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第62話『夏は短し恋した乙女』

 旅行から帰ってからは、自分の部屋にいるときは旅行について思い返すことはあまりせず、進路をどうすればいいばかり考えていた。しかし、そう簡単には考えを纏められなかった。

 何度も明日香の笑顔が浮かんできたけど、それも段々と遠く離れていってしまうような気がした。



 8月15日、水曜日。

 旅行疲れもあったからなのか、それとも自分の部屋のベッドなのか昨日は意外と眠ることができた。なので、体力的にはもう元気だ。

 今日からさっそく夏期講習が再開。これまで通り、咲希と一緒に参加することに。今日は時間割の関係で昼過ぎには終わる。進路が見えなくなってしまったけど、どんな道を選ぶことになっても大丈夫なように、今はしっかりと勉強しないと。ちなみに、羽村の方も今日から夏期講習を再び受けに行くらしい。

 また、明日香と常盤さんは今日から部活を再開させ、旅行中にしたスケッチをさっそく作品制作に活かしたいとのこと。創作意欲が刺激されたのかな。

 昨日までの4日間、明日香と一緒にいることも多く、彼女のことが一番好きであると自覚したので寂しく思える。ただ、今の状況を考えたら、会えない時間が多い方がちょうどいいのかもしれない。


「今日から、また一緒に夏期講習頑張ろうね、翼!」

「……うん、頑張ろうね」


 旅行で英気を養うことができたのか、咲希もやる気十分だ。本当にみんな目標に向かって一歩ずつ歩んでいるんだな。偉くて、尊敬する。特に早くから桜海大学に進学したいと考えている咲希のことを見ていると、自分がとても情けなく思えてくる。

 僕は咲希と一緒に夏期講習を受けていく。

 今日はまだお盆という時期もあってか、普段よりも受講する人の数があまり多くない気がする。ただ、ここにいる人達も国公立の文系学部に進学したいと考えているんだよな。自分だけが取り残されているような気がして。

 そんなことを考えてしまったからか、今日の授業はあまり集中できず、古典の小テストがあったけれどあまり解くことができなかった。


「うわあっ、こんなにいい点数を取れたのは初めてだよ!」

「……良かったね、咲希」

「うん! 旅行中の勉強で里奈先生に教えてもらったからかな」


 旅行では古典を含めて勉強を頑張っていたな。国語と英語については松雪先生に質問することが何度かあったっけ。


「それに比べて、翼……こんなに点数が低いなんて。あたしよりも低いのは初めてじゃない?」

「そうだね」

「……本当にどうしたの? 今日になっても元気ないように見えるし。実は昨日、帰ってから明日香から電話してね。そのときに、翼の体調が心配だから、講習中はたまに翼のことを気に掛けてほしいって言われたんだ」


 明日香にも心配掛けちゃっているんだな。昨日、帰りの車の中でも体調のことを訊かれたけど、結構深刻そうに見えたのかも。


「心配掛けちゃっていたんだね、ごめん。昨日はぐっすりと寝て、体力的には回復したんだけれど、実は色々と考え事をしていて。それで、今日の授業もあまり集中できなかったんだ」

「……そっか。それなら、今日はもう家に帰ってゆっくりと休んだ方がいいかな。今日は早く終わったから、この後……あたしの家で一緒に勉強して、たくさん買ったお土産を一緒に食べたいなって思ったから……」


