さが香港映画の発展に大きく作用していることは言うまでもない。


そんな香港映画が世界的に注目されたのがなんといっても

ブルー・スリーであろう。

1971年の「ドラゴン危機一髪」からはじまって、

最大ヒットは1973年の「燃えよドラゴン」だった。

たちまち香港映画は世界的に認知されることとなったのだ。

その後言わゆるカンフー映画が大量に製作されたことは言うまでもない。

だが今から振り返れば、結局ブルースリーを超える映画はなかったといってよいだろう。

ブルースリーが1973年に死亡し、その後、カンフー映画は量だけは多くつくられたがスター不在で

そんな中から出てきたのがジャッキーチェンである。

1970年代後半にコメディ路線のカンフー映画でブレイクして一躍世界的スターとなった。

1980年代にはハリウッド進出も果たしている。


さてカンフー映画以外では世界的にヒットしたジャンルに


コメディ路線がある


代表作は「ミスターブー」、シリーズである。

『Mr.Boo!ミスター・ブー』(1976年)が日本でもヒットしましたね。



さらには

香港ホラー映画がヒットしまた。


その代表作は二つ(2系統)あるが


チャイニーズゴーストストーリー  シリーズ。


霊幻道士 シリーズ    


この二つ(2系統)である、



以下、これらを見てゆきたい、



その1



「チャイニーズゴーストストーリー」  1.2.3  原題 倩女幽魂



これは、題材を、聊斎志異に取り、映画化したものであるが、原作とはかなり異にするものである。


原作をかなり自由に脚色しているという感じだ。  1987年初作




聊斎志異は


内容は神仙、幽霊、狐狸の怪異譚で、当時世間に口伝されていたものを筆記してまとめたものである。



チェコの作家フランツ・カフカは本作からの数編を翻訳し、その内容の「精巧さ」を賞賛した。



日本では江戸時代の後期に伝わり、翻訳、翻案がなされ芥川龍之介などの作品に影響を与えた。 また、安岡章太郎は、作者の生きかたとみずからの人生を重ね合わせた、『私説聊斎志異』をあらわした。渋澤龍彦も作品の中で何度か触れている。



1987年には、本書に収録される「聶小倩」が、香港映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー/倩女幽魂』としてかなり脚色されて、ジョイウオンとレスリー・チャン主演で映画化されヒットする。


この時代は香港もまだ自由な雰囲気でよかったですね、


その後返還されて制約が多くなり香港映画も不自由になり衰退しました。



太宰治は、聊斎志異から数編の翻案作品を書いてもいる。


「竹青」と「清貧譚」がそれである。




チャイニーズゴーストストーリーは、1と2と3が作られた、1と2のヴィデオは私は持っている。



123の中ではやっぱりというか初作が良い。調べると、、4。5。6?もあるらしい??


まあ続編は3までが良くって、、それ以後はだめでしょうね。



1は時たま私は見ているがその、メロディアスなホラーな雰囲気は抜群である。


ホラーというよりはダークファンタジー。ラブストーリーといった方が良いだろう。



特に、悲しい女幽霊スーシンをを演ずるジョイ・ウオンが嫌味でない妖艶なムードを画面に繰り広げるのは、何度見てもうっとりせざるを得ない。



話は、今からずっと昔の中国、諸国の掛取りに歩く集金の青年、ツアイサンが蘭若寺という、妖怪寺にとまることによって、そこに巣くう妖怪どもの手先として男を誘惑して精気を吸い取ってしまうスーシンという女幽霊に出会うという物語である。


スーシンはボス妖怪に使われる哀しい幽霊なのだが、


しかし、ツアイサンに好意を感じたスーシンは逃がしてやる。



そこに、イン道士という、修行僧が加わって、話は波乱な展開を示していくことになるわけであるが、


とこう、あらすじを追っても、この優美な回顧中国趣味なあでやかな画面は浮かんでこないので、やはり見てもらうしかあるまい。


私はこの初作が一番出来が良いと思う、



1の主題歌はもう最高の意味深な歌詞ですよね?


人生の無常と、はかなさ、それでも人は夢と愛をもとめて歩き続ける


人生のはかなさ


愛の切なさ


それでも人愛を求めて今日も生きてゆくのでしょう



そんな歌詞です、。





♪ 


美しい夢の人生、長い人生の道


でも道の途中にはさまざまな苦難が待っている、


この世にはどれだけ美しい夢があるのだろう?


人はみな夢まぼろしにひたすら愛を追い求める。


そして、道は果てもなく続いている。



人生は美しい夢と希望、


でも夢の中には微かな涙もある。


心を探し求めて私はどこに行くのだろう?


