第63話『過去と未来』
咲希は長い間、僕の胸の中で号泣していた。
これまでは振った方の悲しい顔や泣いてしまうことが怖くて考えられなかった。
ただ、いざこうして咲希に号泣されると、彼女の泣き声が心の奥底まで響き渡るけど、気持ちを正直に出してくれたことに安心している。それが分かっていれば、もっと早く答えを出して伝えられていたのかなと、いくらかの後悔が残った。
「ごめん、たくさん泣いちゃって……」
咲希はようやく僕の胸から顔を離す。そのときの彼女の目元は真っ赤だった。
「……翼は明日香を選んだか。明日香にこのことは?」
「まだ伝えていない。ただ、土曜日に桜海川で毎年行っている花火大会があるから、そのときに明日香と付き合うって伝えたいと思ってる」
「花火を見ながら伝えるってわけだ。いいね。羨ましいな、明日香……」
ふふっ、と笑いながら咲希は涙を右手で拭った。
「ただ、それまでに僕も進路を決めたいって思っているんだ。少なくとも、これらのどれかに行きたいって思えるくらいには。未来をしっかりと考えた上で、明日香にはちゃんと告白の返事がしたくて。……そうは思っているんだけど、実際に考えてみると、全然見えてこなくてさ。本当に情けないなって思うよ」
それを明日香の一言で全て分かってしまったのが、また情けなく思えて。これまで明日香の側にいたいということだけで一緒に歩んできたけど、これからは自分自身が納得できる道を見つけて歩んでいきたい。もちろん、明日香と。
「翼はちゃんと一歩を踏み出しているよ。それに、1人で抱え込まずにあたしに相談しに来ている。それはいいことだよ」
咲希はゆっくりと立ち上がって、勉強机から例の緑色のメモ帳を手に取る。
「やりたいことリストの中で、一番叶えたかったことが叶わなかったな。ただ、このことはしっかりと日記に書こう。忘れないと思うけど、忘れないように」
「そっか。日記……書いていたんだな」
「うん。見てみる? とても楽しかったことや印象に残ったことがあった日しか書いていないから、かなり間が空いているけど」
「そうなんだ。じゃあ、お言葉に甘えて」
僕は咲希のメモ帳を見せてもらうことに。
やりたいことリストには追加項目があったり、花丸がたくさん付いていたりと前に見せてもらったときよりも結構変わっていた。ただ、『翼と恋人として付き合いたい』と書かれたところは綺麗だった。
リストが書かれてあるページよりもちょっと後から、日記は始まっていた。やっぱり、咲希の字はとても綺麗だ。
『7月9日、月曜日。
翼と話してみて、日記みたいに書くのもいいかなと思ったので今日から書き始めます。
でも、日記ならリストに書いてあることをできたときだけじゃなくて、楽しかったこととかがあった日も書こうかな。
ここ最近はあたしの方が翼と一緒にいる時間が多いけど、明日香は10年以上一緒にいる。翼があたしを選んでくれるように、あたしなりに頑張りたい。』
確かに、日記だから楽しかったことや印象深いことを書くのもありだよな。最初だからか、咲希の決意が記されていた。どんな内容なのか読んでみることにしよう。
『7月13日、金曜日。
2日ぶりに、2度目の羽村君のお見舞いへ。今日は陽乃ちゃんと一緒。
陽乃ちゃんが羽村君に本当の想いをしっかりと告白して、見事に恋人同士として付き合うことになった。間近で見るキスは恥ずかしいと知った。転入初日に翼の頬にキスしたときも似た感じだったのかな。2人の幸せそうな笑顔を見ることができて安心した。
いつかは翼とこういう風になれるといいな。その想いが強すぎたせいか、道端で翼にキスしちゃった。』
そういえば、あのとき……咲希は顔を赤くしながらも、2人がキスしているところを見ていたな。
羽村と三宅さんが付き合うようになってからもう1ヶ月なのか。もっと昔のことのように思える。それまで一緒に生徒会の仕事をしていたからか、本当に仲が良くなった。旅行中も2人を見ているとほっこりとすることが何度もあった。
『7月14日、土曜日。
明日香から電話があって、昨日の夜、アクシデントのキスきっかけに明日香は翼に告白したそうだ。結果はあたしと同じく返事待ち。
明日香がようやく翼に気持ちを伝えられたことは嬉しい。ただ、これからはより一層頑張らないと。明日香は私の知っている中では一番と言っていいくらいの素敵な女の子だから。』
思い返せば、明日香が告白してキスしたことを咲希はいつの間にか知っていたように思えた。明日香がすぐにそのことを伝えていたんだな。そんな彼女のことを咲希は一番の恋のライバルだと思っていた。
それでも、咲希は明日香とずっと仲が良くて、常盤さんとの喧嘩があったときも真っ先に明日香から相談を受けた。それだけ信頼し合っている親友の1人なのだろう。
『7月21日、土曜日。
今日から夏休み! シー・ブロッサムで旅行会議をした。
3年生は受験があるので勉強を頑張らないといけないけど、勉強合宿を兼ねて8月に行くことに決まった。
当初は8人だったのに、里奈先生も一緒に行くことになるのは驚き。でも、桜海高校での修学旅行みたいで楽しくなりそう!
旅行までに翼と恋人同士になれているかな。夏期講習を翼と一緒に受けるつもりだからそこで距離を詰めていこう。そして、楽しく充実した旅行になれればいいな。』
『8月10日、金曜日。
夏期講習も頑張って、ついに、明日から3泊4日の旅行!
