第64話『明日への扉』
「そういえば、翼は進路のことで迷っているんだよね」
「……うん、そうだよ。それを相談したいっていうのもあったんだ」
早くから行きたい大学や学部を決めていた咲希なら、何かアドバイスをしてくれるかもしれないと思って。
「なるほどね。夏休みも半分以上過ぎたけれど、受験のことを考えたら夏休み中にはっきりと決めた方がいいよね」
「うん。土曜日までにはっきりと決めるのは難しいかもしれないけど、こういう方面の学部を受験したいって決められればいいなって」
「そっか。それで、早くから志望校を決めていて、一緒に夏期講習も受けているあたしに相談しようと思ったんだね」
「うん。目標に向かって頑張っている咲希は凄いなっていつも思ってる。だから、何かヒントを得ることができるかなって」
「そういう風に言われると何だか照れるな……」
えへへっ、と咲希は照れくさそうに笑う。その頑張りは凄いと思うけど、それがそろそろテストの点数などに結びついてほしいところ。
「……咲希はどうして言語学の方を志望しようって決めたの?」
言語学へまっしぐらとも言えるほどだ。そこまで言語について大学で学びたいと思った理由は、きっかけは何だったのだろうか。
すると、咲希は腕を組みながらう~んと考えて、
「言葉って凄いし、面白いなぁ……って思ったからかな」
そう言って、納得した様子でうんうんと頷いている。
「……そ、それだけなのか? いや、確かに凄いなとか、面白かったって思うことは大事だろうし、立派な理由だと思うけど……」
「うん。言葉って色々な可能性があるんだなって思って。最初にそう思ったのは、桜海から離れたあの日……翼に好きだって告白したことなんだよ」
「そんな前のことがきっかけだったんだ」
「そうだよ。翼や明日香達と離れて東京に行くのは寂しかった。でも、好きだっていう言葉を翼に伝えたら、それからはずっと心が温かいの。確かに、辛くて、側に翼や明日香がいたらどれだけ良かったかって思うこともあったけど、10年前のあのときに言った『好き』って言葉を思い出すと頑張ることができたんだ」
「咲希にとって心の支えだったんだね」
「うん。翼に言われたんじゃなくて、自分で言った言葉なのにね。そう思うと面白くて、凄いものだなって思ったんだ。翼のおかげで未来が見えるようになったんだよ」
「そう言われると何だか照れるな」
幼い頃のことであっても、告白という行為はとても大切なこと。咲希が心の支えにできたのは、想いを言葉に乗せて僕に伝えられたからじゃないだろうか。
「それに、今はそれほどじゃないけど、小学生のときは特に言葉の勘違いが多くて。そのときに言葉って面白いなぁ、不思議だなぁって思ったんだ。それに、現代では人間が生活する上で言葉は欠かせないじゃない。仕事も、学校も……恋愛も全部。そう考えるとより面白く思えて。だから、大学では言葉っていうものを学んでみたいなって思ったの。一言で言えば、言葉が好きだからなんだ」
そう言う咲希の笑顔はとても輝きに満ちていた。好きなことについて話しているからだろうか。ただ、今の咲希の様子を見ると、大学で言語学を学びたい想いが強くて揺るぎないことはよく分かった。
「羽村君みたいに、大学を卒業したらこういう風になりたいって具体的なイメージはあまりできてない。でも、興味があって好きだから学んでみたい。甘いって言われるかもしれないけど、あたしはそれでいいと思っているよ。きっと、明日香や美波も絵画が好きだから、美術大学に受験しようって決めたんだと思うよ」
「好きだからか……」
大学や専門学校で学ぶなら、そりゃ好きなことの方がいいか。羽村のように法曹界に携わりたいから、そのために法学部に学ぶという決め方ももちろん立派だと思う。
「うん。翼のいいところの一つは真面目なところだけど、真面目すぎるところもあると思う。受験は人生の分岐点。だからこそ大事で、どうしても深く考え込んじゃうと思う。でも、少しは気楽に考えてもいいんじゃないかな。今の翼の段階だと、どういうことが好きだとか。将来はどういう関係の職業に就きたいとか。そういうことから考えていけば、進路が見つかっていくかもしれないよ」
「……まずはそこからなのかな」
「うん。でも、これまでは翼に頼る場面が多かったから、翼に相談されてあたしはとても嬉しいよ」
咲希は優しい笑みを浮かべながら、僕の頭をそっと撫でてくる。
「あたしだけじゃなくて、羽村君や里奈先生、鈴音先輩にも訊いてみてもいいかもね。多くの人の話を聞くのもありだと思うよ。同じ受験生である羽村君が一番いいかも」
「……確かに。メッセージを送ってみるよ」
僕は羽村に対して、
『突然でごめん。進路のことで相談したいんだ。連絡しても大丈夫そうな時間を教えてくれると嬉しい。僕は、今日はいつでも大丈夫だから』
夏期講習を受けているかもしれないので、とりあえずはそんなメッセージを送っておく。羽村ならこのメッセージ気付いたら、すぐに何かしら返信をくれる――。
――プルルッ。
そんなことを考えていたら、さっそく羽村から電話がかかってきた。僕は大丈夫だって書いたからかな。
「早いね。驚いた」
『ははっ、家で勉強していたからな。といっても、陽乃の宿題の面倒も見ているところだけど』