風は夢の中でも軽く私を嘆かせるだけ。


そして人生も道もはてしなくつづいている。 ♪










ところで、日本に聊斎志異がこれだけ広まったのは、なんと言っても


柴田天馬氏の見事な翻訳によるところが大である。


氏は、原文を逐語的に、意訳して原語の風味を残して損なわないという難事をやり遂げている。


したがってまるで原文を読むかのごとき、いい雰囲気がこの邦訳にはあるのである。


しかし、今、 角川文庫版の 柴田天馬訳 聊斎志異 は絶版であるのは悲しいことだ。


この角川版のいいところは、その挿絵のすばらしいことだ。良い雰囲気を出している。



他に修道社版 昭和42年刊 豪華なカラー挿絵の聊斎志異もあるがこれは大きな古書店にでも行かないとちょっと手に入らないだろう。



柴田天馬以外の訳本なら、


平凡社版中国古典文学大系にもあるし、岩波文庫にもあるが、いかんせん、訳が悪すぎる。


柴田天馬のあの流麗な訳を読んだら、もう他の訳は、ばかばかしいほどつまらなく、色あせたものでしかないのだ。














その2



霊幻道士  1.2.3.4.、5.、、、、、陸続と似たような作品が作られたが、、。


初作1985年、



さてもう一つのチャイニーズホラーの傑作映画は



霊幻道士であると、私は思っている。


この作品1から確か7くらいまで延々と続編が作られたらしいが、、



まあ鑑賞に堪えるのは、3までです。


霊幻道士とはチャイニーズホラー映画の画期的な作品。



といっても、テンテンちゃんの出てた方ではなく、


あれは、幽玄道士だったかな?台湾製の、TV シリーズではなかったか。


テンテンちゃんはかわいかったし、金おじいさんはいい味、出してたし、捨てがたい作品だったが、


トンボも、スイカ頭もひょうきんだったけど、、


やはりこれは出来から言ったら、やっぱり、「霊幻道士」でしょう。



霊幻道士シリーズは


1、2、3、、、、と作られたが、実際はもっと、4、5、6、7などもあるそうだが、いかんせんもう、だしが出がらしでしょう。



1、2、3までは文句なく楽しめるし、



特に霊幻道士3は恐怖感もコミック性もばっちりだ。霊幻道士3のへぼ道士がまたいい味出してましたね。そして、兄弟の弱虫キョンシーもおもしろい。



霊幻道士2のベビイキョンシーは愛らしくさえもあったし、母親キョンシーはもろ怖かった。



そして脇役陣がまた、なんともどじでへまな役回りの設定でコミカルに盛り上げてくれましたね。



それにしても霊幻道士3の馬泥棒一味ってなんなんでしょうね?



馬泥棒の女首領って、けっきょくは悪魔だったのかな?かなりの妖術使いで、派手な、アクションを見せてくれました。



霊幻道士3の始めに、幽霊屋敷が出てくる。



へぼ道士がお払いを行うのだが、つぎつぎに出てくる幽霊にどうしようもなく、


ついに、へぼ道士が幽霊に追い立てられてしまうというオープニングは傑作だった。



「ハレワンホイ ハレワンホイ、トイチントイチン シュシュハンホイ、



トイキン トイキン ハーンハーンホイ」



こんなメロディに乗って霊幻道士が



大活躍のこのホラーコメディイをぜひまた見たいものだ。



私の一押しは1と3である。





さて


こうして世界的に大ヒットした香港映画であったが

それも1997年までのことであり、

それ以降急速に衰退してしまった。


そう、1997年に、中国に返還されたのである。

これ以降急速に衰退した、

原因はいろいろ言われているが


返還に伴う共産党に配慮した自己規制による映画が平板でつまらなくなったということがやはり最大の原因でしょう。

自由にモノが言えない時代になってしまったのです。


さらに1997年のアジア通貨危機が追い打ちをかけ、香港映画はみるみるうちに経済的苦境に追い込まれてゆくのである、。かっては、年間製作本数250本を誇っていたのに

、それが1997年にはなんと、96本にまで落ち込んでしまったのだ。


こうなると結局大陸資本に頼るしかなくなり

益々共産党にモノが言えなくなるのである。

自由度は今や完全に失われてしまったのである。


金づるの大陸資本に依存

そして共産党の検閲


この二つに縛られて香港映画は

衰退の一途をたどることになる。


活躍の場を失った香港俳優はこぞって大陸に活路を求めて香港から出てゆく。

そして香港には誰もいなくなった??


こうなるともう完全に香港映画は「死に体」ですね。


今や香港映画はなきに等しい状態です。

あのかっての隆盛がウソのよう、


香港映画は今や

中国映画の完全な「下請け」でしかないのが現状なのです。


もう二度とかってのあの隆盛が戻ることはないでしょう。

それどころか益々締め付けが厳しくなり

物言える状態は完全になくなることでしょうね。


香港映画の黄金時代は


決してもう戻らないのです。













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