だから、今日は準備のために夏期講習はなしで、明日香達女子メンバーで買い物に。水着を選ぶのは楽しかったなぁ。明日香と陽乃ちゃんはかなり時間がかかっていた。
あたしは緑色の紐ビキニ。翼があたしの水着姿を気に入ってくれると嬉しい。
明日からの4日間がとても楽しみ。でも、眠れるかが不安。』
旅行前日も日記に書いたのか。楽しみ過ぎてあまり眠れなかったんだっけ。出発してすぐに眠り始めた咲希はとても可愛らしかった。もちろん、水着姿の咲希も。
『8月11日、土曜日。
旅行1日目。勉強は一斉せずに、思いっきり遊んだり美味しいものをたくさん食べたり! さっそく旅行を満喫できている。
行きの車の中で翼や明日香達とたくさん話したかったけど、前日に眠れなかったのが響いてすぐに寝ちゃった。でも、翼の腕枕のおかげか、とても気持ち良くて幸せな時間を過ごすことができた気がする。
昨日買った水着、翼が似合っていて綺麗だって言ってくれて嬉しかったな。ただ、明日香の水着姿を凄く似合っていると言ったことにちょっと妬いたけど、心の中で何度も頷いた。明日香の体がとても羨ましい。どうすればあんなに大きくなるのか。
海で泳いだり、ビーチバレーをしたり、翼に日焼け止めを塗り合ったり、バーベキューをしたり。楽しいことでいっぱい。
でも、明日からは勉強メインの予定。頑張ろう!』
『8月12日、日曜日。
まさか、翼と一緒にお風呂に入れるときが来るなんて。夢みたいだった。本当にドキドキした。翼の体は綺麗だったな。途中、明日香と美波が来たときは本当に焦ったけど、まさかそのまま4人一緒に入るなんて。翼は度胸があるのか、本当は2人とも入りたかったんじゃないかとも思ってしまった。
午前中は受験勉強をした。翼や里奈先生のおかげでかなり捗った。休憩のときに鈴音先輩、芽依ちゃん、陽乃ちゃんが作ってくれたパンケーキのおかげでもあるか。
午後は旅行に来たのだからと別荘の近くを観光した。夏山神社ではみんなの受験成功と、翼への恋の成就をお願いした。きっと明日香も同じじゃないかな。神様……頑張りますので応援のほどよろしくお願いします。
おみくじは大吉だったけど、翼の凶のインパクトが大きすぎて、さっそく何が書いてあったのかあまり思い出せない。翼はがっかりしていたけど、彼ならきっとそんなの関係ないと思っている。
追加。夜に美波が明日香に告白し、そして、喧嘩があった。喧嘩には翼が絡んでいる。明日香から相談されてそれを知った。美波は鈴音先輩に話を聞いていた。
明日香と同じような気持ちを抱いたこともあるし、美波の気持ちも分かる。フラれた悔しさがあったのかもしれない。
2人の親友のために、あたしにできることはあるのか。この旅行での課題ができた気がした。』
『8月13日、月曜日。
明日香と美波の喧嘩はお昼には解決した。お昼ご飯のときに2人から仲直り宣言があって。翼が2人の話をしっかりと聞いたことで、気持ちの整理ができたんじゃないかと思う。本当に良かった。
美波から凛さんは凄腕のメイドだとは聞いていたけど、まさか早朝に会うなんて。しかも30歳ということに驚き。そして、翼が付き合うなら明日香かあたしだって告白してくれたことが嬉しすぎて倒れちゃった。もし、あたしを選んでくれたら死んじゃうかも。
夜、みんなでした花火はとても楽しかったな。
あと、桜海に帰ってきてから初めて翼と一緒に寝た! 明日香と3人だったからか、とても気持ち良かったな。いずれは翼と2人きりで眠りたい!』
『8月14日、火曜日。
今日は勉強して、海で遊んで、お土産を買って。少しでも思い出をたくさん作るようにした。ただ、翼はいつもよりも元気がないように見えたな。疲れなのか、仲直りしたけど喧嘩のことに責任を感じているのかな。明日からも気に掛けよう。
あと、明日香は美波と同じく東京の美術大学に行くと決めたそうだ。合格したら来年の春には離ればなれになると思うと寂しいな。
4日間の旅行はとても楽しかった。忘れることのない高校最後の夏の思い出になった。翼や明日香達と夏の思い出をたくさん作るっていう目標は達成できたかな。でも、もっと作りたいな。
明日からはまた夏期講習。翼と一緒に受験勉強を頑張ろう。』
ここで日記は終わっていた。旅行中の部分は、別荘での自分の部屋で書いていたのだろう。決していいことばかりだけではないけど、日記を読んでいるだけで色々なことが頭の中に鮮明に蘇ってくる。
「ねえ、翼。新しくやりたいことを思いついたから、それを書いてもいいかな」
「ああ。見せてくれてありがとう」
咲希にメモ帳を返すと、彼女はやりたいことリストが書いてあるページを開く。そして、空白となっているスペースに、
『翼と明日香が幸せになるようにサポートする!』
と、大きく力強い文字で書いた。
「悔しいけど、2人には幸せになってほしいから。これが翼の返事の返事」
「……そうか。ありがとう、咲希」
「うん。これからもずっと好きな気持ちは変わらないよ。ただ、これまで10年以上、素敵な恋をさせてくれてありがとう」
そう言うと、咲希は僕の頬にキスをしてきた。10年前、初めて告白してくれたときと同じようにはにかんでいて可愛らしい。
咲希はきっとやりたいことリストに書くことで、気持ちを整理して次の一歩を踏み出そうと決めたんだろう。その姿勢、僕も見習っていきたい。
咲希のいつもの爽やかな笑みを見て、少し心が軽くなったのであった。