 咲希は何とも言えない笑みを浮かべながらそう言う。今日はずっと咲希に気を遣わせてしまったんだな。

 このまま悩みを伏せたままにしておくよりも、咲希には話しておいた方がいいのかな。それに、明日香のことが一番好きだっていう揺らぐことのない想いを伝えたいし。


「ううん、体力的には元気だし、これから咲希のお家にお邪魔してもいいかな。それに、咲希に話したいことがあるんだ。大事なことだから2人きりで」

「……うん、分かった。翼がそう言うなら、これから家に行こうか」


 どんなことを言われると想像しているのか、咲希は頬を赤くしてはにかんでいる。だいたいの想像はつくけれど、その期待に応えられなさそうで申し訳ない気持ちに。

 僕らは学習塾を後にして、咲希の家へと歩き始める。その際、咲希は朝よりも強く僕の手を握っている。


「今日も暑いねぇ。何か、夏山町よりも暑く感じるんだけれど」

「駅の周りはビルとかが多いからね。それに、あの別荘は海のすぐ近くにあって、潮風も吹いていたから、ここまで暑くはならなかった」

「うん。陽が差していなければ涼しくも感じたし。あたし、別荘で感じたあの匂い、好きだったな……」

「……そっか。僕は……どうかな」


 夏山の海の匂いが感じられる中での楽しい思い出はいっぱいあった。

 ただ、仲直りしたとはいえ、明日香と常盤さんの喧嘩の様子を鮮明に思い出してしまう。だから、決していい思い出ばかりではない。それでも、いつかはそれも若き日の出来事として普通に語れればいいな。

 それからも旅行の思い出を話し、僕は咲希の家にお邪魔することに。彼女の部屋に通され、ベッドの近くにあるクッションに腰を下ろした。


「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「……コーヒーで。温かいブラックをお願いできるかな」

「うん、分かった。昨日買ったお菓子も持ってくるからちょっと待っててね」

「ああ、ありがとう」


 咲希は一旦、部屋を後にした。

 ここには数え切れないほどに来ているのに、転校してきた日に初めて来たとき以上に緊張している。今から明日香のことを選ぶと言うからだろうか。

 緊張を解けないかと、スマートフォンを弄ってアルバムを見ることに。意外とたくさん撮ったんだな。みんなから送られた写真もたくさんあって。


「……いい写真だ」


 それは2日目の午後に夏山神社で、松雪先生が咲希のスマートフォンで撮影した明日香や咲希とのスリーショット写真。明日香も咲希も僕に寄り添って笑顔でピースしていて。写真に写っている彼女達の笑顔に緊張がほどけていく。きっと、そんな2人のことが昔から好きなのだろう。だから、咲希のこともこれまでに何度も夢に見たんだと思う。


「お待たせ、翼。温かいコーヒー淹れてきたよ」

「あ、ああ……ありがとう」

「どうしたの、スマートフォンを見ながらいい笑顔になっていたけれど」

「……旅行のときの写真を見ていたんだ。咲希や明日香と写っている写真がとてもいい写真だったから」

「へえ、どれどれ?」


 ティープレートをテーブルに置き、咲希は僕のすぐ側に近寄ってスマートフォンを見てくる。


「ああ、神社に行ったときに先生が撮ってくれた写真だ。確かにこれはいいね」


 そう言う咲希の笑顔は写真の咲希に負けないくらいの可愛らしいもので。汗混じりの彼女の匂いにドキドキもして。そんな彼女に大事な決断を伝えるなんて。胸が苦しくなった。

 僕は咲希の淹れてくれたホットコーヒーを一口飲んで、気持ちを落ち着かせる。


「抹茶のゴーフレットがあるからね」

「うん、いただきます」


 ゴーフレットは両親へのお土産に買ったな。さっそく一枚食べてみるけれど、これが結構美味しくて。


「コーヒーもゴーフレットも美味しいよ。ありがとう」

「……うん。それで……帰る前に言っていた私に話したいことって何かな?」

「それは……」


 いざ、話すとなると急に息が詰まってくる。でも、ちゃんと咲希に話さないと。


「……明日香の進路については聞いた?」

「うん。美波と同じ東京にある美術大学を目指したいって、昨日聞いた」

「僕は一昨日の夜、明日香と一緒に線香花火をしているときに話された。それまで迷っていたけれど、旅行中にスケッチをしたりしながら考えて決めたらしい」

「そうなんだね。じゃあ、もしかして翼は元気なかったのは……」

「……それを言われたら急に、僕の進路が全く見えなくなったんだ。そして、分かったのはこれまで、僕は明日香がいる道を選び続けてきたことで。ただ、いつまでもそれじゃいけないからこそ、どこを目指したいのか、何になりたいのか、何を勉強したいのか。それが全然分からなくなっちゃって。何か……情けないなって思うよ」