旅行が終わっても三宅さんと一緒にいるのか。今日も2人は仲がいいな。でも、羽村が側にいると、宿題をするのに心強いか。
「そうだったんだ。帰るときに、今日から夏期講習が再開するって言っていたから、てっきり今も予備校にいるんだと思ってた」
『時間割の関係で今日は午前しかなかったんだ』
「そうなんだ。僕も今日は夏期講習が終わって、今は咲希の家で彼女と一緒にいるんだ。咲希にも相談したんだけど、色々な人の話を聞こうってことで羽村に連絡したんだ」
『なるほどな。せっかくだからスピーカーホンにして4人で話すか』
「ああ」
僕はスマートフォンをテーブルの上に置いて、スピーカーホンにする。
『ところで、進路っていうのは卒業後のことか? それとも恋の方か?』
「卒業後のことの方に決まっているよ。恋の方だったらスピーカーホンにはしない」
「まあ、恋の方は決着が付いたけどね」
『えっ! それってどういうことなんですか? 咲希先輩!』
咲希の言葉に三宅さんがさっそく食いついてきた。
『確かに俺も気になるなぁ。決断できたのか?』
「……ああ。明日香と付き合うことに決めて、それをさっき咲希に話したんだ。明日香には土曜日の桜海川での花火大会のときに告白しようと思ってる」
『へえ、それ素敵じゃないですか! 会長、私達も行きましょうよ』
『ああ。もちろん行くつもりさ。今年は色々な意味で楽しみだな』
明日香への告白を見るつもりでいるのか。エンターテイメントじゃないんだけど。ただ、咲希や羽村達が見守ってくれていると思うと心強くはある。
「明日香が一番だって自覚したきっかけは、3日目の夜に花火をしているときに、明日香から常盤さんと同じく美術大学に進学することを決めたって言われたからなんだ。明日香への好意だけじゃなくて、これまで僕は明日香がいるからっていうだけで、ここまで歩んできたんだって分かって。ただ、これからはそれじゃダメだって思って……」
『未来が急に見えなくなったってことか』
「うん。今もあまり見えていなくて」
『なるほど。確かに、朝霧は文学部か美術系かで迷っていたな。それで、蓮見も朝霧の選択肢の1つである文学部を第一志望として考えていた』
『そんな中で明日香先輩から美術系に決めたって言われたら、先が見えなくなる蓮見先輩の気持ちも分かる気がします。私も同じような気持ちを先月に経験しましたから……』
羽村に恋はしているけど、羽村は東京にある大学を志望している。合格すれば、来年の春には桜海から離れていってしまう。好きな人といずれは離れるという寂しさや辛さを三宅さんは経験している。
「あたしは好きなことや、将来なりたいものになるために学びたいものを考えればいいんじゃないかって思うんだけれど、羽村君はどう思う?」
『俺も同じ意見だな。まだ、進路について具体的に何も考えられないなら、まずは好きなことは何か。あとは、どんな職業に就きたいのかってところから考えていけば、少しずつ大学の学部として選択肢が浮かんでくると思う。俺も法曹界に携わりたいと思ったきっかけは、法廷バトルのゲームをやって興味を持ったことからだし。有村はどうなんだ? 随分と前から桜海大学の……言語学だったか? そこを目指すって決めていたけど』
「あたしも告白とか、音楽とか、言葉の勘違いとか。色々なことで言葉って面白いって思ったから、大学で学んでみたいって思ったの」
『へえ、素敵な理由じゃないか。有村から言われているかもしれないが、朝霧や常盤だってきっと絵画が好きだっていう気持ちが進路選択の根底にあるんじゃないか』
「……同じことを言われた」
1年のときから同じクラスの羽村なら容易く分かることか。あと、羽村も興味を抱いたことをきっかけに法学部に進学すると決めたのか。
『真面目に考えすぎずに、肩の力を抜いて……好きなこととか興味があることは何なのかを考えてみたらどうだろう? 今は大学で様々なことを学べるし、分野によっては専門学校っていう選択肢もある。高3の夏休みだから焦ってしまうかもしれないが、せっかくの夏休みだ。ゆっくりと考える時間を作るのもいいと思う』
羽村も咲希と同じような考えか。大学の学部や専門学校という具体的なことよりも、まずは好きとか、興味あるとかそういう段階から考えた方がいいんだな。
「ありがとう、羽村、三宅さん。考えてみるよ。あと、明日香のことについては言わないでくれると嬉しい」
『ああ、分かった。朝霧に知られないように気を付ける』
『土曜日の花火大会でのサプライズですもんね!』
サプライズ……か。まあ、明日香からの告白の返事だけど、そのときまでは言う素振りを見せないつもりでいるので、サプライズになるのかな。
『あと、有村……ゆっくりでいいから頑張れよ』
「……ありがとう、羽村君。まあ、覚悟していたことだからね」
『……そうか。夏期講習があるからすぐには連絡できないときもあるけど、相談したいときは遠慮なくメッセージを送ってくれ』
「ああ、分かった。ありがとう、羽村。じゃあね」
『ああ、またな』
羽村の方から通話を切った。
咲希と羽村、三宅さんのおかげで進路について少しずつ見え始めてきた気がする。まずは好きなことや興味があることが何かを考えてみてみることにしよう。