 本当に自分が情けなく思う。明日香がいることが当たり前だと思って、明日香が選ぶことを第一にこれまで彼女と同じ道を歩んできた。いや、彼女の背中を見つめながらただ歩いていたんだ。


「その話を聞いたら、情けないとか自分の意思が全然ないって言う人はいるかもね。でも、私は……少なくとも、このタイミングでそれに気付いて、悩むことができている翼は情けなくはないと思っているよ。明日香も言っていたけど、ずっと一緒だったもんね。明日香と離れるかもしれないって思うと、寂しくて未来が見えなくなる気持ちは分かるよ。あたしも、同じような想いを10年前に経験したから」

「……東京への引越しか」


 小さいときほど、引越しというのはとても大きな出来事だ。僕や明日香、芽依など仲良くしていた子が何人もいれば尚更。


「東京に引っ越すことを最初に話されたとき、翼や明日香達と離れることが分かって号泣した。それを伝えることもとても辛かった。でも、後悔を残して東京に引っ越したくはなかった。だから、あの日……勇気を振り絞って翼に告白して、頬にキスしたんだよ」

「そうだったんだね」


 思い返せば、あのときの咲希はずっと何か言いたげな様子を見せていたな。桜海を去るあの日、車に乗ろうとしたときにようやく告白できたんだ。幼ながらに色々なことを考えた上での勇気ある行動だったのだ。


「じゃあ、まさか……」


 その瞬間、咲希の笑顔は照れ笑いから寂しげな笑みに変わった。そして、彼女は僕の手をぎゅっと掴んでくる。僕のことを見つめてきて。今こそ、そんな彼女のことを信頼して決断した想いを伝えよう。


「……明日香のその話をきっかけに、僕ははっきりと自覚したんだ。僕は明日香のことが一番好きだってことを。そして、明日香と恋人として付き合いたいって決断したよ。だから、咲希からの告白は……お断りします。気持ちに応えられなくて本当にごめんなさい。そして、長い間待たせてしまってごめんなさい」


 咲希に対して深く頭を下げた。

 咲希から告白されておよそ2ヶ月半。そして、明日香から告白されておよそ1ヶ月。

 2人からの告白の返事を考えてきて、時には甘えてしまうときもあった。そして、今日になってようやく僕は咲希に対して『明日香と恋人として付き合う』という決断を伝えることができた。

 それからはずっと静かな時間が続く。決断を伝えたからなのか、それとも頭を下げ続けているからなのかとても長く感じる。

 それでも、鼻をすする音や嗚咽が聞こえてきたことで、咲希が今、どんな表情をしているのかおおよその想像がついてしまった。


「……謝る必要なんてないんだよ、翼。だって、どんな決断をしても、きちんと伝えるっていう約束をちゃんと守ってくれたじゃない。そりゃあ、あたしを彼女にしてくれたら一番嬉しいけれどね。ほら、顔を上げてよ」


 咲希がそう言うのでゆっくりと顔を上げると、僕が想像していた通り……そこには涙を流しながらも、必死に笑みを浮かべている咲希の姿があった。


「告白の返事、ちゃんと言ってくれてありがとう、翼。明日香のことを恋人にするって決断したんだったら、絶対に明日香を幸せにしないと許さないからね」

「……うん」


 明日香のためにも、僕自身の未来についてしっかりと考えたい。その上で明日香にずっと一緒にいたいという想いを伝えたい。


「……ごめん、翼。これでも、必死に涙を堪えているつもりなんだ。だけど、もう我慢できそうにないよ。こんなことをしちゃいけないって分かっているけど、翼の胸の中で泣きたい」

「……もちろん、いいよ」


 すると、咲希は僕のことをぎゅっと抱きしめ、顔を僕の胸に埋めて声に出して泣いた。もしかしたら、これが一番じゃないかというくらいの大きな声で号泣して。相当な悲しみや辛さ、苦しさを吐き出しているのだろう。

 そんな咲希の気持ちをどのくらい、僕は受け止められるのだろうか。返事をずっと待たせた上で振ってしまったんだ。できるだけ受け止めないと。そんなことを考えながら、咲希の頭を優しく撫で続けるのであった。

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